長年、何かをやろうとするとき、気合を入れてから動くということが癖になっている。
「休む」ということが、サボりだと無意識に感じてしまう癖もまだある。
家にいながら家にいる罪悪感は捨てきれていない。
こないだ「勉強するのはなんのため?」の
記事に書いたが、自由の実感が得られてないのだ。
動きたいときに動き、休みたいときに休むということが自分で許せず
動いていればマル。休んでいたらバツ。
そんな単細胞な公式を無意識に使い続けてきた。
というのも、2学期の終わりに久しぶりに娘が学校を二日休み、
またしてもイライラしてしまったことで気が付いた。
今まで頑張ってきたんだし休めばいいじゃないなどと思ってみるが、どうも落ち着かない。モヤモヤしてしまう。
うつむいていようものなら、休んでるから落ち込むんだよ!などと
言ってしまう😢
こんな対応は間違っている!
あぁ、自分の中にまだまだ頑張りマンがいるんだなと気づいた。
無理して頑張らないと許さない自分がまだまだいる。
そういうわけで、家事もやる気が出るまでやらない。いい子にならない。
汚くても洗濯物たたんでなくても、頑張らないで今日は寝る。というのを試してみた。
結果、ゆっくり寝て朝やったらすーっと終わった。
まったくやる気が出なかった年賀状作りにも少し取り掛かることができた。
気合を入れず、部屋をきれいにしたいからする、という自然な
家事モチベになるように調整中。
きれいにしないと愛されない、しっかりやらないと自分に価値がない、
というようなゆがんだ価値観を握りしめているときがあるので
家族になんやかんやと当たりたくなったときは要注意だ。
年末だから掃除するべき、妻なら母ならとやっきになって動くことで
心身が削れる。
母がふんわり・にこにこしていることで貢献できることもあるのではないだろうか。
だから、今は頑張らない練習中。
頑張らせない練習中。子どものダラダラにも口出さない。
いい子を求めない。
子どものころ夢のケーキだと思ってたビエネッタが!
カップになってスーパーで安売りしていた。
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