犬とハナウタ

山歩きブログだった「山とハナウタ」改め「犬とハナウタ」として再スタート。雑種犬ゆめとの暮らしや日々のことなど。

「金子みすずと、仏さまのおこころ」を聴く。

2012-03-04 | ハナウタ(日記)

週末に、災害ボランティアに参加するため訪れている本願寺派仙台別院で、

金子みすずのお話が聴けるということで、今日は金子みすずの詩集を抱えて行ってきました。

講師は、金子みすずの故郷、山口県長門市からいらっしゃった、

安部容子師(山口教区 大津東組 明専寺 坊守)。

洋装で、お美しく、イメージしていた「お坊さん」とは違った印象の素敵な女性でした。

息子さんが幼稚園で習って帰ってくる金子みすずの詩を、

ご一緒になんども口に出しているうちに暗誦されたとか。

お話の間、金子みすずの詩をたくさん紹介してくださったのですが、

そのどれをも、テキストも見ずにそらで暗礁されていて、

まっすぐ前を向いて詠まれる姿が心に残りました。

 

金子みすずといえば震災直後、毎日のようにテレビで流れていたので、

この詩は、覚えてしまったひとも多いですよね。

「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。

そうしてあとでさみしくなって、

「ごめんね」っていうと、 「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも。

(金子みすず 『こだまでしょうか』)

あの頃は混乱と、不安と恐怖の中を何度も流れゆき、深く考えることもなかったけれど、

もうすぐ震災から1年の今になって改めて読むと、深く心に響くものがあります。

疑心暗鬼、不安、自己保身、人間不信…様々な暗い影から結局1年経っても、

私達はいまだ完全に脱け出すことが出来ずに、

重苦しい気持ちを抱えたままでいるような気がします。

いまこそ、この詩は、じっくりとひとりひとりの胸に、問いかけるものがあるような気がします。

 

また、私が金子みすずの詩の中で、もっとも好きな詩も、講話の中で紹介されました。

『大 漁』

朝焼小焼だ、

大漁だ

大羽鰯(おおばいわし)の

大漁だ。

 

浜は祭りの

ようだけど

海のなかでは

何万の

鰯(いわし)のとむらい

するだろう。

他を犠牲にしなければ生きていけないのは、人間だけではないかもしれない。

でも、相手のことを思いやる気持ちを忘れたら、人間でなくなるのではないでしょうか。

 

講話のあった研修室には、御仏壇がありました。

 

大きさは違えど、「実家にある仏壇と同じだ」と思いました。

実家は東本願寺派で、西本願寺派となにが違うのかも知識不足でよくわからないのですが、

端々に聞こえてくるお経の言葉は、幼いころから聞きなれたものであり、

知らないひとばかりなのに、なにか親戚が集まっているような不思議な感覚を味わいました。

キリスト教の音楽や話を聴けば感銘を受けるし、曹洞宗のお寺で座禅会があると聞けば出かけて行く。

…というように、私はあまりこだわりはないのですが、どんな宗教であっても、

宗教とは、疲れた心にふっとやすらぎをくれる場所であるような気がします。

お寺でお話を聴くと言うのは、なかなかいいものであるなあ、と思いました。

西本願寺災害ボランティアセンターも、宗派はまったく関係なく、

参加しているひともいろんな宗教の方が来ていらっしゃいますよ。

クリスチャンの方だっているかもしれません。

 

ところで、「御仏壇」について金子みすずが詠んだ詩があるそうで、

これは私が持ってる詩集には載っていませんでした。

ノートを取っていたのですが、全部は書きとれず、心に残った最後のところだけ。

黄金(きん)の御殿(ごてん)にみえるけど、

これはちいさな御門(ごもん=門)なの。

いつも私がいい子なら、

いつか通ってゆけるのよ。

安部容子師が、「この詩を読むと、スキップしたくなるほど嬉しくなります」

と仰っていたのが、とても印象的でした。

心が穏やかになる、とても素敵な1時間でした。

 

 

 

 

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとう! (寺田章次)
2012-03-04 22:43:15
ご多用の中、ボランティアー活動をされていることに敬意を表します。本日は”金子みすゞと、仏のおこころ”を聴きに来ていただきありがとうございました。心から御礼申し上げます。
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いいね (石島 光明)
2012-03-04 23:18:25
 お寺とは本来人々が集まって説教を聞いたり、人生の勉強をする所だったんですよね。
 お寺でこういう集いがあるのはいことですね。落ち着いた雰囲気の中で好きな人のお話しなど心によく響いたでしょう。
 私は、岩手県の天台寺で寂聴さんの青空説法を一度聞きに行きたいと思ってます。
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寄り道です (案山子 )
2012-03-07 16:37:29
名文句 一杯ですね
信じ人は救われるですねー 
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