空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

浅草寺・その3

2024年12月12日 23時00分00秒 | 名所めぐり

それでは、浅草寺の支院を巡りましょう。

駒形堂

隅田川に架かる駒形橋↓

の西詰にある小堂。
本尊は馬頭観音立像(秘仏)。

浅草寺は、その昔、兄弟の漁師が
隅田川で漁をしていた時に、
1躰の仏像が網にかかったのが始まり。


その仏像が陸に上げられた地が駒形堂。


浅草寺本尊聖観音像の「示現の地」とされ、
かつて船で来訪する参詣者はここで下船し、
駒形堂に参詣してから観音堂へ向かったという。

一等地にある堂なので、
どこぞの不動産業者が目を付けそうですが、
そういういわれがあっては売買されるはずがありません。

現在の堂は鉄筋コンクリート造で、
平成15年(2003)に建て替えたもの。
元は隅田川に向いて建てられていたが、
現在の堂は江戸通り側を正面とし、
川には背を向けた形になっている。
本尊は毎月19日の縁日に開扉され法要が行われる。

境内に付近の魚類の殺生を禁じた
「戒殺碑(かいさつひ)」がある。


隅田川の南、諏訪町より、
北は聖天町までの漁を禁じた。
都指定文化財。

 

遍照院(へんじょういん)

浅草寺の北東、浅草6丁目にある支院のひとつ。
安土桃山時代に順慶法印によって中興されたという。


往時は安楽院と称し、
宝暦12年(1762)に遍照院と改称された。


遍照院の諸堂は大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、
現在の本堂は昭和39年(1964)の再建。


本堂内の本尊は、阿弥陀如来坐像。

遍照院は浮世絵師・葛飾北斎終焉の地としても知られている。
かつて遍照院の境内西側に「狸長屋」という長屋が建ち、
そこに北斎は住んでいた。
北斎は生涯に93回転居したが、
狸長屋が終の住み処となった。

                          
墓地の入口にある箱には、

野良猫か地域猫の宿が。
でも、冬空では大変でしょう。

家に帰ってから、その写真を家人に見せようとしたら、
「そんなかわいそうな写真、見せないでよっ」
と叱られました。

 


待乳山聖天(まつちやましょうでん)

浅草寺の北東にある待乳山は、
標高約10mの丘で、
東京で最も低い山と言われる。
(愛宕山もそうですが、
 関東ローム層の平野で、
 どうしたら山が出来るのでしょうか。) 

ここに伽藍を構える待乳山聖天は、
正式には本龍院といい、
浅草寺の支院のひとつ。
縁起によると、推古天皇3年(595)9月20日、
一夜のうちに涌現した(!)霊山で、
その時金龍が舞い降り山を廻り守護した。

その後、
干ばつで人々が苦しみあえいでいたときに、
十一面観音の化身である
大聖歓喜天が姿を現して人びとを救済し、
聖天さまとして祀られたのが草創という。
霊験あらたかなことで古来より知られており、
身体健全、夫婦和合、商売繁昌にご利益があるとして
篤い信仰を集めている。

歓喜地蔵尊と二十八地蔵尊

奥の階段を上って本堂へ。

待乳山は広い江戸の平野にある小高い丘であることから、
古くから名所として文人墨客に愛され、
多くの絵画や歌の題材となった。

10mといっても登るのはきつく、
駐車場からは、
ケーブルカーで登山(?)出来る。

足が不自由な方や高齢者のために設置されたもの。

山の頂上の本堂。

境内各所には大根と巾着の印が見られるが、

大根は身体健全、夫婦和合、
巾着は財福の功徳を表わしたものとされる。
特に大根は
食べたら辛さに顔をしかめる、怒った顔になるので、
人間の怒りの象徴として、それを納めることから、
参拝者の怒りや欲望を鎮めて、
心身を清浄にする
聖天さまの「おはたらき」を象徴するものとして、
お供物とされている。

境内でお供え用の大根を販売。

供えられた大根は、
「おさがり」として、

印が打たれたものを、
参拝者が無料で持ち帰ることが出来る。

寺が漬物屋に卸しているわけではありません。

糸塚

ここから見える東京スカイツリー。

3回にわたる浅草寺。
知らないことが沢山ありました。
最後に、ライトアップされた夜景をどうぞ。