昨日は東日本大震災から2年経った3月11日でした。
亡くなられた1万5881人の方々、行方不明の2668人の方々、
避難生活を送られている31万5千人の方々と、被災した子供たち、動物たちのために祈ります。
一歩一歩、昨日より今日、昨年より今年が、希望の方へ、導かれますように。
私はFacebookもTwitterもやっているので、リアルタイムに感じたことはそちらで書いている。
ここでまた同じことを繰り返して書くのがどうも違うので、そっちで書いてないことから書こうと思う。
昨日の14時46分、私は熊本市役所裏(ダイエー裏)の駐輪場にひとりでいた。
3月11日が近付いてくると2年経った今年も、数日前からやっぱり気持ちがざわざわした。
Twitterを眺めていると、「今年はもう心がざわつかない。2年経ったんだな」というつぶやきもあり、
ひとそれぞれだな、と感じもし、でも私は遠く離れた熊本に来たのに、こうまで不安なのは
いったいなにか、とは自分でも思っていたものの、
3月11日の14時46分を前にして、その遠く離れた地の雑踏の中を歩いていたとき、
私のざわざわと心細くて仕方ない気持ちは、
「遠くにいるからだ」 と痛烈に感じて、思わずたちどまった。
去年はまだ仙台にいたので、不安な気持ちが押し寄せても、
周りにはその気持ちに共感するひとたちばかりだった。皆、感じていることは同じだった。
でも熊本の中心部はまったくいつもと変わらず、行きかう人々は楽しそうで、
震災関連の街頭募金すら立っていなかった。
アーケード内に昨日まで飾られていた雛飾りの片づけをしているだけだった。
それ自体がどうだと言っているわけではない。
恥ずかしながら、私だって、阪神大震災や中越地震のときはまったく他山の話だった。
ボランティアに行ったりしなかっただけでなく、あの当時、募金をしたかすらあやしい。
熊本は、東日本大震災の被災地からもっとも遠い場所のひとつだ。
熊本のひとは基本的にあたたかく、世話好きな性格なので、
私の車の仙台ナンバーをみただけで、話しかけて東北に心を寄せてくれるひとも多いのだ。
でも殆どのひとはなにごともない「日常」を送っている雑踏の中にたつと、
「この日のこの時間の不安を共感出来るひとが誰もいない」 ということを強烈に感じた。
14時46分、仙台のアーケードでは、
ずらり並ぶ店舗の店員さんたちが皆表に出て、黙とうしたということを聞いた。
熊本のアーケードは仙台ととてもよく似ているが、「いつも通り」であることがとても孤独だった。
何度でも言うけど、それ自体がどうこうというわけじゃないのだ。
ここは被災地ではないので、当然といえば当然のことです。
ただ、「3月11日前の不安」はあっても、
昨日のその瞬間に、もし仙台のアーケードの中にいたのであれば、
少なくとも、「共感のない孤独」 は感じなかったに違いない。
14時46分、熊本市役所でも1分間、サイレンが鳴り響いた。
私は、春の陽気に気持ちもうきたつような若者たちのたくさんいる駐輪場にいた。
私の廻りの人々は誰ひとりサイレンに足をとめることもなく、
「なになに?この音」とざわつく若者が行き交う中で、
ガチャンガチャンと自転車を出し入れする音の中で、
私はたったひとり、手をあわせて黙とうした。
自分が直面していないことは、本当にその気持ちを理解することは難しい。
私はただ、仙台で震災に直面したから、思いが強いだけに過ぎない。
九州も昔から、多くの自然災害に見舞われている。
昨年は熊本、大分で、九州北部豪雨があり、いまも仮設住宅で暮らしている方たちがいる。
うまく言えないのだ、この問題は。
私はこっちで知り合うひとには、つとめて震災の話をするようにしてきた。
仙台から来たことを知ると、むこうから聞いてこられることも多かった。
本当に、熊本のひとはあたたかい。全国ランキングがあったらまちがいなく上位につく。
それでも、しょっちゅう震災の話ではいずれ「また震災の話か」という時期が来るような気がする。
今回の震災番組では、「震災の風化」ということが大きくとりあげられていたが、
こういった微妙な空気も「風化」というのならそうかもしれない。
知らない土地に来て知り合えるひとの数もしれているので、
通りすがりのひとをつかまえて話しかけるわけにもいかない。
個人レベルでの努力には限界がある。
だから、マスコミに頼るところは大きい。
ここ数日、全国で溢れるように流された震災番組は、
津波には直面していない私の話を聞くよりもずっとリアリティがあるし、
被災地を離れてもう9カ月になろうとしている私の話よりもずっと、
「被災地のいま」 をわかってもらえる。
これからも被災地の情報を流し続けて欲しいと願います。
「私に出来ること」は、私がやればいい。
ひとそれぞれ、誰しもなにかのために動いている。
世界中の貧しい子どもたちのために毎月寄付をしているひともいるし、
家庭内暴力で悩んでいるひとの相談にのっているひともいる。
命の危機にさらされている犬たちのためにがんばっているひともいるし、
一人暮らしの隣りのおじいさんの話し相手になっているひともいるだろう。
私はなにを「したい」のか。
夏に、宮城の沿岸部へ、西本願寺の災害ボランティアセンターの活動に参加してきます。1年ぶりです。
その前に、4月はひとりで、福島の花見山に行ってきます。これは個人的な観光旅行です。
仙台へ、福島へ。東北へ行くことはとても楽しみです。それは私が好きだから。したいから。
夏に仙台に行ったら友達に会い、150匹の犬たちに会い、美味しいものを食べてきます。
楽しみだから続けられる。
好きだから、続けられる。
その時間を自分は数百メートル離れた水道町交差点
の横断待ちで迎えました
腕時計をみて「時間だな」と思いサイレンの音と
共に黙とうを捧げました
黙とうしていたのでハッキリは見ていませんが
他に黙とうしていたのは一人ぐらいでした。。。
「風化」と言うのを一律に語るのは無理な事かもしれない
自分もチャリティコンサートに参加するくらい
しか出来ていない現状です
(阿蘇を拠点に活動しているVientoと言うデュオのチャリティコンサートです、宜しければお見知りおきを)
しかし阪神淡路の震災と同じく忘れる事は出来ません
必ず近い内に東北を訪れたいと思います
乱筆乱文失礼致しました
P.S ここのブログを見て久々に金峰山と3333段登って来ました
おかげ様で自分の体力の無さを痛感出来ました・・・(苦笑)