私は大根好きなので、食卓には何かしら出すことが多いです。
幼稚園の入園時に先生から好きな食べ物を尋ねられて、「大根の煮たの」と答えたらしいです(私は記憶にございません)。
さて本当は今日、MIFさんのお買い物に付き合って、東京の秋葉原に行く予定でした。
MIFさんが買い物中に、神田明神にでも行ってみようかなと思っていたのです。
ところがどうも調子が悪くて頭痛がします。
ずっと前ですが、秋葉原で具合が悪くなったことがあるのでどうも気が進まなくなり、ドタキャンしました。
秋葉原ももう何年も行っていないので、街並みがどう変わったか見たかったんだけれどな…。
私が物心ついた頃の秋葉原は電気街でした。
でも一方で神田青果市場がありました。
私の実家でも昭和40年代までは神田青果市場に出荷していたので、その思い出話をよく祖父から聞かされていました。
私が高校生くらいの時に大田市場に移転したので、神田市場は廃屋しか見たことがありません。
※神田市場は、現在のUDXの場所にありました。
祖父が言うには、青果市場に来ていた人達が電気街でお土産を買っていったモノだ、と聞きました。
父からは、昔は雑誌にラジオやレコードプレーヤーの配電図とか、必要なパーツが紹介されていて、秋葉原でパーツを買ってきて組み立てる人が多かったと聞きました。
父もそうやってレコードプレーヤーを自分で作ったと言っていました。
そしてMIFさんが今日秋葉原に行ったら、食べ物屋と猫カフェとかフクロウカフェとかの町になっていたと言っていました。
私が初めて秋葉原に行ったのは20年ちょっと前。
MIFさんの買い物に付き合って行きましたが、そりゃあもう、パソコンオタクっぽい人ばかりでした。
露店でもジャンク品がゴロゴロしていて、女連れの人はほぼいませんでした。
私にとっては裏路地までそんなパーツ屋ばかりな場所を他に知らなかったので、怖かったです。
当時もアニメ関連ショップはありましたが、アニメよりはゲームソフトという印象だったように思います。
食べ物屋は、喫茶店のカレーか、ラーメンか、ファーストフード店で、あとはおでん缶の自販機、メイド喫茶は滅多にありませんでした。
当時の私にはメイド喫茶は男性が行くモノなので、私自身とてもじゃないけれど行けないと思っていたくらいです。
そっか、秋葉原はさらに私には縁遠い町になったのか、とMIFさんの買い物話を聞きながら思いました。
今日は午後の遅い時間までちょっと体調がイマイチでしたが、今は少しよくなりました。
明日はきっと元気になっていると思います。
だって大好きな大根煮を食べたから。