お先に下山します☆彡

目指せ!エンディングノート(*^^)v

2024北海道放浪記 Day33~Day34

2024-07-23 20:48:31 | 北海道放浪2024
2024/7/21~7/22 湧別→網走

網走戻ってきた。
今週末の「あばしりオホーツク夏祭り」までこの辺プラプラして、祭り終わったら知床方面へ行こうかと。

網走のショッピングエリア駒場で食材買ってるのだが、COOP高い少ない、CITYショボイ、BASICでやっと気が済んだ。今後はここにするだ。

↓オホーツク流氷館にて



↓天都山から知床方面
右の斜里岳、左の羅臼岳、どっちをしばこう。先週、旭岳で痛めたかかとがまだ治らん。
↓道の駅から何もないオホーツク海。蜃気楼?


7/21開催されたサロマ湖の「湧別サロマ湖龍宮えび・ホタテまつり」 は大満足でした。これから動画編集なり。

7/19,20で開催された「しれとこ斜里ねぷた祭り」動画、整理したのでUPします。撮った映像50GBw。もはやVLOGというより記録映像。おいら史上最長動画(1時間5分)になってもた。








↓動画(2024しれとこ斜里ねぷた祭り)

斜里町の人口は約1万人、お祭りの人出も数千人程、決して大きな祭りではないですが、祭りの良し悪しは規模にあらず。
見せる祭りより楽しむ祭り!地元の皆さんの手作り!年に一度の感謝を伝えていく無形の心にこそ価値があり。そこに生まれそこに生きた人々、祭りが紡ぐその記憶は永遠のプライスレス(^^)/
まろは背景を分断したギラギラ騒ぐだけのお祭りは嫌いです。

なんで北海道にねぶたがあんのよ!?な方に、以下。
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217年前の江戸時代末期(文化4~5年/1807~1808)、ロシアの脅威に対し幕府の命で北方警備のために斜里に駐屯した津軽藩士100名のうち、準備、栄養不良、厳しい越冬生活などのため、斜里の地で72名が亡くなるという惨事がありました。途中の病気帰国者などを除くと、任を解かれて弘前に帰り着いた者は僅か17名でした。
斜里町ではこの犠牲者の慰霊碑を建立し、その縁で弘前市と斜里町が1983年に友好都市盟約を結び、さらに同年7月に門外不出だった「弘前ねぶた」が斜里で運行されました。
これが「しれとこ斜里ねぷた」の始まりです。
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初日の午前中、慰霊祭も取材させていただきました。
斜里町、弘前市から大勢のご関係者が参列され、先人への感謝と殉難を偲んでおられました。
こちらも時間あったら動画起こそうと思います。

いやーー故郷っていいですね♬

Deeply Feel in Hokkaido! (^^)/