人間の脳の大事な機能の一つに忘れるということがあるそうだ。無意識に、あるいは意識的に記憶を消すことによって人間の脳は平衡を保っている。確かにすべての出来事を記憶していたら、あっという間にパンクしてしまうだろう。
ところが、最近は覚えていなければならないことまで忘れてしまう。パソコンの使いすぎか漢字が出てこない。読めるけれど手で書けない。俳優さんの顔は思い浮かんでいるのに名前がどうしても出てこない、ほらほらあの人!そんなことが続くと自分自身が情けなくなる。つい年のせいにしたくなるが、脳の力、記憶力というのは年齢ではないそうだ。日々の鍛錬が大切とか。
最近、若年性アルツハイマーが話題になっている。渡辺謙主演で映画にもなった。また映画“博士の愛した数式”のように自身の記憶が80分しか保てない病気もある。私たちは日々何も考えずに過ごしているが、いずれの映画も実は記憶は私たちの生活に大切な役割を果たしていると実感させるものだ。
若年性アルツハイマーは、徐々に今までの記憶を失っていく。妻は愛する人が自分を認識できなくなっていく悲しさ、夫は毎日少しずつ何かが消えていく、いつか何もわからなくなってしまうのではないかという恐怖を感じている。
80分しか記憶が保てない脳の病気は、映画の前にNHKドキュメンタリーで見て知った。自分の妻や子供のことはもちろん自分が行動した全てを80分で忘れてしまう。それなりに生活はできるのだが、記憶が残らないということは、時間の継続性が全くなく、思い出が作れないということ。生きている実感が持てないのだという。
思い出は自分の中で大切なものだ。あの時こうだったなと感じられるからこそ今を実感できるのであり、自分の成長も認識できるのだから。嫌なことは忘れたいとよく思う。けれど、それは本当の意味で無くなってしまうのではなく、薄れているだけ。いいことも嫌なことも含めて自分、だからこそ今がある。記憶がある、忘れないことこそ幸せなことかもしれない。
漢字を忘れる話で思い出したが最近は国語教育に力を入れている企業が多いという。その背景には若い人の国語力の低下がある。
小学生の頃、毎朝漢字テストがあった。10問の為に頑張って練習した。書けば書けるようになるもので子供にはその達成感がたまらなかった。小さいことだれどやっただけのことはある、英語やパソコンもいいが小さい頃は足元の国語教育にもっと力を入れてもらいたい。地道な作業や耳にしていたことが実は記憶に残っていて底力になることが多い。ゆとり教育の名のもと、知るはずの知識を耳にする機会や体験する機会が減ることはその子の可能性を小さくしてしまうのではないか。
私も含めパソコンなど便利なものが氾濫する世の中で自分の手や体を使わなくなった昨今、人間は確実に退化し始めているのかもしれない。記憶とは、自分の手で書き、口で読み上げ、耳で聞き、そうして頭に刻まれていた気がする。思い出もまた、自分の体を使った時こそ大きく心に残る。
ところが、最近は覚えていなければならないことまで忘れてしまう。パソコンの使いすぎか漢字が出てこない。読めるけれど手で書けない。俳優さんの顔は思い浮かんでいるのに名前がどうしても出てこない、ほらほらあの人!そんなことが続くと自分自身が情けなくなる。つい年のせいにしたくなるが、脳の力、記憶力というのは年齢ではないそうだ。日々の鍛錬が大切とか。
最近、若年性アルツハイマーが話題になっている。渡辺謙主演で映画にもなった。また映画“博士の愛した数式”のように自身の記憶が80分しか保てない病気もある。私たちは日々何も考えずに過ごしているが、いずれの映画も実は記憶は私たちの生活に大切な役割を果たしていると実感させるものだ。
若年性アルツハイマーは、徐々に今までの記憶を失っていく。妻は愛する人が自分を認識できなくなっていく悲しさ、夫は毎日少しずつ何かが消えていく、いつか何もわからなくなってしまうのではないかという恐怖を感じている。
80分しか記憶が保てない脳の病気は、映画の前にNHKドキュメンタリーで見て知った。自分の妻や子供のことはもちろん自分が行動した全てを80分で忘れてしまう。それなりに生活はできるのだが、記憶が残らないということは、時間の継続性が全くなく、思い出が作れないということ。生きている実感が持てないのだという。
思い出は自分の中で大切なものだ。あの時こうだったなと感じられるからこそ今を実感できるのであり、自分の成長も認識できるのだから。嫌なことは忘れたいとよく思う。けれど、それは本当の意味で無くなってしまうのではなく、薄れているだけ。いいことも嫌なことも含めて自分、だからこそ今がある。記憶がある、忘れないことこそ幸せなことかもしれない。
漢字を忘れる話で思い出したが最近は国語教育に力を入れている企業が多いという。その背景には若い人の国語力の低下がある。
小学生の頃、毎朝漢字テストがあった。10問の為に頑張って練習した。書けば書けるようになるもので子供にはその達成感がたまらなかった。小さいことだれどやっただけのことはある、英語やパソコンもいいが小さい頃は足元の国語教育にもっと力を入れてもらいたい。地道な作業や耳にしていたことが実は記憶に残っていて底力になることが多い。ゆとり教育の名のもと、知るはずの知識を耳にする機会や体験する機会が減ることはその子の可能性を小さくしてしまうのではないか。
私も含めパソコンなど便利なものが氾濫する世の中で自分の手や体を使わなくなった昨今、人間は確実に退化し始めているのかもしれない。記憶とは、自分の手で書き、口で読み上げ、耳で聞き、そうして頭に刻まれていた気がする。思い出もまた、自分の体を使った時こそ大きく心に残る。
そのくせ、とっとと忘れたい事が忘れられなかったり。
記憶の操作って難しいですね。
私が昨年再び茶道を始めたとき、学生以来で実に10年ぶりでした。
それなのに、何度も繰り返し体で覚えたお陰か、以外に覚えているんですよね。
一方、学生の頃夢にまで出てくる位必死に覚えた化学式はさっぱり浮かんできません(苦笑)
以前は人の名前もなんとか思い出せたのに、最近では
初めから諦めモードで「まぁいいか」となってしまいます。
PCを使えば使う程、漢字も書けなくなりますね。
お点前を記録しようとPCで打った事がありますが、これでは
いけないと手でノートに書くのに戻しました。
時折、ノートも何を書きたかったのか?って事がありますが・・・
脳を活性化する為にも、茶道は続けて行かねば!と思ってます。
お茶の手前も繰り返していきますと自然に手が動く。
しかし途中で変更になった手前のちょっとした動作を
覚えられない。悲しいですが齢のせいにしています
連れ合いは大正末生まれです。現在は 80分ではないですが齢なりに物忘れをします。でもとても物知りなのです。若いときに培った知識が時に応じて出てくる
百科辞典みたいなのです。孫達には脳みその柔らかい時に沢山勉強するとおじいちゃんの様になれるから
等と今の世の中に不似合いな事を話しています
独りよがりで失礼しました。
体で覚えられたらいいのですが、そこまでいくのがなかなか大変です。
お茶を続けていくことは脳の活性化にも役立つような気がします。
いつも整理整頓されてればいいんですけどね。
>私が昨年再び茶道を始めたとき、学生以来で実に10年ぶりでした。
やっぱり身体で覚えたことは強いんですね。
頑張ってお点前お稽古しようっと!!
私も最近人の名前を思い出すのも、新しく覚えるのもだめになりつつあります。。。。
>お点前を記録しようとPCで打った事がありますが、これではいけないと手でノートに書くのに戻しました。
確かにー。でも私は殴り書きしたノートをいつまで経っても纏めずに、どこだっけ?とページをくっては使っています。そのうち書き直さなきゃ。
>脳を活性化する為にも、茶道は続けて行かねば!と思ってます。
そうですね!頭の運動続けなきゃ。カテキンもたっぷりだし!!頭にはいいはず。
頑張ってお点前を身体に刷り込みます。
>連れ合いは大正末生まれです。でもとても物知りなのです。
>孫達には脳みその柔らかい時に沢山勉強するとおじいちゃんの様になれるから
素敵ですね!百科事典のようなおじいちゃん、皆に尊敬されているんだろうなぁ。お話してみたいものです。
私も大学時代の同級生が雑学王で何でもよく知っていて、私も色々なことに興味をもたなくてはと気づかされました。
でも私は母よりも物覚えが悪いので、おばあちゃんになった頃には全てふっとんでいそうです。
本当にたくさんのパターンのお点前を覚えるのは大変です。でも、先生は全部わかっているんだよなーと思うとやる気次第で覚えられるんだろうなと思います。
お茶のお稽古はお点前を覚えることで頭を使うし、カテキンをたくさん摂取するし、頭の活性化に役立ちますよね、きっと。
でも少し安心。・・・“忘れる”という機能が備わっていたのですね。本来の機能を、とっくに追い越しちゃって、今ばく進中です。時々、めまいがするほど怖くなる時があります。’’;
だから、やはりお茶は辞められませぬ。手先をはじめ体の運動にも、脳の活性化にも。。。
確かに今は便利になって色々なことを考えたり工夫したりしなくても生きていけるので、昔より人間の能力は落ちているんでしょうね。。。。
ほどよく忘れながら、日々新しい刺激を吸収して脳を刺激したいですね! ほどよく、これがお茶の世界でも難しいことですが。。。
私のボケ&物忘れがこれ位で留まっているのはお茶のお稽古の御蔭かも?!これからもがんばらないと。