季節はとっくに過ぎたけど、思わず「菜のはーなばたけぇに♪」と歌いたくなるような、
「だって、これこそ【おぼろ】でしょう」といいたいような、夕暮れでした。
泉ヶ岳に沈む夕焼けを撮っている私の背中を、そのおぼろ月にみられている。
世界じゅうの夕陽は、いま泉ヶ岳に沈むのじゃないかと思わずにはいられなかった、
なんだか心の奥がざわつくような、空の色。
「それがどうかした?」的雰囲気のおぼろ月は、それを私の後ろでぼんやりぽかん と見ているのでした。
吸い込むと体じゅうに満ちてくる草いきれ、めまいがするような蛙のざわめき、撫でるような風の心地よさ。
その中に立っていると、ふっと気が遠くなるかのような幸せに包まれる。
ひとはおそらく誰だってある瞬間、なんだか唐突な感じで、「ひとりだ」 と気づくときがあって、
次のある瞬間、とてつもなく淋しくなったりすることが、ある気がする。
だけど、自然の中にひとりでつっ立っていると、不思議と「ひとりじゃない」ことに今度は気づいたりする。
自然の中には確かに、夥しい数の「命の気配」を感じるし、
自分は自然の中に生きるものたちその他大勢のひとつにすぎないことが実感として、わかる。
ひとりぼっちだと思うなんて、傲慢だ。
私の生きていく場所がこの先も、どうかこんな、自然にあふれた場所でありますように。
祈るような気持ちでつったっていた、今日の夕暮れ。
自然と一体となると
そのように感じます
そして
満たされます
地球上に住む
一個の
生き物として
それでは