追憶
ただいまぁ~♪皆様、おはようございます。セントレア着、昨日の19:25分頃でした。予定のスケージュール通り無事に帰国することが出来て本当に良かったです^^vロスに降り立った折り、空港......
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昨年の昨日の記事
セントレアには弟夫婦が迎えに来てくれていた。
帰りの荷物の方が増えてパンパンだった。
妹が全部パッキングしてくれていたから、
どれがどれだか判らなくなっていたのを
片っ端から解いて振り分けた♪
弟の家に車を停めていたから、
そこへまた荷物を積みなおしてもらって岐路に着いた。
途中で車を停めた。
「無事帰ってきましたよ、ありがとう」
父母(ちちはは)の墓の方角に手を合せたのだった。
帰国した日は奇しくも母の命日だった。
母が逝ったその日は私にとって初めての運動会の日だった。
隣の隣の小母さんが私を連れて帰ってくれた。
小母さんは乳母車を押していた。
「これに掴まりな」と小母さんが行ってくれたのも憶えている。
稲穂が大きく渦を巻きながら波打っていた日だった。
「この渦の中に消えてしまいたい」
子供心にそう思ったことも憶えている。
家に戻ったら父が外に立っていて、
「ええか、決して泣くなよ」と言った。
中に入ると、親戚の小母さんとお婆さんがかしこまって座っていた。
私もその前に座るように父に促された。
そして父は裏の勝手口に行ってしまった。
最初に口を開いたのはお婆さんのほうだった。
「泪は出なかった」
その後、おばさんが私を励ましてくださったように思う。
でも、怪訝な顔をしていた。
この子、判っているのだろうか・・・
小母さんたちが帰ってから堰を切ったように大声で泣いた。
「泣くな!!」
そう言って父は再び勝手口に行ってしまった。
その後、場面の違うところでは父と一緒に泣いたけど。
暫くして
表に出ると、家の屋根の方から、
(土手が家のすぐ横にあってそこは竹藪になっていた)
「泣いとるわ・・・」
その竹の隙間から二人の年上の女の子の姿がチラリと見えていた。
昨日はそんなことなどを思い出しながら妹に手紙を書いていた。
まだ完成はしていないけど、世の中便利になったものだ。
スマホで音声翻訳をしながら英語で書けばいいのだから。
タイピングしてもいいけど、そこは自筆の方が妹は喜ぶな。
手紙より電話の方が早いので殆ど電話で済ましていたけど
荷物の中に「のはら」を入れるからと伝えておいた。
とても喜んでくれた。
私が元気で好きなことを楽しんでいること
カメラのご縁で願ってもみない人間関係も広がって楽しんでいることを。
妹がアメリカに居ることも、文明の利器を使って翻訳していること、
あれから思えば、異次元に生活しているような感覚だ。
母が逝ってとうに50年を過ぎている。
さてさて、今日は夕方から団子Threeboy'sとデートなのだ。
楽しんできましょう^^♪