私が誰かにやさしくできなかったことには
「理由がある」
誰かが私にやさしくできなかったことにも
「理由がある」
私は傷ついていたのだ。
誰かも傷ついていたのだ。
普通ならこうするのがベストだという態度ができなかったとしてもしょうがないのだ。
自分が誰かの言動に傷ついたことをなかったことにして、やさしくするべきだからやさしくする、というのには限界がある。
優しくできなかった自分にも「理由がある」と認めて許すことにした。
「私は傷ついていた」だからしょうがない。そんなふうに許した。
その考え方を頭の中で繰り返すなかで、ふと出てきたのが、
私を傷つけた相手にも「理由がある」ということだった。
相手には私を傷つけたという自覚もないかもしれない。
ただ私に親切でなかったこと、敵意を向けること、優しくできないこと、ないがしろにすることには、全部なんらかの「理由がある」のだ。
そう思うと、自分の中に、「なんで?」が消えて、納得できた。
すると心からの素直なやさしさが戻ってきた。
敵だと思っていた人も同志だったのだ。
戦わなくていいのだ。本音に鎧を着せて頑張らなくてもいいのだ。
私が誰かにやさしくできなかったことには「理由がある」
誰かが私にやさしくできなかったことには「理由がある」
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