はっきり言っておく。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネによる福音書/ 12章 24節
新約聖書 新共同訳
わたしたちにできることは、
さまざまな方法で、
彼らに手をさしのべ
続けることなのではないか。
後藤健二さん
(『もしも学校に行けたら』(汐文社))
★追悼 国際ジャーナリスト・後藤健二さん : 論説・コラム :
◆クリスチャントゥデイ 2015年2月3日
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15221/20150203/memorial-message-journalist-kenji-goto.htm
国際ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国に殺害されたとみられる動画が、日本時間の2月1日早朝に公開されました。日本政府はこの動画が本物である可能性が高いとしています。これが事実であるならば、深い悲しみを覚えます。ここに、後藤さんのご家族に謹んで哀悼の意を表したいと思います。悲しみに沈むご家族の内に、主なるイエス・キリストが共にいて慰めと平安を下さいますように。
昨年10月末にシリアに渡航したとされる後藤さんからは、ちょうどその時期、毎月1回の掲載を予定していた連載コラムの最初の寄稿「戦争に行くという意味」を頂きました。これが最初で最後のコラムになってしまうとは、想像すらしていませんでした。
後藤さんの霊は、今、神様の御許(みもと)にあります。数カ月にわたる恐怖、不安から解放され、安らぎを得ていることでしょう。
「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」(黙示録21:3~4)
聖書は、天国についてこのように語っています。後藤さんは、たくさん流した涙がぬぐい去られ、悲しみも嘆きもない場所にいるのだと思います。
しかし、この世に残された私たちには、それを知りつつも、後藤さんを失った悲しみが残ります。もう後藤さんにこの地上で会うことができないのか、彼の口から話を聞くことはできないのか、もう二度と別れの握手を交わすこともできないのか・・・。
後藤さん、どんなに苦しかったでしょう、どんなに寂しかったでしょう、どんなにつらかったでしょう、どんなに無念だったでしょう・・・。
昨年5月のインタビュー記事を何度も読み返しました。あの時もシリアに向かう前日でした。「今回は、今までで一番危険かもしれない」。そう言って、少し緊張した横顔を見せた彼を今も忘れません。それでも、数週間後に帰国した後藤さんは、いつものように時折SNSやメールを通して連絡をくれました。テレビでの出演も多く、元気で活躍している姿に安堵したものです。
別れ際はいつも「気をつけてくださいね。またお会いしましょうね」と声を掛けました。後藤さんは決まって「大丈夫。無理はしないから。またお会いしましょう」と笑顔を見せてくれました。そう、あのシリア入国前に見せた「必ず生きて帰りますけどね」と語ったあの笑顔です。誰にでも安心感を与えるような温かなあの笑顔に、もう会うこともできないと思うと、寂しさで胸が張り裂ける思いです。
インタビュー記事の中で、「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と語っていた後藤さんを思い出します。この言葉を話し終えた後、少しだけ寂しそうな顔をして、クスッと笑ったように見えました。昔のことを思い出して恥ずかしかったのか、それとも「そんなこと、起こるわけないだろう」と自答したのか・・・。
荒い岩砂漠の土の上にひざまずき、ナイフをかざされ、死を前に何を祈り、何を思ったのか・・・。今は、推測しかできませんが、少なくとも彼が最期に遺した「この内戦が早く終わってシリアに平和を・・・」という言葉に嘘はないと思います。
「関心を持ち続けてほしい。シリアで起こっていることは、『遠い国で起きていることで、われわれ日本人に関係ないこと』ではないということを忘れないでほしい。なぜ僕がカメラを向けたときに、シリアの人々は話をしてくれるのか? それは、彼らがその映像を通して、日本にいる人たちに訴えたいことがたくさんあるからなのです」と、多くの講演会で後藤さんは語っていました。
彼が命を懸けて伝えたかったのは、イスラム国の恐ろしさでも、政府への不満でもなく、「なぜ、こんなことが世界で起きてしまっているのかを真剣に考えてほしい」ということではないかと思うのです。「分かち合い・奉仕・愛」の気持ちが世界中の人にあれば、あんな残忍な事件は起きないはずです。われわれ一人ひとりにできること、それはあらゆる状況下で暮らす人々のことに「関心」を持ち続けること。そして、隣人を思い、祈ることだと思います。
「後藤さんはキリスト者ですか?」と、初めて聞いた時のことを思い出します。「そうです。不敬虔極まりないキリスト者ですが・・・」と、照れたように笑った顔。
後藤さん、あなたは不敬虔なキリスト者なんかじゃありません。立派なジャーナリストであり、立派なキリスト者でした。私たちは、あなたを誇りに思います。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)
後藤さんと天国で再会する日を期待して。新聖歌508番「神共に在(いま)して」を心静かに賛美します。
また会う日まで また会う日まで
神の守り 汝身(ながみ)を離れざれ
(昨年5月に後藤健二さんをインタビューした本紙記者より)
★紛争地の子を取材、手をさしのべ続けた後藤さん : 社会 :
◆読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年02月02日 08時47分
法政二高(神奈川県)から法政大に進学し、学生時代はアメリカンフットボールに親しむスポーツマンだった。
卒業後は番組制作会社を経て、96年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立。ソマリア、イラク、ルワンダなど中東やアフリカの紛争地で取材し、テレビのニュース番組でリポートしていた。
困難な環境に置かれた子供に焦点を当てた取材が多く、アフガニスタンの少女を追った著書「もしも学校に行けたら」(汐文社)のあとがきには
「わたしたちにできることは、さまざまな方法で、彼らに手をさしのべ続けることなのではないか」と記している。
97年には洗礼を受けた。キリスト教徒向けのニュースサイト「クリスチャントゥデイ」に掲載された昨年5月のインタビュー記事では、その理由について「取材先で、ひとりで命を落とすような場合を考えた」と説明。小さな聖書を肌身離さず持ち歩き、「命を脅かす現場もあるが、必ず、神様は私を助けてくださる」などと語っていた。
2015年02月02日 08時47分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
◆「イスラム国」拘束:後藤さんの解放祈る 官邸前に宗教者 - 毎日新聞
★毎日新聞 2015年01月27日 20時13分
(最終更新 01月27日 21時32分)
▲後藤健二さんの解放を祈る日本イスラム文化センターのクレイシ・ハールーン事務局長(中央)ら、宗教を超えて集まった人たち=東京都千代田区の首相官邸前で2015年1月27日午後1時23分、森田剛史撮影
後藤さんの命を救え--。国内のキリスト教、仏教、イスラム教の信徒約80人が27日、東京都内の首相官邸前に集まり、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)とみられるグループに拘束されている後藤健二さん(47)の解放を祈った。宗教や宗派を超えて呼び掛けた鈴木伶子(れいこ)さん(76)は「命や平和を重んじるのはどの宗教も同じ。後藤さんには元気に帰ってきてほしい」と訴えた。
鈴木さんは、後藤さんが通っていた代々木上原教会(東京都渋谷区)の信徒で、牧師や僧侶らによる「平和をつくり出す宗教者ネット」でも活動する。
10年ほど前、教会で後藤さんと知り合った。いつも穏やかで笑顔が印象的だったが、アフリカ・ルワンダの残虐な内戦を生き抜いた人たちの話をしてくれたこともあった。
後藤さんが先に拘束された湯川遥菜(はるな)さんを助けに向かったと聞いた。「人を助けるためつらい決断をしたのかもしれない。それだけに家族のためにも帰ってきてほしい」。どの宗教者も同じ思いだと考え、今回の行動を呼び掛けた。
官邸前では、キリスト教のプロテスタントの牧師やカトリックの神父、仏教の僧侶らが順にマイクを手に、聖書の一節を朗読したり、お経を唱えたりして、後藤さんの解放と世界の平和を祈った。
宗教法人日本イスラム文化センター(東京都豊島区)のメンバーでインド出身のムハンマド・ユスフさん(42)は、アラビア語で後藤さんの無事を祈り「罪のない人を殺してはいけないというのが神の教え。信仰があるなら早く解放してほしい」と訴えた。
パキスタン出身のクレイシ・ハールーン同センター事務局長(48)も「宗教は関係なく手伝いたいと思って来た。希望を持ちたい」と話した。【藤沢美由紀】
★「果敢な記者」人質に 後藤さん、
10月下旬に音信不通
◆朝日新聞 2015年1月20日22時14分
▲人質となったとみられる後藤健二さん=テレビ朝日から
人質となったとみられる後藤健二さん(47)は、報道で紛争地の実態を広めようとしていた。湯川遥菜さん(42)は「イスラム国」に拘束された後、消息がわからなくなっていた。知り合いだった2人が荒れた大地にひざまずかされ、黒覆面の男がナイフを持つ。インターネット上に20日投稿された卑劣な動画に関係者は無事を祈った。
「海外出張に行く。29日午前中に帰国する」。ジャーナリストの後藤健二さんと10年来の友人という愛知県豊田市の高校教諭、伊藤和正さん(43)が後藤さんからメールを受け取ったのは、昨年10月22日。その後、連絡が取れなくなった。
同月末に「世界の子どもたちは今 紛争取材の最前線から見えること」という題で子どもたちに話をしてもらう予定だった。「紛争地の子どもを一貫して取材していた。厳しい環境にいる子供たちの現実を伝えたいという思いを持っていた」。毎日、後藤さんの携帯に電話をかけ続ける。
後藤さんは番組制作会社を経て、1996年に映像通信会社「インデペンデント・プレス」(東京都港区)を設立した。フリージャーナリストの綿井健陽(たけはる)さん(43)は「後藤さんは90年代半ばから小型ビデオカメラを持って戦場や紛争地帯を取材していた。近年はシリアで果敢な取材をしており、尊敬していた」と言った。
「イスラム文化の理解が深まるよう発信を続けていた本人がこうした形になったことは複雑。無事を祈っています」。児童出版社「汐文社」(東京都千代田区)の編集者、門脇大さん(39)は言った。帰国中の後藤さんと昨年9月に会い、「イスラム国」も含めたシリアの現実を子どもたちに伝えるような児童書の執筆を依頼していた。
小中学校での出前授業で使う映像資料を制作したり、紛争地の現状などについて自ら講演したり。後藤さんは、世界の子どものために活動をする日本ユニセフ協会にも協力。協会を通じて、東日本大震災の被災地支援に取り組み、宮城県石巻市や気仙沼市で活動の記録係をしていた。
12月には出身地の仙台市でシリアの現状を伝える講演会を開く予定だった。協会の中井裕真広報室長は「途上国や紛争地で学校に行けなかったり兵士にさせられたりした子どもの現状を懸命に追いかけ、伝えていた。無事の帰国を祈りたい」。
シリアでの取材に同行したことがあるというシリア人のアラッディーン・アルズィームさん(34)は、10月24日に後藤さんと会って「イスラム国の支配地域へ行く」と聞いていた。「危険だ」と止めたが、「つてがある。行かなければならない」と語ったという。
キリスト教系ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(東京都千代田区)に後藤さんからメールが届いたのは、このころだった。イラク戦争の取材で米軍兵士に銃口を向けられた経験を書いたコラム「戦争に行くという意味」。戦場の兵士と市民の間に見えない一線があるとし、「『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」とつづっていた。
■後藤健二さんの足取り
(※関係者の証言などによる)
2014年4月 シリアで取材中に湯川遥菜さんと知り合う。
その後、いったん帰国
10月2日 トルコ経由でシリアに再入国
3日 シリア北部で取材した動画をツイッターに投稿。
「イスラム国が街を取り囲み、攻撃を仕掛けています」と解説
6日ごろ 日本に帰国
8日 東京でテレビ番組に出演
22日 友人に「海外出張に行く。
29日午前中に帰国する」とメール
同日ごろ 日本を出国。シリアへ
23日 ツイッターへの投稿が途絶える
24日 日本のニュースサイトの担当者にコラムをメール送信
シリア北部で現地の関係者に「イスラム国に行く」と話す
25日 イスラム国の支配地域近くで別の現地関係者と会う
(朝日新聞 2015年1月20日22時14分)
2015.2.1 産経新聞号外
2015.2.7 産経新聞号外