西本願寺災害ボランティアセンターでの活動で、今日は石巻へ。
海辺のお宅、改築が必要なため、1階部分の壁の解体作業でした。
住宅地だったこの場所には、傷あと痛々しいままの家屋や、土台だけになった家の後。
海までは100Mほどで、すぐそこに、春の陽を受けてきらきらと光る石巻湾が見えていました。
静かな春の海は美しく、恐ろしい威力で町を押し流したことが嘘のように穏やかな顔をしていました。
恐ろしい思いをして、もう海の近くには住みたくない、という住民の方もいらっしゃる一方、
手の届くところに海があるこの場所で、再びリスタートする決断をしたひともいる。
カモメが空を舞い、静かにたゆたう光る波を見ていると、その気持ちはよくわかりました。
この美しい故郷を諦めたくない、と。
天井や壁をトンカチで叩いて崩し、それを土嚢袋に詰めて運び出す。
崩した壁はそのままでは袋に入らないので、足で割ったり、破ったりして小さくして詰める。
足で割ったり、破ったり。
普段、自分を守ってくれていると信じて疑わない「家」というものは、
こんなにも壊れやすいものだったということに驚く。
木や土、紙(壁紙)などで出来ている。
何ものからも守ってくれる、無敵の要塞ではなかったことに気づく。
ひとと同じように家もまた、自然の驚異の前には、脆く、弱いもののような気がしました。
今日の現場に限らず、津波被害を受けた家屋の中には、
そこに暮らしていたひとたちの、生活の証しがたくさん詰まっています。
泥を被った家具、時計、机、椅子、赤ちゃんのおもちゃ、赤ちゃんのおわん、図鑑、くつ、かばん。
私達がふだん、何気なく囲まれて生活していて気付かないけれど、それらは幸福の塊です。
でも泥を被って、処分せざるを得ない。片づけなければ、前に進めない。
そうした、思い出の物物が、ボランティアたちひとりひとりの手によって、
地道に運び出され、積み上げられていく。
それが、「瓦礫」と呼ばれているものたちの中身です。
宮城も岩手も福島も、同じ。
世の中には、ときに、心ない言葉を使うひともいる。
もし自分が同じ立場になったら、同じようにその言葉をぶつけることができるのでしょうか。
泥に浸かった、赤ちゃんのおわんやおもちゃ。
それらに、「汚染瓦礫」と言えるのでしょうか。
いま日本のどこにいたって、同じ災害に遭わない保証はないはずなのに。
昨日、松島に行きました。
松島はいち早く復興に向けて歩み出し、観光受け入れも万全です。
たくさんのひとが観光に来てくれることが、松島の復興の力になります。
でも車で少し走れば、奥松島、野蒜という地区があります。その地に立つと、
まるで爆弾が落ちた後ででもあるかのように、痛々しい姿がどこまでも拡がっています。
どちらも、被災地の現実です。
復興どころか、復旧さえもまだ始まっていないような状況、
そのような地域面積の広大さを思うと、気の遠くなるような思いを拭えない中、
お互いに気持ちを鼓舞しあいながら、東北の人々は一歩でも前へ、と進もうとしています。
ひとりひとり抱えているものも、考え方も違う。私は今日、土嚢袋を詰めたけど、
違う誰かは世界のどこかで、飢餓に苦しむ子供を助けていたかもしれない。
虐待されている動物を助けてくれているかもしれない、
悩んでいる誰かの心の支えになってあげたかもしれない。
それらのことに対して私は今日なにも出来ませんでした。
それぞれが自分の領域で頑張っていれば、それでいいんだと思う。
だからどうかお互いにせめて、それぞれを思いやる想像力を。
東北に対しても、懸命に生きようとするひとたちがいることを想像する、人間らしさを。
それの全てにおもいやりの気持ちを持つこと。
なかなか出来ることじゃないかもしれないけど、出来ないからと諦めることでもない。
おもいやりの気持ちの、なんて心強く、なんて優しさに満ち溢れていることか。
ほんの少しのおもいやりが、大きな力や希望に繋がっていくことを私は信じてる。
こんな素晴らしいブログを書く、あなたに出逢えたこともありがとう。
すごいでしようね
人間強い 月日たてば復興できますよ
九州雨に泣いてます
地軸ズレタカと 何か可笑しい
日本 沈没 かーへへへへ嘘 ですよ根拠無し
区切り区切りで良い方向に向かっていることを確認したい!
でも、細かい事まで報道もされないし・・・。
1年を振り返り「この1年・・・」って、報道もあるが・・・。
少しずつ復興されていく事を見ていきたい。