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映画『オフィサー・アンド・スパイ』

2022年06月14日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ドレフュス事件を扱った
ロマン・ポランスキーの監督作品。


ドレフュス事件とは、
1894年にフランスで起きた冤罪事件

当時のフランスでは、
国家の土台を揺るがす深刻な分断をもたらした事件。
世紀の冤罪事件として、
名称だけは知っていたが、
なるほど、こういう事件だったか。

ロバート・ハリスの小説「An Officer and a Spy」(2013)を原作としている。

1894年夏、フランス陸軍省は
陸軍機密文書の名が列挙された
ドイツ陸軍武官宛ての手紙を入手した。
筆跡が似ていたことから、
ユダヤ人砲兵大尉のアルフレド・ドレフュスが逮捕された。
しかし、具体的な証拠も状況証拠も欠いていたため、
スパイ事件はすぐには公表されなかった。
ところが、この件が反ユダヤ主義の新聞に暴露されたことから、
対処を余儀なくされた軍は、
ドレフェスに終身禁固刑を言い渡し、
ドレフュスはフランス領ギアナ沖の離島、
ディアブル島(悪魔島)に送られた。

映画は、ドレフェスから軍服の装飾品を全て剥奪する
屈辱的な場面から始まる。


ドレフェスは「私は無罪だ」と大きな声で宣言する。

1896年、将来を嘱望される41歳の
ジョルジュ・ピカールジャン・デュジャルダン)が
軍の情報局局長に就任し、

ドレフュスの無実を示す衝撃的な証拠を発見。


事件の真犯人を告げる証拠を
上司のボワデッフル将軍とゴンス将軍に報告するが、
一旦判決の下りた事件をくつがえすことは
軍の威信に関わることから、
隠蔽を指示される。

ピカールは情報局局長を解任され、
チュニジアへ配置転換となり、
更に98年初めには60日間、
98年から99年には11カ月間監獄に拘留される。

援軍は作家エミール・ゾラで、
1898年1月13日付けの新聞で、
『私は告発する』と題する公開状を発表した。


告発は、真実を隠蔽して体制を守ろうとした軍の幹部、
筆跡鑑定家やナショナリストの新聞、
軍法会議へ向けられていた。

権力を背景にした軍部は、
「国家の安危に関わる軍事機密情報」が含まれているとして、
ドレフュス有罪の根拠とされる証拠類の開示を拒んだ。
当時の裁判は、
公正性など全く関係ない、
政治的思惑と圧力によるもので、
こんな裁判で有罪判決をされてはかなわない、と思わせる。

しかし、1899年、大統領が交代したことから進展を見せ、
特赦でドレフュスを釈放した。
ドレフュスはその後も無罪を主張し、
1906年に無罪判決を受け、
再び軍籍に入ったドレフュスは少佐となった。

事件の背景には、ドレフェスがユダヤ人であったことがあり、
反ユダヤ主義の人々がピカールを非難する。
こうした動きに翻弄されるピカールだったが、
真実と正義を求める姿勢に揺るぎがない姿が胸を打つ。

真犯人である情報漏洩者のフランス陸軍の少佐、
フェルディナン・ヴァルザン・エステルアジは、
軍法会議にかけられたものの、無罪となり、
イギリスに逃亡し、そこで平穏な生涯を終えた。

偽造文書を作したアンリは、
逮捕後、偽造を自白し、
独房で自殺する。

ピカールは准将、ほどなく少将に任命され、陸軍大臣となる。

ゾラは、1902年に不慮の死を遂げたが、
読者の学生へ向けて次のような言葉を送っている。
「人間らしく正義を貫くこと、
それはいつの時代にあっても、
あらゆる人々の責務なのです」

この事件を新聞記者として取材していた
オーストリア人記者テオドール・ヘルツルは、
社会のユダヤ人に対する差別・偏見を目の当たりにしたことから、
ユダヤ人国家建設を目的とするシオニズムを提唱、
それが後の1948年のイスラエル建国へと繋がり、
ヘルツルは「建国の父」と呼ばれることになるのだ。
歴史は連鎖し、発展する。

 



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