連休後半は、仙台から三重県の実家に帰省した。
仙台空港から中部国際空港までは1時間弱。
離陸してから空の上にいる時間はもっと短いので、
「お飲み物はいかがですか」「飴はいかがですか」「カップをおさげしますか」
などのサービスはぜんぶ断ることにしている。やりとりしているうちに着いてしまうから。
ふだん、雲の上にいることはそんなにないので、ゆっくり窓からの景色を眺めていたい。
外を見過ぎて、着陸の頃には目がおかしくなっている。
仙台からの帰省は8回目。でも震災後に仙台空港を利用したのは初めてだった。
空港は震災前と変わらない姿に戻っていた。空港周辺の沿岸部の景色を除いては。
往復で16回、同じ空からの景色を見たけど、なんど見ても、見るたびにびっくりする。
初めて飛行機に乗るみたいに。
中部国際空港へは、伊勢湾を横ぎるようにして着陸する。
着陸体勢に入ると、「すべての電子機器の電源をお切りください」とアナウンスが流れるので、
空港周辺の写真を撮れないのが残念だけど、
伊勢湾を取り囲む愛知県、三重県の沿岸部は、どこまでも続く平野(濃尾平野・伊勢平野)で、
仙台空港から見る景色と違い、山や高台がほとんど見当たらない。
自然の懐の中に飛び込んでいくみたいな東北への着陸と違い、
海の際まで工場や家がびっしり立ち並び、びっしりと「人」の気配を感じる。
ここに東海地震で津波が来たら、という不安はどうしても頭を過る。
これらの写真は復路、中部国際空港から仙台に向かう時のもの。
「あの山はなんですか」「ここはどの辺りですか」と、ほんとはCAさんをつかまえて
飛んでる間じゅう質問攻めにしたいけど、そういうわけにもいかないので、静かに外を見ている。
下は、今日の午前10時前の、福島上空と思われる空。この雲海を過ぎるとまもなく仙台に着いた。
名古屋から仙台に戻ってくると沿岸部の痛々しさは、何度も見ているのに、今なお言葉をうしなうものがあった。
災害ボランティアで何度か沿岸部を訪れるけれど、そこから海辺の松林を見ると、
震災前と比べて、とても「すかすか」になっているのが見える。
ボランティアの際は松林の方まで行かないのでわからなかったけど、
空から見ると、防潮林がことごとく津波でなぎ倒されていることがわかる。
東海地方にも、「がんばろう東北、がんばろう日本」のスローガンを時々見かけたし、
三重県で入った映画館では、映画の初めに「東北へいこう!東北観光博」のPRが大きく流れていた。
でも、行きつけのお鮨屋さんでは、震災前にはあった「三陸直送」の文字が、まったく消えていた。
代わりに、「新潟直送」や「長崎産」と書かれていた。
ひしめくような人の気配とパワーで溢れていた東海地方、「震災の風化」という言葉が浮かんだ。
仙台上空から見る、押しつぶされたようになぎ倒された松林、家の土台だけを残してなにもなくなった住宅地、
瓦礫の山、田んぼに座礁したままのいくつも残る漁船、1階部分をぶち抜かれた家、家、家。
活気ある名古屋から、1時間足らずで移動した仙台の姿、そのギャップに焦燥と悲しさを感じた。
東北に住んでいても、沿岸部の姿をその目で見たことがない人も多いと思う。
遠く離れた地ならなおのこと、あの震災がどういうものだったのかということ、
実際に見てもらわなければ、やっぱり伝わらないのではないか。
東北も、故郷の東海地方も、どちらも愛してやまないからこそ、この焦燥をもてあます。
東北だけでも太平洋を離れると風化してると
感じてしまうんですよね
どうしたらいいものか、被災地へ行くたびに
考えさせられます
ボランティア素晴らしいですね
頭が下がる思いです
周りの人々が、時に流されて忘れていく中で、こうやって現実に引き戻してくれる人がいることは有難いです。