福島県は花見山に行ってきた。きのこ一泊二日のひとり旅。
花見山は震災前の年の春に、初めて訪れた。
そのときは前日に季節外れの雪が降り、雪と桜の淡いパステルカラーに包まれた、幻想的な山の情景にすっかり心を奪われた。
福島は私にとって、多くの山に登り、磐梯山や安達太良、吾妻連峰など、好きな山があるというだけでなく、
私の福島のイメージは、この時の花見山の印象がずっと心に残っているといっても過言でない。
2011年春に大震災に見舞われ、2012年も花見山に行けなかった。
2012年夏に熊本に転居して、それでも春の花見山をみたい、という気持ちが抑えきれずに、ひとりで旅行に行かせてもらった。
かわいいヨメには旅をさせよ。させてくださった家人に感謝します。ペコ
さて、以前のように、仙台からひょいと車でいくわけにいかなくなった福島。
熊本から福島へ行くには、熊本空港→羽田空港→東京駅→福島駅というルートを辿ります。
飛行機は好きだ。空の青と海の青の境がなくなって、空に漁船が走っているように、海に富士山が浮かんでいるように見えた。
下界にいると目につくたくさんの小さな事柄が、もう小さすぎて見えなくなって、漠とした空間の中に自分も浮いている。
羽田から京急線に乗り換えて品川、山手線で東京駅へ。東京から、やまびこに乗って福島へ。
東京にもかつて5年間暮らした。車窓から、かつての職場も見えた。
だけど自分が見ていた東京は、ルービックキューブのちっちゃい立方体のようなもので、くるくるまわされれば、
もう自分の知ってる東京がどこにいったかわからない。知っているけど、「懐かしい」というには手が届かない、そんな東京。
福島駅に着くと、花曇りの気持ちのいい気候だった。数日前に降った大雪も溶け、でもところどころに雪の名残があった。
福島駅前は賑わっていた。駅ビルもおしゃれで、若いひとたちもたくさん行き交っている。
今年の開花は早く、花見山のソメイヨシノは見ごろを過ぎていた。
でもそこは確かに、私が心に抱いていた、記憶のままの花見山に違いなかった。
圧倒的な自然の生命力に覆い尽くされるような九州と比較して、東北の春は、淡い。
そして、東北の春には、厳しい冬を乗り越えたからこその喜びがそこにある。桜にも、桜をみるひとたちにも。
山を歩いていても、目線はいつも花を探している私にとって、花見山は、そのネーミングからして、至福の場所だ。
でも今年は私は厳しい冬を越えなかったのに、それなのにここの花をみることが出来て、すこしだけど、後ろめたい気持ちになった。
4月から、サザエさんのオープニングが福島県の観光地なのはご存知ですか?
この花のモニュメントのサザエさんは微妙な感じですが、でも福島のひとたちの嬉しい気持ちが伝わってくる。
タクシーのおじさんの話では、震災前に比べて、お仕事関係のひとや大型観光バスは戻ってきたけど、
個人の観光客は減ったまま戻らないということだ。
花見山周辺の、震災前に訪れた時には水田だった場所は、いまは耕作していなかった。
あぜ道に伸びるツクシやフキノトウも、摘んで食べることは出来ない。
私は専門家ではないし、詳しいことはわからないけど、目に見えないものの危険性を証明するのは難しいんじゃないですか。
専門家ですら、詳しいことがわからない問題なのだ。よきにしろ悪きにしろ、いまのところ、すべては憶測に過ぎない。
誰の憶測をうのみにするのか、の違いだ。
発がんの危険性を言うならPM2.5だってもっと警戒されて然るべきだろうし、煙草やストレスも同じようにリスクが高いとされるが、
大酒のみで愛煙家の長寿のひとだっている。適度なストレスは脳の健康にはよい、という説もあったりして
もはやなにがなんだかわからない。ほっといたって、もともと日本人の多くはガンか心臓病で死んでいる。
病因うんぬん以前に、【年間の自殺者数が15年ぶりに3万人を下回って、2万7千人台に減りました】って喜んでいる、
それが日本という国だ。
「明日自分が生きている保証はなにもない。」
311。 誰もがあの日、そう感じた。
あれほどの大地震も予知できなかった国なのだ。誰の憶測が正しい、といったい断言できるんだろうか。
それよりも、地道にひとつひとつ食材の安全を確認して提供している、
ひとりひとりの、ここで生きているひとの手仕事がどれだけ信頼できることだろうと思う。
地道にがんばっているひとが泣く世の中は、おかしい。
(左下)カリントまんじゅう。香ばしくて、とっても食べ応えがある!かりんとうの味がするよ。
(右下)福島といえば、もも。果汁が70%も入ってる桃ジュース。今年の夏も、あかつき、注文するよ。
宿泊した素敵なホテルや岳温泉の満開のソメイヨシノ、次の記事で
感慨深いです。よね、・・
また書いて下さい。読みます。から、・・
長いブログも、お疲れ様 (_´Д`)ノ~~オツカレー