カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

・50年前の話(その1)

2014年06月25日 | ☆その他いろいろ 

 たいしたことじゃないんですけどね。カエサルは、今、56歳なんですよ。今年、誕生日が来れば、57歳になります。・・・ということは、50年前は、6歳から7歳になるところ。小学1年生だったわけですよ。
 だから何なんだと言われれば、何でもありません。最初から「たいしたことじゃない」と断っているじゃないですか(笑)
 でも、せっかくなので、子供の頃の話、小学校に入る前の話をしてみたいと思います。記憶は曖昧なんだけど、この後、時間が経てば経つほど、さらに曖昧になっていくだけなので、今のうちに書いておこうかなと思ったわけです。
 何度も言うようですが、記憶は曖昧です。おそらく、自分にとって都合の悪いことは忘れていたり、無意識のうちに改変していると思います。そのへんは、ご容赦ください。

 なお、画像は本文の内容と1ppmほどの関係もありません。
 それから、長文です。


 カエサルは、茨城県の潮来町(現・潮来市)で生まれました。生家は豆腐屋です。・・・と、そんな具体的な話まで書く必要があるのかな・・・っていうか、書くとまずいんじゃないかなと思ったりもするわけですけど、まあ、いいや。書いちゃいましょう。
 豆腐屋と言ってもけっこう大きな商売をしていたみたいで、何人かの人を雇っていました。そうした人たちが仕事が終わった後も残っていたのか、あるいは、夕食をとった後で再びやってきたのか、とにかく、夜もいました。働いていた人だけじゃなくて、近所の人とかもいたのかな。毎日ということではなく、ときどきということなのかな。そうしたことはよくわかりませんけど、テレビを見に来ていたんだと思います。
 この頃のテレビ、まだ、アニメはなかったと思います。「鉄腕アトム」とか「鉄人28号」とかは、まだ始まっていませんでした。「少年ジェット」「月光仮面」「快傑ハリマオ」みたいな実写ドラマはやっていて、見たという記憶はあるのだけど、ひょっとすると、「懐かしのテレビ番組」とかで見たのと混同しているのかもしれません。少なくとも、少年ジェットや月光仮面がカエサルのヒーローだったということはなかったと思います。
 このへんは記憶違いかもしれないけど、「金曜ロードショー」というのがあったんですよ。淀川長治さんが「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」というやつ・・・と、調べてみたら「土曜洋画劇場」ですね。その後、「日曜洋画劇場」になったそうです。
 この土曜洋画劇場では、ディズニーのアニメなんかもやっていたわけです。来週は○○○○だよ、なんて言われて楽しみにしていると、お客さんが来ていて、プロレスだか、プロ野球だかを見せられることになって、悲しかったという記憶があります。
 このへんは全くの想像なのだけど、「ずっと楽しみにしていたのに、どうして見られないの?」みたいなことを言って、「お客さんなんだから我慢しなさい」みたいなことを言われて、「お客さんなんか、来なければいいんだ」みたいなことを言って、叱られたり、慰められたりしたんじゃないかな。そういう記憶があるわけというわけじゃなくて、あくまでも想像ですけどね。
 それと、覚えているのは「わが谷は緑なりき」という映画のことです。1941年制作のジョン・フォード監督作品ということなんだけど、母だったか、叔母だったかがすごく褒めていて、すごく楽しみにしていたわけです。それで、よっぽど面白いんだろうなと思って楽しみにしていたんだけど、4歳か5歳くらいの子供が見て面白いはずはありません。すごくがっかりしたという記憶があります。「ワガタニワミドリナリキ」という文語調のタイトルが面白かったということもあるような気がします。

 テレビのついでに、電話機の話。
 これは、おぼろげなイメージがあるだけなんだけど、電話機があったと思うのですよ。大きな木製の箱に受話器みたいなのがついているんだけど、話すところと聞くところが別々だったような気がします。たぶん、マイクに相当するものは箱に固定されていて、スピーカーに相当するものにコードがついていて耳に当てることができるというしくみだったんじゃないかという気がします。
 その電話機を誰かが使っているところを見たという記憶はないのです。電話の普及率が極めて低い時代だったから、めったにかかってくることもなかったし、かけるところもなかったんじゃないかという気がするわけです。あるいは、そのようなものがあったというのはカエサルの気のせいで、電話機というものがなかったという可能性もあります。


 この頃、その生家である豆腐屋にどういう人たちが住んでいたのかというと、よく覚えていないんですよ。父や母のことも、この頃の父や母という意味では、ほとんど覚えていません。兄や妹についても同様です。まあ、いるのがあたりまえ、空気みたいな存在だったんでしょうかね。
 ただ、曾祖父がいたということは記憶にあるんですよ。すでに寝たきりの状態だったんじゃないかな。たぶん、その部屋に入ってはいけないと言われていて、でも、入ってしまって、すごく怒られたという記憶があるのです。あるいは、曾祖父は怒ったつもりではなかったのだけど、カエサルとしては怒られたのだと思ってしまったという可能性もあります。お話としては、その方が面白いですね。
 曾祖父の葬儀のことも、少しだけ記憶があります。誰も遊んでくれなくて、泣いてしまって、慰められたり、怒られたりしたような気がします。
 曾祖父、祖父母、父母、兄妹の他に、3人の叔母が同居していたはずなのですが、そのへんのところもよく覚えていません。東京の短期大学に行ったり、結婚したりというイベントがあったはずなのだけど、まったく記憶にないんですよ。
 これは、あくまでも「仮説」なんだけど、当時のカエサルは、家族とか、家で働いている人とか、近所の人とかを識別できていなかったんじゃないかという気もするんですよ。3歳児とか4歳児とかくらいでの認識能力、発達心理学とかではどうなっているんでしょうかね。

 隣の家にT君という同い年の男の子がいました。T君とは、その後、小中学校も同じだったのだけど、9年間、一度も同じクラスにならなかったし、特に仲がよかったというわけではなく、仲が悪かったわけでもありません。
 T君のことで覚えているのは、水鉄砲で遊んだことですね。T君が、当時としては最新型のプラスチック製の水鉄砲を買ってもらって、それで遊ぼうということになったわけです。バケツに水を汲んできて、チューチュー、ピューピューと遊んでいたわけだけど、カエサルは、それだけではつまらなくなってきて、「毒水」を入れて撃とう・・・なんてことを言い出したわけです。
 「毒水」というのは、バケツの水に土を入れて、その濁った水、泥水ですね。それを水テッポウに入れて撃ってみようということだったのですけど、T君は嫌だと言って、泣き出してしまいました。そこで、大人たちの出番ですね。カエサルが叱られて、カエサルが泣き出してしまいました。
 でも、カエサルは、どうしてT君が泣いてしまったのか、どうして大人たちから叱られるのか、わかりませんでした。「毒水」とは言っても、本当の毒ではなくて、ただの泥水なのに・・・なんて思っていたわけです。T君も、大人たちも、泥水だからダメなんだという説明をしたはずなんですけどね。感情的になっているカエサルには聞く耳がありません。ワンワンと泣くばかりだったんじゃないかな。

 カエサルは、4歳から幼稚園に通うようになったのだけど、T君は5歳からのコースだったんだと思います。同い年なのに、一緒に幼稚園に通えなかったわけです。すごく悲しかったというか、一人で幼稚園に行くのが恐かったんでしょうね。どーしてなの、どーしてなの、どーしてなの・・・などと言っていたんじゃないかと思います。
 幼稚園には知っている子が一人もいなくて、なんか淋しかったという印象がありますね。でも、園長先生とか、その奧さんのH先生とか、その他の先生たち(ごめんなさい、名前はまったく覚えていません)にやさしくしてもらって、それほど嫌な思いをしたという記憶はないんですよ。
 でも、友達はできませんでしたね。小学校あるいは中学校に入ってから「お前とは幼稚園のとき一緒だったんだぜ」なんて言われたことはありますけど、全然覚えていません。


 幼稚園で覚えていること(その1)
 あるとき、ある女の子から呼ばれたんですよ。話をしたこともないし、名前も知らない女の子だったんだけど、かわいい女の子だったと思います。呼ばれたときに嬉しかったという記憶はあります。
 行ってみると、耳を貸して、みたいなことを言われました。内緒話をする、みたいなことですね。あえて断るような理由もないので、耳を彼女の方に向けたわけです。そうしたら・・・と、そこからがよくわからないのだけど、まあ、とりあえず、つばを吐かれた、ということにしておきましょう。
 呼ばれて、耳を貸してと言われて、つばを吐かれたわけです。とんでもない話ですよね。でも、そのときはよくわからなくて、ひょっとしたらキスをされたんじゃないかと思ったりしました。怒ることもできなかったし、喜ぶこともできませんでした。
 まあ、カエサルのヰタセクスアリス第1号ということになるんじゃないかな。

 幼稚園の思い出(その2)としては、おしっこをもらしてしまったというのがあります。
 お絵かきの時間だったんですよ。カエサル、絵を描くのは好きだったし、得意だったんですね。一生懸命に書いていたんですよ。でも、その途中でおしっこに行きたくなってしまったんですね。悪いことに、「先生、おしっこ!」などとは言えない子供だったわけです。もじもじもじもじ、我慢しながらお絵かきを続けていたわけです。
 その様子を見ていた先生が、「カエサルちゃん、おしっこしたいんじゃないの?」なんて声をかけてくれたわけです。でも、カエサルは、「ううん」とか言って、首を横に振っちゃうわけですよ。何なんでしょうね。子供特有の心理とかいうようなことではなくて、大人でもよくあるような気がするんですよ。カエサルは還暦近くなってもやってるような気がします。「たいへんでしょう?」とか言われて、「いやぁ、そんなことないですよ。あっはっは」とかね。
 「おしっこ行きたいんじゃないの?」と聞かれたのに否定してしまうというのを何回か繰り返しました。「トイレに行きましょう」と言われて、立たせられようとして、拒否したかもしれません。そして、限界が来ました。教室の中、みんなでお絵かきしている中で放尿してしまいました。

 幼稚園の思い出(その3)としては、登園拒否でしょうか。
 あれやこれやがあって、それほど楽しい幼稚園生活ではなかったわけですけど、だからと言って、特に嫌だったというわけでもありません・・・と思うんですけどね。実は嫌だったんだけど、そうした思いを抑圧しているという可能性はあります。まあ、こんなところで幼稚園児の心理分析を始めたらキリがないので、話を先に進めましょう。
 ある日、突然、「幼稚園に行かない」と言い出したのですよ。どうしてなのかはわかりません。どの時期だったのかもわかりません。
 これは、想像ですけど、「何か、幼稚園に嫌なことでもあるの?」なんて聞かれたんだと思います。「嫌なことがあるわけではない。幼稚園に行かねばならないという必然性を感じないから行かないのである」といったような意味のことを答えたんだと思います。たぶん、何かが嫌だったんだと思うんですけどね。つばを吐かれたことかもしれないし、おしっこをもらしたことかもしれないし、あるいは、抑圧されて記憶に残っていないような出来事があったのかもしれません。
 このときのことで覚えているのは、父から叱られたということですね。一般的なことなのか、カエサルに特有のことなのか、父とはあまり話をしたという記憶がないのですよ。褒められた記憶もないし、叱られたという記憶もないのです。でも、このときは叱られました。「親の言うことを聞けないのか」という意味のことを言われた記憶があります。誰のおかげでごはんが食べられる、誰のおかげで服を着ることができる・・・みたいなことですね。そうした会話を覚えているわけじゃないんですけど、結果として服を脱がされたということは覚えています。たぶん、「脱げ」と言われて、「うん」と答えて、素直に脱いだんじゃないかな。たぶん、「脱げ」と言った方は本気で脱がすつもりじゃなかったと思うんですよ。本当に脱いでしまったので、びっくりしたんじゃないかな。
 夏だったんですかね。全裸になっても、寒かったという記憶はないんですよ。裸で恥ずかしいという気持ちがなかったわけじゃないけど、居直ってしまったというか、大人たちをびっくりさせてやりたかったという気持ちもあったんじゃないかな。まあ、平気でした。考えてみるまでもなく、嫌な子供でしたね。
 今にして、あらためて考えてみると、両親から殴られたり蹴られたりということはありませんでした。このときも、裸にされたということにはなるんだけど、それだけ。それを平然と受け止めてしまったものだから、なんか、膠着状態になっちゃいました。豆腐店に働いている人たちから「カエサルちゃん、寒くないかい?」「ううん、平気だよ」みたいな会話をしていたような気がします。
 そういうタイミングで、幼稚園の先生が訪ねて来てくれたんですね。これは、両親が困ったと思います。恥ずかしいですよね。子供を全裸にして、今なら虐待ですよね。それでいて、言うことを聞かせられないわけで、面目がなかっただろうと思います。当時のカエサルも、そうしたことは感じたんだと思います。そういうことがわからない子ではなかったと思うのですよ。そう思いたいだけなのかもしれませんけどね。明日からは行く、ということで、落着しました。


 カエサルが5歳か6歳のときのことだと思うんだけど、引っ越しをしました。
 生家から数百メートルのところに家を建て、父母兄妹とカエサルの5人が移り住んだのです。生家とは子供の足でもほんの数分という距離なので、しょっちゅう行き来していたんですけどね。
 この引っ越しは、カエサルが幼稚園に通っているときだったと思うのです。幼稚園へは、生家から通ったという記憶もあるし、新しい家から通ったという記憶もあるんですよ。でも、それが勘違いじゃないかという気もするんですけどね。
 6歳のときの冬だったと思います。雪が降ったんですよ。すごい雪でしたね。幼稚園児の膝近くまで積もりました。もちろん、生まれて初めての大雪です。
 母からは「幼稚園に行かなくていいよ」あるいは「行っちゃダメだよ」と言われたんだと思います。でも、カエサルとしては行きたかったわけです。せっかくの大雪なのに、家の中に閉じこもっているなんてもっていないという気持ちがあったんだと思います。あるいは、行くなと言われたから逆らいたかったというのがあったのかもしれません。とにかく、家を出て、幼稚園へ向かいました。
 たいへんでした。最初はともかく、途中で泣きそうになりました・・・と、そこまでの記憶はないのだけど、たぶん、そうだったんだと思います。雪の中を歩いていて楽しかったという記憶はありません。
 その途中で、幼稚園の先生が迎えに来てくれて、「今日はお休みにしたのよ」という話をされたんじゃないかと思います。相前後して、母か誰か(たぶん、叔母)が追いかけてきてくれて、連れて帰られたんじゃないかという気がします。当時、新しい家に電話があったかどうかはともかく、電話のない家も多かったわけで、そうした連絡とかはてんやわんやだったんでしょうね。
 カエサルとしては、泣きそうになっていたくせに、「幼稚園に行きたかったのに、行けなくて残念だ」みたいな強がりを言いながら帰って行ったのではないかと思います。そんな子供だったような気がします。

 ・・・と、このへんでやめておきましょう。
 このままだと、小学校編に突入してしまいます。幼稚園でおしっこをもらしちゃった話はともかくとして、小学校で大きいのをもらしちゃった話なんて恥ずかしくてできません(笑)

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