皆さんは「俳句」って言うとどんなイメージをお持ちでしょうか~?
古臭い、年配のそれも暇を持て余している人の文学、いや文学めいた言葉の遊び、
などと定義付けられるでしょうか?
何を隠しましょう
まったくもって私がそうでした^^
ここに8月号の角川俳句の記事を紹介します
『ランドセル俳人の五・七・五』
本書の著者は、この春6年生。小学生俳人として、注目されている小林凛(俳号は小林一茶にちなむ)
★ 老犬の居たあとぬくし星月夜
★ 風花を部屋にまねいて日曜日
これらは8歳から11歳までの作品だ。
どれも生活実感から出発した素直な感動が、的確な季語と文語表現によって、魅力的な作品となっている。
凛君はひどいいじめを受けて不登校となり俳句を始めた。
そして今では「学校に行けなくても、俳句があるから僕は生きていける!」
と語るほど、俳句はかけがえのない存在になっている。
凛君が9歳の時、投稿した <紅葉で神が染めたる天地かな>が、朝日俳壇の長谷川櫂 (東大卒) 選に初入選。
以来、入選を重ね、その才能は同新聞で大きく紹介され、凛君は話題の人となった。
★ 生まれしを幸かと聞かれ春の宵
ある夜、祖母が凛君に「生まれて来て幸せ?」と、つい聞いてしまった時、
「変なこと聞くなあ。お母さんにも同じこと聞かれたよ」と、この一句を詠んでみせたという。
春の宵、そこにはあたたかでゆったりとした時間がながれている。
「大丈夫、幸せだよ」という声が聞こえてきそうだ。
この句からは春愁も感じる。こうした季語を配する感性はとても大人びていると思う。
俳句だけでなく、本書には著者の成長を見守ってきた母と祖母の文章も載っており、
凛君の将来を祈る深い愛情に胸を打たれる。
・・略・・
(凛君をいじめていた子がこの本を読んで謝ってきたそうです^^v)
本書の中に「魔法の小石」という話が出てくる。
旅の男が神のお告げで道端の石ころをなるべく沢山鞄に詰め込んで行けと言われる。
不満に思った男は、石を数個しか拾わず目的地に着き鞄を開く。
すると石はダイアモンドに変わっていた、という内容だ。
俳句も何でもない石ころを言葉によって輝かせる。
いつかいじめという辛く重い石ころさえも人生の糧となって凛君の力となることを信じたい。
凛君が大好きだという小林一茶も人生の大きな苦しみを経て人々の心を打つ
優しく大らかな句を生み出したように
by 蘭草慶子著
この記事からとっても深い感銘を受けました
蘭草慶子さん、ありがとうございました~
makoこれからも精進いたす決意を新たにし、励んでいきたいと思っています
なぜならそれはmakoにとっても俳句は「生きる糧」だからです
あ
『ランドセル俳人の五・七・五』を読んでみたいと思っています。
新刊ですが、このような本はバイヤーさんに予約しないと手に入らないので
早速行ってこようっと^^♪
では、また~