犬とハナウタ

山歩きブログだった「山とハナウタ」改め「犬とハナウタ」として再スタート。雑種犬ゆめとの暮らしや日々のことなど。

カルメン

2012-09-02 | ハナウタ(日記)

熊本県立劇場で開かれた、ザ・シンフォニエッタ演奏会『カルメン』を観てきました。

『カルメン』。ビゼー作曲のその歌劇の名前は知っていたものの、

最初から最後まで演奏を聴き、あらすじを把握したのは初めてでした。

また、この演奏会で指揮をされた山下一史氏が仙台フィルの指揮者だということも知らなかった。

開演までの時間、歌劇の字幕を写すスクリーンには、オーケストラや合唱団の練習風景、

そして東日本大震災から一年の3月11日に、全員で黙とうを捧げた風景が映し出されました。

 

有名な『カルメン』については詳しい方がきっとゴマンとおられると思うので、

今日初めて観た私の稚拙な感想文は間違いもあるかもしれず、すこし恥ずかしいですが。

今夜は「演奏会形式」ということで、舞台演出やお芝居などはなく、

スクリーンに映し出される物語を、オーケストラとオペラ、合唱付きで「読み」、

頭の中に映画のように場面を描き出しながら「観る」という、二重加工のような感じで観賞しました。

 

「カルメン」は、男たちの心を虜にする、美しいジプシーの女。私のイメージでは、ベネロペ・クルス。

私の頭の中の映像でも、ベネロペ・クルスが主役でした。

カルメン役ソリストの女性も、赤いドレスがとても似合っていて、

どこかふてぶてしい態度の演技がカルメンらしさを出していたのですが、

客席からは小さくしか見えないので、頭の中の映像の方が鮮明に物語を再現出来ました。

 

 

カルメンが働いていたタバコ工場で争いを起こし、伍長のドン・ホセが逮捕を命じられてカルメンの元に来るのですが、

カルメンは「逃がしてくれたらあなたを恋人にするわ」なんて感じでホセを誘惑して、まんまと逃げてしまいます。

替わりにホセは、カルメンを逃がした罪で暫く投獄されてしまいます。

ホセには母親が認めた婚約者?の村娘ミカエラという存在がいたにも関わらず、

すっかりカルメンに心を奪われ、カルメンにそそのかされるままに軍隊も辞めてしまい、

各地を転々と放浪して歩くジプシーの仲間になり、カルメンの属する組織の密輸にも手を染めることになります。

けれど、小鳥のように移り気で、繋がれることを嫌うカルメンの恋心は間もなくホセから離れ、

颯爽と男らしい闘牛士のスター、エスカミーリョに移ってしまう。

君を愛しているんだ、もう一度僕を愛してほしい、と懇願するホセに対して冷たくあしらうカルメン、

エスカミーリョを追って闘牛場へ入っていこうとするカルメンを、ホセが広場で刺殺してしまうところで劇は終わります。

 

可愛さ余って憎さ百倍、カルメンの心変わりを恨み、新しい恋人の出現に嫉妬するホセが、

他の男に渡すくらいなら、とカルメンを殺すほど追いつめられていることは、カルメンも感じていたはずだし、

酒場で女たちと占いに興じた時、カルメンの時だけ、何度占っても「死」のカードが出る、という

不吉な暗示の場面もありました。

不吉な運命をどこかで予感していたにも関わらず、広場で切羽詰まったホセとふたりきりになってもカルメンは、

「たとえ殺されても、私はあなたの言いなりにはならない。私は自由な女なのよ!」と言い張り、

【まるで自分から刃に飛び込んでいくかのように、ホセのナイフに刺されて倒れる】のです。

自分から飛び込むように??なんで??エスカミーリョを愛しているのに?

自分から飛び込むということは、つまり「この男になら刺されても構わない」ということであって、

本当はホセを愛している、ってこと?

と私の頭は一瞬?????となってしまったが、下のほうに書きますが、

そうではない、ということを全部観終わって熟考したあと、感じました。

 

男が、女の心変わりを責める物語といえば、貫一がお宮を蹴り飛ばして責める『金色夜叉』が思い浮かびますが、

「よよ」と泣き崩れるお宮と、カルメンはまったく違う自己表現をする女です。

ホセの婚約者だったミカエラは、「田舎のお母さんのところへ一緒に帰りましょう」とホセを諭す母性溢れた心優しい女性で、

ミカエラとカルメンはまったく対照的な女であるけれど、

ひょっとしたらカルメンも、相手が闘牛士のエスカミーリョであるかどうかはわからないとしても、

本当に愛したひとの前ではミカエラのような女かもしれない。

ミカエラも、ホセを探しに広場へ来た時、他の兵士たちから声をかけられますが、丁寧に断ってなびきもしません。

もし兵士の中に、本気で本気でミカエラを愛している男がいたとしたら、ミカエラだってカルメンかもしれない。

要するに、一人の女の中には、いくつもの顔があるのではないか、と思います。

 

でもそんな可能性をすべて捨てて、命さえ投げ打ってでも、カルメンが守りたかったものは、

愛するひととの未来でも幸せでもなく、「誰かのいいなりになりたくない」という、激しすぎる欲求。

カルメンは家畜ではなく、闘牛なのだと感じました。

だから、カルメンはホセを愛していたから刺されたわけではないし、

エスカミーリョのことも、自分のこと以上には愛していなかったのだと思います。

 

「ジプシー」について詳しく調べたことはなく、Wikipediaにも「差別用語」であるとして、詳しい説明はされていません。

各地を転々と放浪する生活、と聞くと、転勤族妻の私は、なんとなく共有するものを感じなくもないけれど、

根を張ることのないその生活がどこか寂しい、と感じている私と、

「束縛されるくらいなら死んだ方がまし」というカルメンの激しさは似ていない。

私もカルメンのように開き直れば、もっと引っ越しを楽しめるのかもしれないですね。

 

あと、牛の腹を槍で刺殺して歓喜する祭りを持つスペインに、私はどうしても相容れないものを感じるのと同じく、

カルメンがホセに刺殺されたシーンで劇が終わり、劇が終わったのだから当然だけどそこで拍手喝さいが起こる、

というタイミングがどうにも、違和感を覚えました。

私は卒論で日本の伝統芸能「能」をやりましたが、

能の正式な観賞マナーとしては、最後に拍手などはしないのです。

能楽堂に行くとでも、つい他のステージと同じようにみんな拍手をしていますが、

能舞台で感じた雰囲気、空気をそのまま壊さないように、静かに会場を出るのが正しいのです。

カルメンの場合も、私は拍手喝さいがない方が、余韻を感じられるような気がしました。

しかしカルメンを「闘牛」とみたてるのであれば、カルメンの刺殺後の拍手喝さいも、スペイン風には矛盾しないことになります。

初めていった場所で、「あ、なんだか懐かしい」と感じる場所が、あったりして、

それは前世に住んでいたのだとか自分の祖先のルーツだとかいう話があったりなかったり、しますが、

私の場合、それはまずスペインではないな、と思いました。

 

今週は季節の変わり目ですこし体調を崩したこともあり、山には登りませんでしたが、

コンサートホールでオーケストラと合唱団の生演奏を聴くという、素敵な体験が出来て、

 頭と感性がフル稼働、いいリハビリ?になりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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ご無沙汰でした (mimi)
2012-09-03 00:35:09
この所忙しくてご無沙汰してしまいました
転勤されたのですね
熊本ですか
仙台では色々な経験をされてご苦労様でした
熊本は3回ほど行った事があります
弟が長崎に居て色々な所を見せて貰いました
九州は素敵な所ですね
ブログ友もいて色々な所を紹介してくれます
あなたのブログも楽しみにしています
これからもよろしくお願い致します
返信する
なるほど (ゆきゆき)
2012-09-03 18:04:07
いろいろと考えさせられますね。

あたしの前世は、カルメンだったかもしれない?
自由人ですから・・・(^^;
返信する

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