今年100歳を迎えた裏千家大宗匠の本。
偶然、図書館で見つけ、拝読しました。
具体的な例を挙げて書かれたエッセイのようなお話の数々。
とてもわかりやすく、しかも、本当にそうだ!と思うことばかりでした。
茶道とは?
奥深くためになる茶の湯の名言
日本人の生き方
なぜ点前、作法を学ぶのか。
私はこれまで、
難しいと思いながらも点前を学び、茶道を続けているとある時、視界が開ける時がくる
とブログでお伝えしてきました。
でも、習ったことのない方には、
視界が開けるって何?
一体いつなの?
と思われたのではないでしょうか。
何故、点前、作法を学ぶのか。
大宗匠の答えは、
「点前という型を繰り返し行ううちに、亭主や相客、道具の作り手、農家さんへの感謝が身に染みてわかってくる。つまり、心が生まれ、育っていく。」
これを読んで、視界が開けるというのはこれだ!と思いました。
最初は言われるがままに手を動かして点前を繰り返し頑張って覚えるわけですが、
次第に考えなくても手が動くようになると、心が落ち着き、余裕がでてきます。
お点前がいかに練られて作られた型であるか、に気づきます。
そして、このお点前をするために色々な方が関わっていることも感じます。
茶室にお客様がいらして、道具があり、お抹茶や湯や水があるからこそ、お点前ができます。
最初は自分のためにお茶を点てる作法を覚えようとしますが、徐々に美味しいお茶をお客様に点てたいと思うようになります。
準備や片付け、お道具にも心を向けるようになります。
まさに型を繰り返し行ううちに、心が生まれ、育っていくのです。
茶の湯とは一体何か?
大宗匠曰く、
「一碗のお茶がのどの渇きだけでなく、心の渇きも癒してくれる。
私たちの心は知らないうちに汚れが溜まっていく。
その苦しみを軽くするには、ありのままの自分を見つめ、己の心を磨く努力をするしかない。
それは、自分の力だけで成し遂げるのは難しく、何かの力を借りる必要がある。
その何かは、人によって宗教かもしれないし、武道かもしれない、個人的な趣味かもしれない。
何も思いつかない人には茶道を勧めます。
茶道では、お茶を点て飲むことによって、主客がお互いに尽くし、譲り合い、支え合います。そこに幸せが生まれます。人間は自分一人では人は幸せにはなれない。
茶の湯とは、人間が歩まねばならない道のりを示す灯火である。」
結びに、
『お茶席では、亭主は客のため、客は亭主のために心を砕きます。
「あなたがお幸せでありますように」、ただその一念で相手に仕えるのです。
これが、日本が世界に誇るおもてなしの本来。
さらには、お点前を習うたびに立ち居振る舞いはより美しくなり、洗練されていきます。
つまり茶の湯には、日本人が日本人であるための規矩作法の一切があるのです。・・・・
また、一碗のお茶を前にした時、人と人とが区別も差別もなくつながります。・・・・
みなさんが日本と世界に今一度向き合い、よりよき未来を創造してくださるきっかけとなったなら、これほどの喜びはありません。
今を大切にしてこそ未来があるのです。今の瞬間が大切です。
今を生きていてこそ、あなたに明日が開かれるのです。
自分を大切に、相手をともなって生きてください。』
先の戦争で特攻という数々の死を間近に見てきた方の言葉ゆえに特に強い思いを感じます。
そして、これを読んだとき、先日『茶遊庵』に体験にいらして入会された女性が、
「出会って素敵だなと思う方が全員茶道を習っていたので、私も習ってみたいと思って来ました」
という言葉を思い出しました。
私も長く茶道を学んできて、一服の茶は自身を成長させ、人と人を繋げる力があると思います。
そして、一服を点てる作法(道)には、人として生きる、日本人として生きることを学ぶために大切な要素が沢山含まれている、一生続く学びだと思います。
茶道は人が歩むべき道を照らしてくれる灯火となる。
そんな茶道に是非触れて頂きたい。
そして、好きだなと思ったら、細く長くでも続けてみてほしいです。
何かがある時見えて視界が開けて、心が整っている、育っていると自分で納得できると思います。
願いを込めて、『茶遊庵』のお稽古を続けていこうと思っております。
一服の茶をご一緒に。
是非お越しくださいませ。
裏千家大宗匠 一盌からピースフルネス
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/ca86382eb8b93b92b595d9306e90d00c
茶遊庵HP
https://sayuuan.amebaownd.com/
『茶遊庵』での新しい気づき
偶然、図書館で見つけ、拝読しました。
具体的な例を挙げて書かれたエッセイのようなお話の数々。
とてもわかりやすく、しかも、本当にそうだ!と思うことばかりでした。
茶道とは?
奥深くためになる茶の湯の名言
日本人の生き方
なぜ点前、作法を学ぶのか。
私はこれまで、
難しいと思いながらも点前を学び、茶道を続けているとある時、視界が開ける時がくる
とブログでお伝えしてきました。
でも、習ったことのない方には、
視界が開けるって何?
一体いつなの?
と思われたのではないでしょうか。
何故、点前、作法を学ぶのか。
大宗匠の答えは、
「点前という型を繰り返し行ううちに、亭主や相客、道具の作り手、農家さんへの感謝が身に染みてわかってくる。つまり、心が生まれ、育っていく。」
これを読んで、視界が開けるというのはこれだ!と思いました。
最初は言われるがままに手を動かして点前を繰り返し頑張って覚えるわけですが、
次第に考えなくても手が動くようになると、心が落ち着き、余裕がでてきます。
お点前がいかに練られて作られた型であるか、に気づきます。
そして、このお点前をするために色々な方が関わっていることも感じます。
茶室にお客様がいらして、道具があり、お抹茶や湯や水があるからこそ、お点前ができます。
最初は自分のためにお茶を点てる作法を覚えようとしますが、徐々に美味しいお茶をお客様に点てたいと思うようになります。
準備や片付け、お道具にも心を向けるようになります。
まさに型を繰り返し行ううちに、心が生まれ、育っていくのです。
茶の湯とは一体何か?
大宗匠曰く、
「一碗のお茶がのどの渇きだけでなく、心の渇きも癒してくれる。
私たちの心は知らないうちに汚れが溜まっていく。
その苦しみを軽くするには、ありのままの自分を見つめ、己の心を磨く努力をするしかない。
それは、自分の力だけで成し遂げるのは難しく、何かの力を借りる必要がある。
その何かは、人によって宗教かもしれないし、武道かもしれない、個人的な趣味かもしれない。
何も思いつかない人には茶道を勧めます。
茶道では、お茶を点て飲むことによって、主客がお互いに尽くし、譲り合い、支え合います。そこに幸せが生まれます。人間は自分一人では人は幸せにはなれない。
茶の湯とは、人間が歩まねばならない道のりを示す灯火である。」
結びに、
『お茶席では、亭主は客のため、客は亭主のために心を砕きます。
「あなたがお幸せでありますように」、ただその一念で相手に仕えるのです。
これが、日本が世界に誇るおもてなしの本来。
さらには、お点前を習うたびに立ち居振る舞いはより美しくなり、洗練されていきます。
つまり茶の湯には、日本人が日本人であるための規矩作法の一切があるのです。・・・・
また、一碗のお茶を前にした時、人と人とが区別も差別もなくつながります。・・・・
みなさんが日本と世界に今一度向き合い、よりよき未来を創造してくださるきっかけとなったなら、これほどの喜びはありません。
今を大切にしてこそ未来があるのです。今の瞬間が大切です。
今を生きていてこそ、あなたに明日が開かれるのです。
自分を大切に、相手をともなって生きてください。』
先の戦争で特攻という数々の死を間近に見てきた方の言葉ゆえに特に強い思いを感じます。
そして、これを読んだとき、先日『茶遊庵』に体験にいらして入会された女性が、
「出会って素敵だなと思う方が全員茶道を習っていたので、私も習ってみたいと思って来ました」
という言葉を思い出しました。
私も長く茶道を学んできて、一服の茶は自身を成長させ、人と人を繋げる力があると思います。
そして、一服を点てる作法(道)には、人として生きる、日本人として生きることを学ぶために大切な要素が沢山含まれている、一生続く学びだと思います。
茶道は人が歩むべき道を照らしてくれる灯火となる。
そんな茶道に是非触れて頂きたい。
そして、好きだなと思ったら、細く長くでも続けてみてほしいです。
何かがある時見えて視界が開けて、心が整っている、育っていると自分で納得できると思います。
願いを込めて、『茶遊庵』のお稽古を続けていこうと思っております。
一服の茶をご一緒に。
是非お越しくださいませ。
裏千家大宗匠 一盌からピースフルネス
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/ca86382eb8b93b92b595d9306e90d00c
茶遊庵HP
https://sayuuan.amebaownd.com/
『茶遊庵』での新しい気づき
日本の道は、まさに型があってこそですね。
守破離については大宗匠も書いておられました。
型を知らずに自由にやっては形無し。
もう破の域に達しておられるんですね。
私は守=まだ型を繰り返している最中ですが、この先に何が見えるのか楽しみです。
精進致しましょう。