くうあり

自分なりの気付きを綴るブログ  

学校って本当に必要なのか 教育ってなんなのか 民主主義とは 知りたいことたくさんです

2022-10-05 09:50:55 | 子育て
ずっと前に不登校の娘に友達がおすすめしてくれた本を読みました。

ちょっと下ネタあるよとは聞いてましたが、結構盛大にあったのでとりあえず自分だけ読みました(笑)

 

現存する狩猟民族の暮らしに人類学者さんが入って、現代社会との違いを示してくれることで、当たり前に信じていた価値観が揺らぐいい本でした。

森の民とニーチェの考え方が似ているということで、ニーチェの言葉もところどころ引用されていて、ニーチェも読んでみたくなりました。



「本当に学校にどうしても行くべきなのか?」しっかり問いもせず、躍起になって行かせようとしていた怖い母をやってしまってましたが、森の民は学校教育に期待もしてないし、嫌なら行かなければいいと寛大にして森での暮らしを満喫しているようでした。

一方隣の農耕民族は積極的に教育を受けているようでした。

狩猟民族のように、決まった収入や住まいがなく狩りで獲れたものを分け合って暮らす生活と、現代の貨幣経済で個人がものをため込む暮らしでは価値観が違うのも当たり前です。


でも、価値や知識や収入を得ることばかり考えていたり、将来の不安ばかり考えて今をないがしろにする生活になりがちなので、森の民の精神性から学べることはありそうでした。森の民プナンは、個が責められることもなく謝ったり反省することもなく、将来を憂うこともないので精神病の類がないそうです。


今から完全に森の生活に入ることは難しいので、この日本の社会で個をつぶさず生き抜くために、民主主義のことをもっと学びたくなりました。

もうすぐ工藤勇一さん(教育者)と苫野一徳さん(哲学者)の新刊が出ます!
 

楽しみです・・・



工藤勇一さんが「一致団結」とか「心を一つに」とか学級で掲げるのは暴力だと言っていたんですが、いまいち腑に落ちてないのです。
対立を解決して「心を一つに」することはどうしてもいいことのような気がしてしまう。


もっと勉強したいなぁと思っています。


工藤さんが脳科学者の青砥さんとタッグを組んだ本のレビューについては
以前こちらにも書きました。





7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さくらもち)
2022-10-05 14:18:50
はじめまして。学校はまあ友達と出逢うには有用ですが、学ぶことに関してはまず必要ないと思いますね。私自身、学校で学んだことは何一つ社会では役に立たず、全て社会人になって自分で学んだことで仕事して来ましたし、今もしています。
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Unknown (喜撰)
2022-10-05 14:48:27
ニーチェは、精神病で自殺、という最後なので、森の民とは、真逆だと思いますよ。

大雑把に言うと、「生存欲」と「我欲」を分けて考えていないので、理解が難しくなる。

動物は、「生存欲」しかないので、お腹がいっぱいになったら、獲物を襲わない。
お腹がいっぱいだけど、弱ってる動物が目に前にいるから、殺しておけば、後で楽できるだろう、というのが「我欲」です。
人間がよくやる思考。
実際は、動物に「我欲」はないので、そういう時でも、襲いません。
だって、襲っても、冷蔵庫がないから、どうせ腐ってしまう。

宗教は、基本的に、「我欲」をなくす事を説いている。

ニーチェは、「我欲」=本能という解釈でした。明らかに間違ってます。
「本能に負けちゃってしてはいけない事をしてしまう」という感覚が誰にもあると思いますが、森の民を見れば分かる通り、その本能は後から植付けられた物です。本能ではなく、損得感情ですからね。

対立というのは、「我欲」があるから起こるのであって、「民主的に仲良く」というのは、表面的に「我欲」がないように見える状態を作る事なので、大事です。しかし、根本的な解決にはなってない。

全員を平等にすれば「我欲」はなくなる、というのが、左翼の考え方。
全員の階級を現在で固定すれば「我欲」はなくなる、というのが、右翼の考え方。
しかし、それで満たされるのは「生存欲」だけであるという事が考えの浅さです。
実際は、共産主義国を見れば、指導者側になると「我欲」は暴走する。
フランス革命を見れば、貴族階級は子供の時からケーキを食べてるのでそれは「生存欲」であり「我欲」ではないのだが、貧しい民衆はそれを羨む「我欲」に駆られる。

つまり、結論が出ていない。
現在の学校も、結論が出る途上にある。

表面的に「我欲」を抑えた状態にするのが、民主主義。
「我欲」のマイナス面以上に、我欲を利用して文明の発展というプラス面で相殺してるのが、資本主義。

どちらも、現在の最良に過ぎない。

現在の日本では、子供を作るのも我欲、競争に買ってお金を稼ぐのも我欲、個性を発揮したいと思うのも我欲。
従って、親は、子供の不登校を見た時に、「サボりたい我欲だ」と捉える。「将来、我欲が満たせなくなるよ」という意味で注意する。
でも、子供の不登校は「生存欲」から来る行動なので、親と次元が噛み合っていない。

ここまでは、今までの思想史で、ここからは、私の仮説ですが、
資本主義がいきついてしまって、今の子は、自然と「我欲」が消えてるのではないか?
我欲を消す事が幸福の最終形態だったのに、学校も、親も、我欲があるという前提なので、むしろ、子供に我欲を持つように強制してるのではないか?

AKBと乃木坂を比べても、ジャニーズでも、なにわ男子やsnowmanを見ても、売れたいとか成功したいとい我欲がなくなってる。
様々な調査で、若者は欲しい物がなく、恋人もいらなくて、出世もしたくない。
親の世代の我欲の為に、子に、勉強させて、日本を発展させろ、と強制してるけど、本人達は、生存さえしてれば幸福なのではないか?
そうやって、親や学校に「我欲」を植付けられた子と、自然に生きてる「生存欲」だけの子が、対立する構図になってるのではないか? (親の世代は我欲vs我欲の対立しか知らないから子供への助言が間違ってる)

結局、10年後、もしくは30年後、我欲を植付けられた子と我欲がない子のどちらが正しかったのか、どちらが幸福なのか?
 日本の経済状況次第でしょう。
現状の日本は、お金が有り余ってて、国民の多くが我欲がないのだから、学校に行けと言っても、説得力はない。
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コメントありがとうございます! (mame-festival)
2022-10-05 17:20:29
@さくらもち さん
はじめまして。コメントとフォローありがとうございます(^^)学校で学んだことは確かにあまり役に立っているとは思えませんね。みんなと一緒にとか人並みに、とかそういうものに安心を求める精神は学んでしまった気がします(;^ω^)それで子どもが学校に行けないとなるととても不安でした。自らよく学び、人と違う人生を築くという強さとしなやかさを身に着けていきたいものです。
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コメントありがとうございます! (mame-festival)
2022-10-05 17:32:22
@喜撰 さん
とても勉強になる長文のコメント感謝いたします!無知なものでもう少し自分なりに読ませていただいて、また改めてお返事いたします(^^)
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Unknown (さくらもち)
2022-10-06 07:51:19
ご返信とフォローありがとうございます!学校は本当に小学校低学年までの数字や国語程度で十分ですね。歴史は自分で本を読まないと身に付きませんし、学校へ行くことで何事も周りに合わせることしかできない子になってしまうのが残念です。
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Unknown (mame-festival)
2022-10-06 17:28:14
@喜撰さん
この度はありがとうございました!高校の世界史が超苦手で資本主義も民主主義も左翼も右翼も正直言葉の意味が抜け落ちて理解できていないまま過ごしておりましたので、無知な私に勉強の機会をいただき感謝いたします。おかげさまで買って放置していた「宗教と哲学全史」の一部を読むことができました。まだ理解が不十分なところもあるので十分なお返事ができないかもしれませんがご容赦くださいませ。

「生存欲」と「我欲」のお話は、どうしてもマズローの欲求5段階説が浮かんできてこんがらがってしまったので、
喜撰さんはご存じかと思いますが、このコメント欄を読まれる方でまだご存じない方のために少し解説させてください。

マズローの欲求5段階説では、欠乏欲求として生命を維持したい「生理的欲求」、身の安全を守りたい「安全の欲求」、他者とかかわりたい集団に属したい「所属と愛の欲求」、自分を認めたかったり他者から認められたい「承認の欲求」があります。欠乏欲求が満たされないと病気になってしまいます。

欠乏欲求が満たされると成長欲求として自分の能力を発揮して創造的活動をしようとする「自己実現の欲求」があらわれるとされています。

喜撰さんのおっしゃる【生存欲】をマズローの下位欲求である「生理的欲求」と「安全の欲求」のあたり、【我欲】を行き過ぎた「自己実現欲求」であり「利己的な所有欲」と読み替えるとよくイメージできました。



森の民プナンの子どもたちははじめは物を独り占めしようとするので、分け与えるようにと親に教育されるようです。また、富を占有する人よりも物を持たずに分け与える人がリーダーとして尊敬され慕われているようでした。

一方日本の子は欲しいものを小さいうちからどんどん与えられて、個人の知識や技能も所有物の感覚でいるところが違いであり、近代社会の病理の一端として指摘されていました。


衣食住が満たされて所有欲が満たされている状態だと、所有欲が行動の原動力にならないのはその通りですよね。

戦後の、物がなくて苦しんだ人たちがシャカリキに働いて富を築いていったたくましさは私にはないんですよね。

でもなんとなくしっかり勉強して社会でよい仕事に就けるようにしなければというような強迫観念というか漠然とした不安はあるので、自分は働かずに家にいるというのに不登校の子どもに求めてしまったところはありました。このままではいけないと子どもを追い立てながら自分のことを責めていました。


生存欲求を満たそうとして休んでいるのに、さぼりじゃないかと思って叱責したことも確かにあります。

そして生存欲求を脅かしてしまう、子どもとずれているというのは本当に身に覚えがありますね。。


ただ、子どもの将来とか自分の将来を案じて休んでいてはいけない、ちゃんと学校に行かないといけないと追い立てた一面もありつつ、親の自分が愛情面で心理的に満たされていないところがあるために子どもにうまく寄り添って寛容に愛情表現していくことが難しいという側面もあったように思います。個人主義であり資本主義の世の中で、親しい人との愛着形成が十分でなく、集団に自分を適度に溶け込ませて心地よく感じるという経験をあまりしてこなかったようにも思います。そういう中で子どもが学校に通えず集団に所属できずに家で孤立しているように見える状況は私の不安を掻き立てておりました。


でも本当はもっと頑張れと追い立てるのでなく、しっかりと愛情を注いでそのままでいいと抱きしめて元気にしてあげたらよかったんですよね。そうすれば生存欲求が満たされて自然と外に向かっていく元気が湧いてきたように思います。親の愛情とか友達でなくスマホとか電子機器に依存してしまう環境も不登校の原因の一つかもしれませんね。本当に人それぞれ違うので一概には言えません。


ちなみに森の民プナンは確立した自我とか自己実現欲求がなくて、所属と愛の欲求がしっかりと満たされているという印象がありました。子どももみんなで育てている感じで集団に守られていて責められない安心感で満たされていると思います。

森の民は社会をよくするためによく働こうという動機でなくて、その日の食べることに集中して生活を楽しんでいます。ニーチェと森の民が似ているのは人生に意味なんかなく円環的な時間、「永遠回帰」を生きていて、その中で楽しもうとしているところなのかなと本の中では学びました。

ニーチェと森の民が全く違うというご指摘についてはとても興味深いので自分なりに理解が追いつくようにもう少し勉強してみようと思います!

資本主義の中で、個人主義の感覚で自己責任の感覚が強くなっていて、我が子の不登校を親の自分の育て方だと自分で責めたり家族や周りの人とのつながりが希薄になっている面も不登校の親子が苦しむ一因だったりするのかなと個人的には思いました。


表面的に我欲を抑えた状態が「民主主義」というお話を受けて、全員が納得できるような方向を目指そうとする民主主義は難しいのだろうかという思いも持ちました。


日本は人口減少でこれからどんどん貧乏になっていく予感ですね。所有することが保証されない時代になっていくと、お勉強がよくできて誰かに言われたことを忠実に完ぺきにこなすエリートよりも、柔軟に果敢に自分の思いに忠実に生命力を高めてきた子が強くなるかもしれませんね。


ニーチェの死因ですが、諸説あるのか私が調べたところによると誹謗中傷による精神病という説や、脳梅毒により精神病のような症状になり最後は肺炎でという説もありました。自殺願望はあったようですね。やはり高らかに自由を説く人は、苦しみを抱えていたりするものなのかなとニーチェのことを知らないなりに感じました。ありがとうございました(^^)
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Unknown (mame-festival)
2022-10-06 17:33:58
@さくらもちさん
最近は座って話を聞くだけでなく、自分で調べて発表したりグループでディスカッションしたりという授業もあり、そういう教育なら主体的になれるかもしれないのでいいな~って思います。ただ発表が苦手な子もいて、書くほうが得意な子もいるので、たくさん手を挙げた子が評価されたりするのはなんか変だな~と思います。勉強も学校生活も主体的になれるかどうかというのは一つポイントかもしれませんね。ありがとうございました(^^)
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