喘息で寝込んでいる間に季節は足早に過ぎ去るようです。
まだ本調子ではなく咳き込んだりしています。
でも所用で外出。なかなか咲かないと言われていたソメイヨシノが急激に満開へと向かっている様子を見かけました。
あんなに待たせて、そんなに駆け足で行かなくてもいいじゃあないか、と言いたくもなります。
さて風景印というモノをご存じでしょうか?
福岡桜町郵便局の風景印には、「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を 許したまえ」の短歌が記載されています。
その返歌は「桜花惜しむ 大和心の うるわしや とわに匂わん 花の心は」という当時の福岡市長の作品があります。
これは3月上旬に伐採予定だった桜の木に「せめて満開までのあと20日ほど、伐採を待ってくれないだろうか」という内容の短歌に、市長が伐採計画を変更したこと、そのことの一連のやり取りです。
私は都市計画に関わったことはないけれど、昭和のおおらかな時代だからとか、市長の美談として語るのはちょっと違うかな?と思っています。
私も桜は好きなのですが、公共事業で伐採される、病害虫予防による伐採、都市計画の伐採はあまり気にならないンです。
それは10年ほど前、東京都で梅の木を大量伐採する事業がありました。
毎年何万人もの観光客を集めていた梅林もなくなりましたね。
この理由が、梅の木のウイルス病のまん延防止でした。
残念に思うものの、未来に梅という植物を残すためには致し方がないと思っています。
翻って、件の桜の木。
結局、伐採を免れました。
私は昭和時代の市長さんクラスなら、短歌にちゃんと返歌できる教養をお持ちなんだなぁ、と関心しきりに思うのです。
わが市の首長殿は、海外の学校をご卒業されていて広い見識をお持ちのようですが、さて気の利いた返歌を詠むことができるだろうか、とも思うのです。
時代は過ぎ去るのが早くスピードを求められるせいか、最近ではNHKのアナウンサーの言葉さえも早口に思えてなりません。
いや、いいんですよ、私がのろいだけですから。
行政に風流なんて求めていないけれど、首長殿の広い見識も必要だと思いますが、深い教養を示してくださる逸話の1つも持っている首長殿は、やはり強いな、と思います。