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フィリピン(英霊を訪ねて)

2021-03-24 13:20:57 | 海外

covid-19前までは頻繁に海外へ出かけていた。仕事だったり遊びだったり。これはcovid-19前、フィリピンの旧日本軍基地であるマバラカット飛行場跡を訪ね、当時最初に編成された神風特別攻撃隊の現場慰霊訪問の記録です。

最初に、小生は戦争ヲタだったり右や左でもありません。義務教育だけで出来上がった標準的なただの無知です。

マバラカットは首都マニラの北、フィリピンの副都心化計画の進むクラーク地区にある。中心部にAngeles(エンジェルじゃなくアンヘレスと読む)という歓楽街がありその向きの観光客しか来ないような地域です。たまたまここで仕事の国際会議があり滞在の途中行ってみました。隣は有名なスービックでピナツボ火山噴火で埋まるまでは米軍基地がありベトナム戦争時代は米空軍の最大拠点でした。映画Officer and Gentlemanの舞台にもなったところです。今クラーク空港は日本直行便が撤退し、韓国便が就航、深夜になると韓国からのゴルフ客であふれます。

旧日本軍はこのクラーク全域に基地を展開、マバラカット飛行場は西飛行場と東飛行場があり南進の重要拠点として広大な面積を有しシンガポール一国より大きかったそうです。

そしてここは、あの神風特別攻撃隊が初めて編成され、敷島隊の一番機が飛び立ったところです。以降常態化、本土防衛と称し鹿児島の知覧や鹿屋と続いて行きました。

↓当時の記録映像 マバラカット飛行場から出撃前の敷島隊。youtubeに動画多数あり。

 

現地を訪れ一番驚いたのは、私たちが日本の教育で刷り込まれた歴史感と、現場の真実のギャップでした。私のように無知な人たちは、特攻はただ犬死だ、人間の尊厳を捨てた最低の狂乱だ、的位置づけになっているかと思いますが、現地を見て人と触れ合い、その評価やそこに残された真実を知るにつけ、日本での捉え方には巨大な偏向とミスリードがあると思うようになりました。

会議の空き日、タクシーをチャーターしホテルから5Km程の距離、旧日本軍マバラカット西飛行場跡に向かいました。今はブッシュに囲まれた平穏な場所。ゲートには小銃を構えた守衛がいて現地政府の許可がないとパスできない。(許可はフィリピン外務省近くの空港警察事務所で取れる(Department of Foreign Affairs, Clark free port zone))事前許可を取らす行ったため、ゲートで押し問答数十分、守衛は当局にチクるし、袖の下も効かないし、現地人ドライバーを味方に熱弁するも氷の鉄人。拘束の危機すら感じる始末。。いろいろ画策、自分も政府系の仕事だったので査証と日の丸付ID見せたら突然軟化、最後の一押し、俺のじーちゃんはここで死んだんだ!入れろ!30分で戻る。。これが効いた、守衛は情けに弱かった。(じーちゃんはここでなくレイテで逝った)

荒れた泥道を進み現場につくと、一面草むら、そこに現地フィリピン人の方が立てた慰霊サイトがあった。すぐ裏はライフル射撃場で射撃音が鳴りやまない。タクシーもちょっとビビってる。サイトを掃除し供物を置き、弔意の合掌、深く頭を下げた。

周囲の風景は当時が伺える丘、小川、遠くの山、、記録映像にある敷島隊が出撃前、大西中将と最後の水盃を交わした場所だ。(大西中将は軍令とはいうものの特攻4000名の起点となった自分に深く悩み、後に必ず君たちのもとへ行くと約束、玉音放送後、詫びの遺書を残し渋谷南平台の官舎で割腹自決、若者たちの痛みはこの比でないと介錯無しを選び15時間苦しんで亡くなったという)。まさにその真上に立っている自分。映像からは彼らの人間性もかいま取れる。その表情は志など寸分も見れず、あきれるほどの自然体に見える。数時間後には命を落とすのに。覚悟とはそういうものなのか。。同じ場所に立ち同じ空気を吸い同じ風景を見て、彼らの想いを全神経で受けとめようと集中した。しかし、空しくもなんの変化も感じなかった。

記録によれば、特攻初日は戦果がなく、数日後、レイテ沖に米空母と護衛群を見つけ関大尉以下5機が突入、撃沈、大破させたのが最初の戦果だそうだ。その数日間、連日出撃し生死の狭間を行き来した彼らの心境、それを支えたものは何なんだろう。現地には特攻兵を家族のように扱い、出撃を止めるよう説得したり涙で送り出した現地フィリピン人の記録も多く残っている。関大尉が23歳、19歳も3人、若さが更に残酷だ。

西飛行場を後にするとき、なぜかゲートの守衛にバリバリの敬礼をされた。入るときと態度が一変、、何があったかは分からない。

次に東飛行場へ向かった。典型的な田舎町マバラカットの中心街を抜けるため大渋滞、3kmに1時間かかった。現場に着くと同じく現地の方が建立した特攻兵を模擬したモニュメントがあった。ここは町中でだれでもこれる場所。道際に車を止め、礼をしていると、現地の小学生らしき子供たち数人通りかかり、自分と一緒になって手を合わせる。ジャパン?と聞かれ、そうだ、と答えると、日本語でアリガトウと言われ去って行った。チップ頂戴ではなかった。。なんか違う、、想定と違う。

守衛の態度一変、子供たちの行為、この変な違和感。何かあるぞと思いドライバーのおっちゃんににあれこれ聞いてみた。。おっちゃんが言うには、現地では学校で感謝の教育が行われているとのこと。学校に通えなかった人は当時を知る語り部から聞いてるとのこと。戦争には様々な負の側面もあるが、我々は日本人の精神性に感謝せざるを得ない。と言う。兵隊さんと現地家族との触れ合いや、教科書の内容まで嵐のようにしゃべられ、日本では聞いたことのない話ばかりだった。恨み辛みで一杯だろうと思っていた彼らの心は、ニュートラルで深遠で人の良し悪しを明快に整理していた。

個々の話は偏見や誤解を招きそうなので記さない。それだけ日本国内の刷り込み情報と現地での受け取られ方のギャップは大きい。正反対に近い。彼らは、民族や宗教感を超え、何かのために人が命を捨てることの本当の尊さと悲しさを、当事国の日本より遥かに理解し感謝し伝えていた。

ASEAN各国が集まる会議で、日本団に対する各国の眼差しは他国と違う。経済の優等生ということではなく、過去の真実が生む人間性に対する素直なマインドの現れなんだと思う。我々は先人たちが築いたそんな無形財産を大多数が忘れ去り或は自己削除したことを、逆に気づかされる滑稽な民となってしまったようだ。

ドライバーのおっちゃんが大きな声で言っていた。この国はスペインに300年間占領された。次は米国に50年間占領された。次は日本に4年間占領された。でもただ一国、公式に謝罪しに来てくれた国がある。それはたった4年のあんたの国だ。おれらは学校で習うんだよ。

ホテルに戻り、近所に見つけた日本人経営のダイニングへ、バイトのお嬢さんは現地の女子大生、仕事が少なくここまで2時間かけて通うそうだ。今日の話をしてみた。おっちゃんからアレコレ聞いた話もしてみた。すると、そーね、みんなが知ってることよ♪と笑顔で平然と言われた。私の驚く表情に逆に彼女が驚いていた。

翌朝、ホテルロビーはミスなんちゃらコンテスト参加者であふれていた。黒のスタッフから撮影はやめてくれと制され、こっちは情け無用だった。。平和に乾杯!

ここだけでなく、ODA絡みでフィリピン各地を廻るにつけ、あちこちで歴史の時間を感じることになる。レイテのタクロバンにも何度も通った(仕事)。おじーちゃんが戦死した場所。山間部には塹壕や激戦の爪痕がまだ残る。生前おばーちゃんが見せてくれた遺族に配られる小さな勲章と戦死報告には、補給が途絶え餓死とあった。ここはマッカーサーがI Shall returneで帰還した場所でもあり連合国の正義を示す象徴的な場所となった。上陸地のMacArthur Landing Memorial Parkには戦勝国側の国旗と共に立派なブロンズ像がある。

戦勝国のプロパガンダをすり込む場所で戦没者を偲ぶ場所ではない。芝生の隅にだれが置くのか小さな日の丸があった。その正面に立つ。時を超えても心の複雑さは消えない。独立記念日(米国支配からの)に見た街を挙げたパレードは、プライド回復の象徴だけではなく、何に対してなのか、優しく分厚く、素晴らしく綺麗で感謝にあふれていた。。多くの命が失われた歴史の不幸に引きずられず、力の支配やどちらが正しいなども無関係、民族の魂を失わないことこそが不滅の勝利のように見えた。

日本はフィリピンにとってダントツの支援国。米国が基地と共にお金も撤退し、今は中国の札束外交が強烈にせまる。米国や中国は金を出して口も出す、日本は金を出して人を出す、韓国は何も出さず旗を出す。口は政府を動かすが、人は両国末端が動くだけ。そして旗出すだけは他国の成果横取りのただのコソ泥。現場ではそんな国色の違いが際だつ。ガラパゴスな日本の道徳は無力。外交下手のお家芸は健在だ。そーやって、我々の税金がこの国にすでに3兆円以上消化された。引退した安部ちゃんは更に2兆円を約束してしまった。インドには6兆円を超えている。円借款の一部は戻るもののコスパの悪さは現場で明白だ。民間ロビーイスト達は名ばかりの交流団体を立上げ政治家を張り付けたイベントを乱発、悪徳win-winで国旗を免罪符に巨額が流れる。支援国と受益国、当事国の面子さえ立てば公的詐欺も正義であり予定調和なのだ。表は玉虫、中身はハッタリ、事故案件の回収作業も経験した。が、戻るわけがない。首謀者は外貨稼ぎの成果が認められ受益国の政治家になる。どの国も同じ、本物の大金泥棒は治外法権に逃げるのだ。現場に投入される日本人専門家は実に優秀でモチベーションも高い。ゆえに悲しい。善意のロスは政策でカバーしないといつまでたってもピエロの自己満足で終わる。

最近思う、豊かさとはなんだと。経済的貧困と精神的貧困、笑顔のある貧困と無い貧困、ASEANの多くは貧しい層にも笑顔があふれる。。モノや金は失っても戻る、だが、失う心は戻らない。。自傷教育と能天気な散財の不幸大国、両失超特急、救われるべきは間違いなくこの国ニッポンなのだ。



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4 コメント

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ビックリです! (素晴らしい風景(忠))
2021-03-25 23:56:02
初めまして! 忠と申します。
海外の旧日本軍基地を歩かれたのですか?
今、半藤一利著の「昭和史」を読ませて頂いており、日本の戦争の歴史を知ることに興味を持ちました。
フィリピンのことも有りました。
読ませて頂きまして、本当にビックリしました。ありがとうございます。
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Unknown (まろ)
2021-03-26 05:51:54
忠さん、コメントありがとうございます。私は昭和史や戦史についても多分一般的な無知です。海外の現場で見ること聞くことしか知りません。
フィリピンは他にも沢山の爪痕があります。日本の若い世代には、東亜の各国が見る日本、どう思われているのか是非知ってほしいと思っています。タイ始めマレー各国やインドネシアでもフィリピン同様の肌感があります。
日本の自傷教育はほんと問題です。
我々が反省すべきは、当時の日本中枢の構造的問題とそれが生んだ悲劇であって、現場で命を落とした兵隊さんの行為ではないはず。
各国で見聞きする話は、その兵隊さんたちに対する現地民の感謝です。欧米列強支配からの解放とか怪しい話ではなく、彼らが極限の中で示した精神が、直接、間接現地民の中に崇高な絆となって残っています。
こういったプライスレスで膨大な親日財産、彼らが命に代えて残したものを自ら捨てようとしてるこの国が残念でなりません。
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前向き (7K3DIW)
2021-03-31 21:26:24
まろさん

歴史の常ですが
勝者の歴史が教科書に書かれているだけでしょう。戦後の復興やビジネスのために中国、韓国の意のままに「慰安婦」や「南京略殺」を飲み込んできた。
それを元に戻せなかったのは経済いや韓国中国進出している企業論理や勢力でしょう。
コマーシャルベースでは真実や理想も程遠いです(無線も同じ←小さい小さい)
現在の中国の同化政策、独裁政治は不幸しかありません。
日本は歴史認識を歪めて中国にすり寄ってきた過去を正す時です
最近、少しの光明があります。日本が提唱したQuad(日米豪印Security Dialogue)です。英国も参加するようです。ここから大東亜共栄圏構想を復活させて指導的立場を担えば台湾等周辺国は実は喜ぶはずです(TTPは経済版これも日本主導でした)
あと日本にもう少し軍備があれば・・と思います。
アジア諸国から多くの優秀な人材が来日しています。経済の面もありますがそれよりも「親日財産」が彼らを日本へ向かわせているのです。
と悲観的な解釈よりは少しだけ前向きにとらえたいと思っています。
日本の政策もバイデン政権(ブリンケン国務長官)に引きずられた感はありますが少し転換しつつあります。
少しだけ楽しみです、小さな力ですが削除された歴史を戻していきましょう
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Unknown (まろ)
2021-04-02 01:21:26
DIWさん、いつもお世話になっております。コメントありがとうございます。その通りですね。勝者が正義となるのは世の常。支配と征服が同義語のよう語られる社会の中で、東南アジアでは有形の力と無形の文化はきちんと独立してて、モノは支配されても人間は征服はされないという力強さがまだ残っているように感じます。親日財産を含めそれがあるうちにQuadなど国際協調が実を結ぶとよいですよね。昨年頭、タイで4ヵ国の軍(自衛隊)+αが参加する医療合同訓練が計画され行くつもりだったのですがcovid19で流れてしまいました。
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