最初にお断りしておきますが、その感想を書こうというわけではありません。この作品に登場する「摩利信乃(まりしの)法師」というのが気になってしょうがないので、その話を書こうと思うのです。この作品は未完のまま終わっていて、摩利信乃法師については謎だらけなのですよ。
この記事では「カエサルが考えるところの摩利信乃法師」というのを書きたいと思っているのだけど、芥川先生の描いた摩利信乃法師からはだいぶ離れてしまうことになると思うので、「マリシノ」と表記することにします。芥川先生の摩利信乃法師について言及するときにも、原作を読み返したりはせず、あえて記憶だけに頼って書きたいと思います。
当然、あちこちから反発が起こってマリシノに襲いかかるような人も出てくるわけですが、誰もマリシノを傷つけることはできません。ここがマリシノの凄いところで、カエサルは「絶対防御能力」と呼んでいます。
たとえば、ある人がマリシノに棒で殴りつけようとします。すると、ふいに手の力が抜けて、棒を取り落としてしまうのですよ。その棒を拾い上げてさらに殴りかかろうとすると、今度は膝の力が抜けて、転んでしまいます。なおかつ立ち上がり襲いかかろうとすると、太腿がこむら返しを起こします。それでもマリシノへの害意を捨てないでいると、みぞおちに激痛が走ります。
苦痛にのたうち回り、襲撃することを忘れると、激痛は止みます。再び襲撃しようと思えば激痛も再開しますが、襲撃をあきらめれば激痛は起こらず、手足には何の支障もなくなります。
すでに、芥川の「摩利信乃」を離れ、カエサルの「マリシノ」になっています。でも、こういうの、いいと思うのですよね。
ふいに手足の力が抜けるとか、痺れるとか攣るなどということは、誰にでもあることです。そういうことが、マリシノに害を為そうとする者に起こってしまうわけです。偶然と言えばただの偶然です。まず、そういう感じがいいと思いました。
自分に害を為そうとする相手、つまり「敵」がいれば、その行動を阻止しなければならないわけですが、そのために暴力を振るというわけではないのです。
殴られたから殴り返したのか、殴られそうになったから先に殴ったのか、とか、そういう問題ではありません。マリシノは、暴力を振るわないのです。このことは、ものすごく魅力的なことに思えました。
たとえば、宇宙怪獣とかが現れて、街を破壊し始めるわけです。そこに、スーパーヒーローとかが現れて、その怪獣をやっつけるわけです。たいていの場合、その怪獣を殺してしまいます。それはそれで結構なことではあると言ってもいいと思うのだけど、殺されてしまう怪獣ってかわいそうではないかと思ってみたりもするのです。
現実の話、たとえば、住宅街にクマが出現して、そのクマを射殺してしまうという話があったりするわけですけど、そういうところにまで話を広げるつもりはありません。とにかく、マリシノは「敵」をやっつけたりしないのです。
このようなときは、襲撃者たちに幻覚が起こります。天空から軍団が襲いかかってくるのです。それに怯えてマリシノへの害意を放棄すれば、幻覚は止みます。襲撃者たちに恐怖感は残りますが、身体には何の後遺症も残りません。
これらのことは、マリシノ自身がやっていることではありません。マリシノを守ろうとして「天上皇帝」がやっていることです。「天上皇帝」というのはよくわからないのだけど、「天上界でいちばん偉い人」という程度の意味ではないかと思います。まあ、神様ですね。
この時代に鉄砲などというものはないわけですが、もし、最新鋭のライフル銃でマリシノを狙撃しようとしたらどうなるだろうかと考えてみたのだけど、まず、無理ですね。指が震えたりして、ひきがねが引けなくなると思います。なおかつ狙いをつけようなどとしたら、手足に激痛が走るようになると思います。ロケットやミサイル、戦車や戦闘機を使ってみても、やはり、無理だろうと思います。
毒殺を試みる、とか、何かの罠をしかけるというのもムダだろうと思います。なにしろ、マリシノ自身が自分を守ろうとしているのではなく、天上皇帝が防御しているわけです。マリシノ自身は、自分に対する害意に気づく必要さえないのです。無敵です。
それに、マリシノには「事故」も起こらないと思います。「病気」にもかからないと思います。
ただし、「老衰」については微妙です。マリシノは不老長寿だという気もするし、ある程度のところで寿命が尽きて、その後「代が変わる」という気がしないでもありません。初代のマリシノが亡くなった後、その後継者が現れたりするわけです。2人目・3人目のマリシノが登場するという可能性もあると思うんですよ。
芥川先生の摩利信乃法師は、日本で生まれて、中国や印度で修業をして、超絶的な法力を身につけたということになっています。その過程が曖昧だということもあり、このような法力を身につけたのが摩利信乃法師一人だけではないという可能性もあるわけです。世界各地にマリシノのような人が存在したとしても不思議ではありません。
カエサルは日夜そういうことを考えていて、キリがありません。
とりあえず、マリシノには老化も起こらないということにします。かつ、マリシノのような人は1人しかいないということにします。
話を、平安時代の日本に戻しましょう。
この作品、基本的には、「平安貴族の色恋沙汰」の話だと思うんですよ。でも、これだけの超人を登場させてしまって、その能力を大衆の面前で披露させてしまうと、そうしたお話を続けるのは無理ですよね。
小説家・芥川龍之介、その生涯で唯一の失敗と言ってさえいいんじゃないかと思っているんですけど、まあ、それはそれとして、その後のマリシノがどうなるのかについてカエサルなりに考えてみました。
マリシノは、仏教や神道を「天魔外道の類」として攻撃しているので、これらのものは日本からなくなってしまうと思います。宗教的には、マリ教の一宗独裁体制ができあがるということになります。
ただし、マリシノには政治的な野心がないみたいなので、天皇家を中心とした貴族制度は存続することになると思います。貴族たちはマリ教に帰依するということになりますが、もちろん、その信仰の程度に温度差はできると思います。
マリシノは、最澄や空海、平将門や藤原純友とは接点がなかったけど、藤原道長とは何らかの関わりがあっただろうと思います。道長との間に抗争めいたものが生じたという可能性もありますが、マリシノに抗えるような者の存在というのはちょっと考えられません。抗争を避け、巧妙に振る舞ったとしても、道長が強大な政治権力を手にするということはなかったと思います。
前九年の役・後三年の役などということも起こらないと思います。安倍氏も清原氏も源氏もマリ教徒になっていますからね。いろんないざこざはあるだろうけど、戦役と呼ばれるようなものにはならないんじゃないかという気がします。
平清盛がどうなるかということについては、2通りの推測をしています。1つは、マリシノに反感を持つ貴族が清盛を使ってマリシノを亡き者にしようと企てるというものです。もちろん、清盛たちは打ち破られ、平家は滅亡してしまいます。もう1つは、逆に、清盛が熱心なマリ教徒であったというものです。反マリシノ派の貴族や武士が落ちぶれていく中で、平家は全盛を極めることになります。
いずれにしても、鎌倉幕府などというものはできません。室町幕府も、江戸幕府もできません。
マリ教の最初の信者は浮浪者たちで、マリシノも彼らと一緒に生活しています。強大な宗教勢力を形成するようになっても、マリシノが宮殿にこもって贅沢な暮らしをするっていうのはイメージしにくいんですよね。全国行脚などをしながら、市井の人々、特に、貧民や浮浪者などと暮らし続けるんじゃないかという気がするのです。そうなると、平安政府としても、貧民をないがしろにするような政策はとりにくくなって、結果として、社会福祉の充実した国になっていくんじゃないかという気がするんですよ。
蒙古の来襲は受けたでしょうけど、天候云々がなくても、マリシノがいればこの国は安泰です。朝鮮に出兵するようなこともしません。鎖国はしないので、開国を迫られるということもありません。韓国を併合することもないし、中国やロシアと戦争することもないと思います。世界大戦に加わるなどということもしません。もちろん、中国を侵略しようなどとはしません。
マリシノがいれば、日本が戦争をしないというだけではなく、世界中のどの国にも戦争をさせないということができるような気がします。でも、そのへんのところまで視野に入れてしまうと、日本史だけじゃなく世界史の勉強もしなければならないし、カエサルの想像力は限界です。
このへんで、おしまいにしておきます。
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