カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

・アシオ事件

2014年12月02日 | ☆その他いろいろ 

 たとえば足尾鉱毒事件というものがある・・・などという話を書き始めようとして、でも、足尾鉱毒事件のことなんてよく知らないし、あくまでもたとえなんだからと思って、「A鉱毒事件」ということにしようかとも思ったのだけど、そうしちゃうと、なんかアガサ・クリステイーみたいだなと思ったりもして、じゃあ、「アシオ事件」ということにしてみようと思いました。
 今回は、そんなお話です。


 アシオ地区では江戸時代から銅が採掘されていたが、幕末には廃山同然となっていた。明治期になると、明治政府から払い下げをうけたフルカワが採鉱事業を再開する。近代技術を導入し、新たな鉱脈が発見されたということもあって、東アジアで最大の銅の産地になる。銅は、日本の主要輸出品になった。
 その一方、排煙や鉱毒ガス、排水に含まれる鉱毒は付近の環境に多大な被害をもたらす。ワタラセ川の鮎が大量死し、近辺の田畑では稲が立ち枯れするようになる。酸性雨により近辺の山は木を失い、土壌を失い、流出した土砂が下流で滞積し、再三の洪水をもたらす。近隣の村は次々と廃村になっていく。
 こうした状況に対し、農民たちが蜂起、抗議運動を始めるが、その中心人物となったのがタナカで・・・という話を始めると、テーマから逸れてしまうことになるので書かないことにします。


 今回の記事で書きたかったのは、こうした場合の被害者をどう扱えばいいだろうかということなのですよ。
 加害者については、どれだけ悪口を言ってもきりがないくらいなんだけど、その一方、その立場や状況について弁護めいたことを書くこともできると思います。あるいは、国の経済が大きく発展したなどということを書くこともできると思います。
 被害者については、どうなのか。まあ、被害者はかわいそうだということになると思います。ほとんどの方が亡くなられているわけですが、その慰霊碑みたいなものがあるのであれば、みんなでお参りし、同じような被害が二度と起こらないように努力することを誓わねばならないと思います。
 こうした被害者に対して、「お前たちみたいな者が御国の発展のために役に立ったのだから、有り難いと思え。」などと言う人はいないでしょう。加害者側の人たちの中にはそう思っている人がいるかもしれませんけど、それを口にすることはないと思います。
 加害者たちが、自分たちの立場を肯定したいのであれば、言葉遣いには気をつけるはずです。「アシオ事件で亡くなられた方々は、御国の発展のために自らの命を捧げた尊い方々です。英霊です。国民みんなで感謝し、鎮魂しましょう。」などということになるでしょうか。
 仮に、加害者たちがそのようなことを主張するために鎮魂碑のようなものを建てたのだとしたら、そこへは絶対に行ってはいけないと思います。それは、加害者たちを肯定することになります。


 ・・・と、これくらいにしておきますか。
 自らが犯した犯罪の被害者たちを英霊として祭り上げ、そのことによって自らの立場を肯定しようとする人たち。あまりにも汚いというか、卑劣というか、狡猾というか・・・などということは書かないことにします。


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2 コメント

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Unknown (上総)
2014-12-03 00:37:32
足尾は何度も行っている興味深く読ませて頂きました。
当時の人は鬼籍の人となり、歴史の中に残るだけになりました。
銅は採れなくなりましたが、
古河は今も、町の基幹産業を担っているようです。
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上総さん、こんにちは。 (カエサル)
2014-12-03 09:08:30
 足尾・古河ということになると、極めて現実的な問題になっちゃいますね。足尾の人たちの前で古河の悪口なんか言ったら怒られちゃうかもしれません。
 そんなことまで考えていたわけではないのですが、アシオ・フルカワということにしておいてよかったかなという気がします。
 でも、あらためて、歴史問題の難しさということを考えてしまいました。


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