子どもが学校嫌いなのも頷ける。
自分も学校のような広い場所に保護者として出かけるだけで結構疲れる。
この春は息子の卒業と入学があったわけだが、お祝いに集中できないほど周囲からの自分の見られ方が気になって落ち着かなかった。情けないけど。
2年前の娘の卒業入学はコロナが出たばかりだったので服を買いに行く余裕がなく、入学式も手持ちの黒っぽい服で参加した。周りがホワイトが多いと感じてなんだか恥ずかしかった覚えがあった。
そこで今年の入学式は淡い春っぽい色の服で参加しようとネットでも実店舗でも探した。
卒業式は手持ちのジャケットでと思っていたが、試着するとパツパツ。
そこで紺のジャケットを新調したわけだが今度は大きすぎて不恰好のようで気になってしょうがなかった。
卒業式を終えて、入学式も同じ紺の服でいいと思ったりもしたけど、やはりダークカラーでの参加を恥ずかしく感じた2年前の入学式が思い出されて、薄手の淡い色のジャケットも新調した。
やけに不安だったために卒業も入学も服を新調した。無職の身なのにも関わらず、不安に駆られて買い物へと走った。
ふたを開けてみれば、入学式は2年前と比べてダークカラーのスーツの方が大半だった。それで私はまたマイノリティーになったわけだ。
なんでこうマイノリティーは落ち着かないんだろう。集団に溶け込みたい。悪目立ちしたくない。
で、なんで私はこんな必死なんだろう(´;ω;`)
卒業式、入学式を終えて落ち着いて写真を振り返ってみた。
今年の卒業式のデカすぎて老けて見えると思ってたスーツは別におかしくもなかったし、入学式のジャケットだって別におかしくなかった。
誰も気にしてないだろうな。私が私を一番厳しく批判して苦しめていたのだ。
鏡の前に何度も立ったあの時間なんだったんだろう。笑
緊張しすぎて過剰な準備をしてしまったというこの春の失敗話。
そんなに緊張することもなかったよ。
だいたい主役は子どもなわけで。そういうずれてるところが可笑しい自分(;^ω^)
人からの見られ方を気にしすぎて対処することには意味がなくて、「自分が自分をどう見ているか」に尽きると思い知った。
人から見ておかしくないかという視点では自信は持てないのだなぁ。
自分が自分をいけてると思えるかどうか、だ。
自分を肯定して、まあまあでもいいから満足していれば、見られ方に神経を張り巡らせることもないのだろう。過剰な買い物に奔走することもなかったのだ('ω')ノ
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