例によって、感想めいたことを書くつもりはありません。
でも、「仙台」について語ってしまおうかと思ったりしています。
ええ?と思う人もいるだろうけど、カエサルの中ではそうなるんですね。
伊坂さんの作品は仙台市を舞台にしているという特徴があるわけで、仙台市民としては、ああ、あそこだ・・・みたいな、一種独特の楽しみを味わうことができます。
そうした楽しみを最初に味わわせてくれたのが、瀬名さんの『パラサイト・イブ』だったんですね。・・・などと書きながら、写真には写ってないわけですけど、例によって、どこかに行っちゃいました。
瀬名さんの『パラサイトイブ』も、伊坂さんの諸作品も、ある意味、荒唐無稽な物語です。そういう物語が、勝手知ったる仙台を舞台に展開されると、何か、実に奇妙なリアリティーがあるんですね。
それに、瀬名さんや伊坂さんの描く仙台は、カエサルの感覚にしっくりとはまるのですよ。どうしてなんだろう・・・なんてことを考えたことがあります。
瀬名さんは静岡県静岡市、伊坂さんは千葉県松戸市の出身で、大学に入学して仙台市に住むようになった・・・んだと思います。カエサルも同じ境遇にあるのだけど、こういう場合、仙台が「初めての街」ということになるんじゃないかと思うのです。
瀬名さんにも伊坂さんにもカエサルにも「生まれ育った街」というのはあるわけですけど、生まれ育った所というのは空気みたいなもんで、離れてみて感じることとかはあるかもしれないけど、無色透明無味無臭みたいな存在だという気がするのです。何もかもがあたりまえで、知らないうちから知っていたみたいな感じかな。
大学に入学して暮らすようになった街というのは、ものごころがついて、大人と言ってもいいくらいの年齢になって、親元を離れて、一人暮らしを始めた街ということになります。しかも、4年間は暮らすことになります。大学受験のときに生まれて初めて来たような街で、青葉通りとか、広瀬通りとか、地図を見ながら覚え、市役所とか銀行とかを利用するようになったり、お酒を飲みに行くようになったりしているうちに、いつのまにか「自分の街」になってしまいます。人生の中で、かなり強烈なイメージを植え付けられる街だと思うんですね。
瀬名さんや伊坂さんとは、そうした感覚を共有しているんじゃないか・・・というのがカエサルの仮説です。
佐藤さんは、仙台のこと、ほとんど書きませんね。デビュー作の『ジャガーになった男』が、ちょっとだけ仙台と関係があるというくらいかな。それも、支倉常長の時代の話だしね。
佐藤さんの場合は、たぶん、瀬名さん、伊坂さんとは違うんだね。山形県の出身なので、子どもの頃から仙台のことを知っていたんじゃないかと思うんですよ。たぶん、青葉通りや広瀬通りのことを大学生になってから地図で調べたりはしなかったんじゃないかと思います。
でも、佐藤さんの描く仙台も読んでみたいですね。いつか、書いてちょうだいね。
勝手なことを書いちゃいました。事実と異なるようなことを書いちゃったかもしれませんけど、そういうときは、ごめんなさいです。
まあ、読書なんてものは、勝手に読んで、勝手なことを考える。そういうもんだと思うんですよ。それが「感想」とか「評論」みたいなことになると、意見の食い違いとかが出てきたりして、それが面白いと言う人もいるだろうけど、カエサルとしては面白くありません。感想でも評論でもなく、勝手なことだけを書きたいと思っています。
・・・というわけで、カエサルくんの読書シリーズ、しばらく続けるつもりでいます。「☆読書」というカテゴリもつくっちゃいました。
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