地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【愛に歩みこと】進化論を信じぬ人たち

2015-02-06 20:32:14 | 今日の御言葉



愛とは、
御父の掟に従って
歩むことであり、

この掟とは、
あなたがたが
初めから聞いていたように、
愛に歩むことです。

ヨハネの手紙二/ 06節
(新約聖書 新共同訳)



あなたは
この世にのぞまれて生まれてきた
たいせつな人

あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと
貧乏であろうと
それは問題ではありません。

あなたは
同じ神さまがおつくりになった
同じ神さまのこどもです。


マザーテレサ

(マザーテレサ『愛のことば』より)





▲『創造論の世界』久保有政 (徳間書店)

聖書から生まれた先端科学

★進化論を信じぬ人たち - 西日本新聞

◆2015年02月05日
(最終更新 2015年02月05日 17時15分)


米国人の31%が「人間と他の生物は最初から現在の姿で存在してきた」と考えているという結果を、米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが発表した。また24%が「人間の進化が神によって導かれた」と信じている。

米国ではかつて、公立学校でダーウィンの進化論を教えるかどうか、あるいは神による創造論を基にした創造科学を教えるかどうかをめぐり、論争が続いた。テネシー州やアーカンソー州の反進化論法が違憲と判断された後も、両方を教える授業時間均等法をつくる州が出現。1980年代に「創造科学は科学でない」という判断が出て、やっと決着した。

だが近年は、生命がより高次の知的存在によって設計されたとする考え方が生まれ、これを提唱しているキリスト教保守派が教育に取り入れることを要求している。

同センターの一昨年の調査では民主党支持者の67%が進化論を信じていたが、共和党支持者は43%。科学研究の最先端でありながら、市民レベルでは信仰や政治信条が科学の判断基準の基となる不思議な国だ。 (井手)



▲『荒れ野の40年』ワイツゼッカー(写真)

★ワイツゼッカー氏 貫いた過去への眼差し:社説
・コラム(TOKYO Web)

◆東京新聞 2015年2月3日


ワイツゼッカー元独大統領が亡くなった。欧州連合(EU)の理念が揺らぐ今こそ、ドイツの負の歴史に常に向き合い、欧州の平和的統合を説き続けた象徴的指導者の言葉に耳を傾けたい。

祖父は州首相、父は外務次官、兄は著名な物理学者というドイツの名門。それでいて身に付いた気さくさ。政治家というより言葉による伝道師を思わせた。

「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」。よく知られる戦後四十周年の議会演説はその白眉だろう。政治活動の半面、生涯を通してドイツ福音主義信徒大会の指導的役割を担い続けた。数々の演説を貫く過去への眼差(まなざ)し、人道、平和主義に基づく現代社会への鋭い問いかけは、第二次大戦、冷戦体制崩壊という二つの「戦後」の復興を担ったキリスト教的価値観に立脚していた。

回想録「四つの時代」の中で、「キリスト教」の名前を冠している政党に入ることの意味を、ルターの教えに言及しながら「欠陥があるわれわれへの戒め」と述べているのも、その表れだ。

理想主義的な言動は、政治上の実質的な権限を担う政権内から折に触れて批判の対象となった。特に十六年の長期政権を通じ、絶大な権力を誇示したコール元首相とは度々衝突、大統領の退任後、党籍剥奪問題にまで発展したこともある。発覚したコール氏の金権体質を徹底して批判したのも大統領だった。

退任後は、国連の機構改革の委員に名を連ねる一方、ドイツ連邦軍改革委員長として軍縮小の改革案をまとめるなど活躍。中日新聞社主催の戦後五十年企画で一九九五年訪日するなど度々来日した。

九九年、二十世紀を総括する企画で本紙に登壇願った。ワイツゼッカー氏は、世界が今後直面する課題は政治的な民主主義、経済的な競争力、社会的な人間的紐帯(ちゅうたい)の三つをいかに共存させるかという点にあると指摘、欧州統合の理念はそこに至る歴史的な実験、との思いを語っていた。

「欧州が二十一世紀の世界にもたらし得る貢献の最大のものは、平和裏に統合を進めるプロセスとしてのEUだ」。すでに拡大、深化の大きな分岐点を迎えていたEUを語る口調には強い思いが込められていた。

欧州統合の危機は、統合の理念を語る指導者の不在に起因するといわれる。ワイツゼッカー氏の死去により欧州が喪(うしな)うものはあまりにも大きい。


(ワイツゼッカー氏 貫いた過去への眼差し:社説・コラム(TOKYO Web))



▲『黄金の拘束衣を着た首相』三橋貴明
(飛鳥新社)

<マクロ経済政策入門>
黄金の拘束衣を着た首相

【御子】イスラム国の蛮行で暴かれる「韓国が知られたくない恥史」

2015-02-02 22:32:49 | 今日の御言葉


万物は、天にあるものも
地にあるものも、

見えるものも見えないものも、
位も主権も、支配も権威も、
みな御子にあって造られたからである。

これらいっさいのものは、
御子によって造られ、
御子のために造られたのである。


‭コロサイ人への手紙‬ ‭1‬章16節
新約聖書 口語訳




あなた方が泣き悲しむ時、
そこには神様の悲しみが
あなた方と共にあります。

あなた方が無限に幸福を感ずる時、
神様もまた、無制限に
幸福を感ずるのです。

ですから私たちが
歓喜の勝利を得るために
前進を重ねる時、
神様もその時
喜びを感じておられることを
私たちは知るのです。

その神様の愛とその力で、
私たちは前進するのです。

私たちの前方には、
希望と喜びが、あるのみです。




▲石堂順子氏 (写真) 笑顔 !?


【野口裕之の軍事情勢】イスラム国の蛮行で暴かれる
「韓国が知られたくない恥史」


★産経新聞 2015年2月2日 06:00



▲1950年6月の朝鮮戦争勃発直後、
金浦空軍基地に到着した
ダグラス・マッカーサー元帥を迎える
李承晩・韓国初代大統領(右)。

李氏はこのころ、
“危険分子”として大量の民間人や政治犯の処刑を命じ、
犠牲者は60万~120万人ともいわれる
 


イスラム過激武装集団《イスラム国》と韓国が、小欄の頭の中で混ざり合った。両者に共通するのは「民主主義とは異質な法治体系」の他「歴史への常軌を逸した執着」ではないか。片や歴史を遡り、現代の主権国家枠を否定。片や歴史を遡り、主権を捏造し人権否定を覆い隠す。と、考えを整理していた1月23日、イスラム国の蛮行がきっかけで、日韓併合(1910年)の正統性や、百ウン十万と報じられてもいる韓国政府が行った自国民大虐殺など、「韓国が知られたくない哀史/恥史」へと筆を走らせる仕儀と成った。

独立認めなかった米国

 1月23日。イスラム国が拘束したジャーナリスト、後藤健二氏(47)のご母堂(78)は会見で、父親が日韓併合時代、朝鮮・馬山(マサン)に駐屯した大日本帝國陸軍の部隊長だった旨示唆した。調べると、朝鮮軍管区の馬山駐屯直轄部隊指揮官(中佐)がご母堂と同姓だったが、追加取材はしなかった。小欄の興味は、会見が誘った朝鮮軍管区を通して思い出した「韓国の哀しい生い立ち」にある。


https://mobile.twitter.com/kohyu1952

 大日本帝國は1945年8月15日、大東亜戦争(1941~45年)敗戦を国民に知らせた。無政府状態を憂う朝鮮総督府は《朝鮮建国準備委員会》設置を比較的冷静・公平に対処できる朝鮮人指導者に要請した。ソ聯軍侵攻→朝鮮人政治・思想犯の釈放・流出→朝鮮共産化→日本人への掠奪・暴行…が想定され、朝鮮人釈放や治安維持への協力を取り付ける意図もあった。だが、自治組織に過ぎぬ委員会は45年9月6日《朝鮮人民共和国》を樹立し“独立”を宣言してしまう。

 一連の流れの中で、朝鮮総督の阿部信行・陸軍大将(元首相/1875~1953年)や朝鮮軍管区司令官の上月良夫・陸軍中将(1886~1971年)が総督府はじめ主要な建物から日章旗を降ろし、太極旗(現韓国国旗)を掲揚させる。

 しかし“独立宣言”直後、進駐した米軍は太極旗を降ろさせ、日章旗を再び掲揚させた。米軍の軍政が本格的に始まるや、日章旗が星条旗へと付け替えられた。なぜか-

 米国は日章旗掲揚で朝鮮=日本だと公認。軍政に正当性を持たせた。朝鮮が別国家ならば解放したことになり、解放後は統治を朝鮮に任せる過程を生む。従って終戦直後、米軍上陸前の統治を総督府に密命した。治安も朝鮮軍管区や日本の官憲に担わせた。上陸後も、日本人官吏は相当期間軍政を支援、治安も軌道に乗るまで日本側が協力した。日本側の統治能力や軍紀を大いに評価していた背景も在った。反面、米国は当初、朝鮮人を軍政より徹底的に遠ざけた。朝鮮人の軍政登用は牛歩で進められた。なぜか-



強弁だけの「抗日戦」

 統治能力欠落や、度を超した自己主張、激高しやすい民族性に加え、偏狭な民族主義者や共産主義者が入り乱れ、一致団結して建国に邁進するまとまりに欠けている…など。こと朝鮮人に関し米国の学習能力は高かった。実際45年秋、30もの朝鮮人軍閥が警察署や新聞社、企業・工場・商店を勝手に接収。米軍は武装解除を強制したが効果は限られた。政党や政治結社も200近くにのぼり、指導者は内部抗争を繰り返し暗殺・テロが横行した。そも朝鮮人民共和国ですら中華民国に建てた韓国臨時政府と対立。2つの“政府”それぞれの内部でも抗争に明け暮れた。米国は朝鮮人の政党も政治活動も全く認めなかったのに、この有り様。

 斯くなる混乱では、38度線の北側に陣取るソ聯軍に対する力の均衡維持は覚束ない。米国の最重要課題はソ聯の半島支配阻止で、南朝鮮独立は副次程度の認識だった。米国は、曲がりなりにも内閣・政府を通じ権力を行使した日本と同じ統治形態ではなく、韓国に直接軍政を敷いた正解を噛み締めた。

 しかも朝鮮人は戦前~戦中~戦後と、日本に向けまともなゲリラ抗戦も民族蜂起も起こしていない。むしろ帝國陸軍内の朝鮮人高級軍人の武勇は目覚ましく、触発された朝鮮人が志願兵募集に殺到した。42年と43年の場合、募集各4000/6000名に25万5000と30万人超が受験。競争倍率63/50倍が裏付ける朝鮮人の戦意に日本=朝鮮一体を確信する米国専門家もいた。

 韓国が「日帝を打ち負かして独立を勝ち取った」と強弁しようと、独立は日本敗戦3年後。米国は聯合国による長期の半島信託統治を描いたが、北朝鮮に統一国家を建設する動きを見せたソ聯に対抗、韓国の独立実施を大きく前倒しした。日本ではなく、日本に勝った米国に棚ぼた式で譲ってもらったのだ。



無辜の民を大虐殺

 哀れ韓国は「歴史の不完全燃焼」に身悶えるだけでコンプレックスを癒やせない。制御不能な嫉妬の炎は“歴史の新作”を次々ひねり出すエネルギー源と化す。半面、取り憑かれたような情念で日本を「口撃」している間は、不都合な史実は目立たない。韓国の為政者の反日カードは国家戦略であり続ける。

 《国民保導連盟事件》も反日の激しさで埋没させたい超弩級の傷。会見で具体名が出た「馬山」も事件の舞台だった。

 保導連盟とは、共産主義者が転向し、韓国に忠誠を誓う人々と家族を再教育・統制すべく立ち上げられた思想保護観察組織。ところが、朝鮮戦争(1950~53年休戦)勃発で連盟加入者名簿は虐殺リストに変わる。北朝鮮軍がソウルに迫るや初代大統領・李承晩(イ・スンマン)大統領(1875~1965年)は国民や韓国軍将兵を見捨てて逃亡。その際、連盟登録者を“危険分子”として処刑するよう軍・官憲に命じた。北朝鮮側間諜が紛れた可能性は有るが、大多数は無辜の民。食料の優先受給目的で登録した人もいた。政治犯ら政権に目障りな人々もついでに抹殺された。韓国紙によれば60万~120万人、政府も《子供を含む最低10万人以上》の国民を虐殺し、排水溝や海に遺棄した暴挙を認めた。馬山でも廃坑や刑務所内で殺戮が行われた。

 おびただしい数の韓国人が難を逃れ、日本に密入国し、大半が居座った。そうか。(南北)朝鮮とイスラム国の最大の共通項は凶暴で残忍。であるが故に大量の死者・棄民を輩出しても心痛まぬ思考回路。まだある。日本を歴史捏造でいたぶり、つきまとって離さぬ韓国。日本人を拉致・誘拐する北朝鮮とイスラム国。わが国を「解放」でじらす外道ぶりはソックリだ。

(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)



▲『韓国の悲劇』小室直樹 (写真)


http://www.sankei.com/premium/news/150202/prm1502020007-n1.html


【恐れない】後藤健二さん:注目集まる過去のツイート

2015-02-01 18:56:32 | 今日の御言葉
▼ヨルダン・アンマンの集会所に掲げられたカサスベ中尉の写真
(2015.2.1)





主は、「わたしは、決してあなたを離れ
ず、あなたを捨てない」と言われた。

だから、わたしたちは、
はばからずに言おう、

「主はわたしの助け主である。
わたしには恐れはない。
人は、わたしに何ができようか」。

‭ヘブル人への手紙‬ ‭13‬章‭5-6‬節
新約聖書 口語訳




ある日のこと、わたしは、
もう決して何も食べようとしない、
ひとりの小さな子どもを見かけました。


彼のお母さんは亡くなって
しまっていたのです。


わたしは、その子のお母さんに
よく似ている一人のシスターを
探しました。


わたしは、彼女に言いました。
「あの子と遊ぶ以外、
何もしてはいけません。」


すると、その子に
また食欲が戻ってきたのです。


マザーテレサ


(マザーテレサ『100の言葉』)





★後藤健二さん:注目集まる過去のツイート

◆毎日新聞2015年2月1日


http://sp.mainichi.jp/select/news/20150201k0000e040145000c.html


▲広がりを続ける後藤さんのツイート=後藤さんのツイッターより


 イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)とみられるグループが、ジャーナリスト、後藤健二さん(47)を殺害したとする映像がインターネット上で公開された後、ツイッター上で後藤さんの過去のツイートが広がっている。

 「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」(https://twitter.com/kenjigotoip/status/23238345864)。中東取材も多かった後藤さんが2010年9月7日に自身のツイッターアカウント(@kenjigotoip)で発信したツイートだ。1日午後4時現在で8000回を超えるリツイートがあり、ツイッター上で拡散が続いている。

 後藤さんは同年12月2日のツイートでも、ジャーナリストとしての使命感を記している。「そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない」(https://twitter.com/kenjigotoip/status/10010282252304385)。

このツイートも1000回以上リツイートされており、後藤さんの過去の発信に注目が集まっている。

【石戸諭/デジタル報道センター】







※2015.2.1 産経新聞号外
※2015.1.25 産経新聞号外