[映画紹介]
昔、私がシナリオの勉強をしていた頃、
倉本聰は神様だった。
「6羽のかもめ」(1974)「前略おふくろ様」(1975)、
「北の国から」(1981)、そして、
単発の「幻の町」(1976)は、
バイブルだった。
当時、山田太一、向田邦子と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれた。
「北の国から」の特別篇は欠かさず観たし、
その後演劇に軸足を移して残念だったが、
復活した、フジテレビの帯ドラマ、
「やすらぎの郷」「やすらぎの刻~道」は毎日観ていた。
その倉本聰が久しぶりに映画の脚本を書いたという。
「海へ~See you~」(1988)以来だから、
36年ぶり。
これは観に行かねばなるまい。
億単位の高額な価格で取引される
著名な画家、田村修三が、
恩師を巡る展覧会場のオープニングで、
自分のコーナーの漁港シリーズの
一枚の絵を見て驚く。
自分の作品とは、海の描き方が違う、
贋作だというのだ。
専門家も真作と折り紙を付け、
鑑定書まで出ているのに、
何故このようなことに。
文部科学大臣を招いての権威ある展覧会での不祥事。
主催者は会期が終わるままで秘匿してくれるよう依頼するが、
「作家の良心」から、田村は記者会見して事実を延べ、
大騒ぎになる。
それは、3億円の予算を獲得して
作品を購入した地方の美術館の館長の自死にまで発展する。
館長はその遺書で、
贋作であろうと、あの作品の価値は損なわれはしない、と主張する。
一方、謎の男が田村に電話をかけてきて、
贋作を描いた画家のことをほのめかす。
「館長の死は、あなたがした二人目の殺人だ」と。
地方の店に飾られていた
ドガの贋作の署名から
ある男の姿が浮かび上がる。
それは、数十年前、
恩師のもとでの田村と兄弟弟子で、
ある事件で画壇を追われた津山竜次という男。
しかも、田村の妻・安奈は
竜次の元恋人だった。
竜次は今どこにいるのか。
果たして贋作は竜次の手によるものなのか。
今あるのが「贋作」なら「真作」はどこへ行ったのか。
ドラマはミステリー色を含んで展開する。
さすがに倉本聰、観客を惹き付けるのがうまい、
とワクワクしながら観ていたが、
当の津山竜次が登場して、ドラマは変調をきたす。
北海道の小樽の町で雌伏している竜次は、
精巧な贋作を描いているだけでなく、
刺青作家として、
海外に招かれ、
そのカタログとして
全身に刺青を入れた女性の裸体を見せ、
そこから作品を選ばせるという噂。
その女性は入水自殺した。
そして、竜次はあざみという若い女性の体に
刺青を入れることを求められている。
自殺した女性は竜次に見限られて死んだらしい。
小樽の隠れ家のアトリエで
狂気のように作品に挑む竜次の姿。
しかし、肺を犯され、余命いくばくもない。
その竜次のもとを安奈が訪れて、
二人は数十年ぶりに再会するが・・・
恩師の娘との古い三角関係が背後にあるのだが、
その詳細は描かれず、
全て観客の想像に委ねられる。
外国での刺青カタログの話も言葉で語られるだけ。
海外で料理人として出会った「番頭」スイケンと
竜次の関係もセリフで語らせるのみ。
シナリオの学びの中で、
「伝聞でなく、直接描写で表現せよ」
と教えられたのだが、
間接表現が多く、もどかしい。
回想という安易な手は使いたくなかっただろうが、
しかし、漁師だった父親の死については、
回想形式で描かれている。
なにより、若い時代の安奈を巡る話が
田村の絵画の贋作として露呈し、
葛藤を生むのが
本作のキモだと思うのだが。
しかも、真作より贋作の方がすぐれているという、
手の込んだ復讐。
その視点はいつの間にか外れ、
天才狂気の画家の創作への執着に話が移ってしまう。
そもそも、いかにキャンバスを買える金がないとはいえ、
人の描いた作品を塗りつぶして
自分の絵を描くなど、許されていいのか。
他の絵描きに対して一番やってはいけない事ではないか。
(これは前例がある。
洋画家の中川一政が
師事していた岡本一平の絵の上に
自作を書いて、後年明らかになった出来事。
その時の岡本一平の言葉。
「自分より優れていたら、仕方がない。何も言えない」)
しかも贋作の言い訳がひどい。
「少し、手を入れて画の質を上げてやっただけだ」とは。
映画「アマデウス」で、
サリエリが作った曲を
モーツァルトが、あれよあれよとうい間に
もっと素晴らしい曲に仕上げてしまう場面を思い出した。
竜次の贋作は、インターポールに追われているという。
それほど沢山の贋作を作り、
「ゴッホもドガもダ・ヴィンチも越えた」と豪語する。
ゴッホとドガはまだしも、
技法の違うダ・ヴィンチと比べること自体が
間違っていないか。
演技的にも違和感がある。
まず、石坂浩二と本木雅弘が同期の画学生とはいかがなものか。
年齢が違い過ぎる。
(石坂83歳、本木58歳)
数十年前の思慕を引きずる安奈を演ずる小泉今日子も
的確な演技とはいいがたい。
竜次の「番頭」を自称するスイケンの中井貴一も変。
何で年上の大家・田村に対してあれほど高圧的なのか。
倉本聰は、演ずる役者によって台詞を書き換えると言われるが、
中井貴一に「わし」と言わせるのはどうなのか。
もっと高齢の俳優に演じさせるつもりだったのではないのか。
刺青を彫る対象のバーテンダーのアザミという女性もはっきりしない。
「やすらぎの刻~道」にも女性バーテンダーが登場し、
アザミとい若いシナリオ作家志望の女性も出て来る。
何か執着があるのか。
風邪を引いた竜次をアザミが裸になって温めるというのも、
老人の願望を表したようで、いただけない。
年齢や役柄がフィットしていないのは、
お気に入りの俳優ばかりを使った
山田太一の二の舞ではないか。
ただ、本木雅弘だけは、
孤高の画家を見事に演じ切った。
表情、立ち居振る舞いが
雰囲気を醸しだす。
あれなら、過去の画壇からの追放などものともせず、
贋作などに走らず、
自分の絵を貫けたのではないか。
「沈まぬ太陽」や「Fukushima 50」の若松節朗が監督だが、
全体的に半端な印象で、
後半の描写は、やや大仰。
竜次が本当に描きたかったものが、
父親がマグロ漁に出て遭難した時、
浜辺に焚いた大きな迎え火だったというのもなんだかなあ。
それに、キャンバスに血を吐いたら、
絵の完成は不可能ではないか。
かつて「神様」と崇めていた方の作品を悪く言いたくはないが、
久々の「降臨」は成功とはいいがたい。
倉本聰89歳。
遺作にならなければいいが。
この映画の感想レビューの中に
次のようなものを見つけた。
ごめんなさい。
難しすぎてよくわかりませんでした。
誰にも共感できなかった。
あまりにも率直な感想で、
ほほえましくさえ感じた。
5 段階評価の「3」。
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