数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

熟語本位 英和中辞典

2021-05-20 12:42:46 | 読書
 前回のブログで、「熟語本位 英和中辞典」(岩波書店 斎藤秀三郎著 豊田実 増補)について、少し言及しました。
 この辞書は、私が高校時代によく学校の帰りに立ち寄っていた松阪市の中村書店の本棚に古めかしい箱に収まって、しかも中身は旧仮名字体で書かれていて、それがかえって異彩を放っていました。今手元にあるのは、今から20年ほど前に懐かしさのために思わず買ったものです。
中身は当時と変わらないものの、箱や紙質などさらに装丁も変わっていますが、それは相変わらず根強い読者がいることの証だと思います。
 さて、当時、私は津高校1年生でした。英語の辞書としてはちょうど1年前に研究社の「新英和中辞典」(岩崎民平他編)を買って使っていました。

英語が好きで、中学3年の途中から使っていました。津高校に入学して、英語の辞書としてこの「新英和中辞典」一番に推薦されていて、他には新クラウン英和辞典なども推薦されていました。誰か先生に紹介されて中学の時、この辞書を買ったと思うのですが、今は誰だったかはっきり覚えていません。ともかく、この辞書は当時多くの津高校生が使っていて、クラスでも7割以上は使っていたと思います。私もボロボロになるくらい高校1年で使って線が引いてないページはない状態でした。写真の辞書は後で買い直したものです。
 クラスの担任のS先生は英語の先生で津高校でも有名な英語の先生で、定年前の年配の先生ではありましたが、徹底的に勉強させられた感じがありました。私だけでなく、クラス全体がだんだんとそんな雰囲気になっていくのが感じられたのでした。今思い出しても、このクラスの雰囲気は非常に良かったと思います。だんだんとクラスの生徒の意識も高くなっていくのが感じられました。先生の発問や教科書の章が終わるごとのテストもレベルが高いものでした。当時はそれが普通だと思っていましたが、その後、いろいろ話を聞いたり、自分が高校の先生となって同僚の英語の先生から話を聞くにつけて改めてそのレベルの高さを感じました。
 例えば、今思い出すと、ある時、菊の花が教壇の上の瓶に一輪置いてあって、その先生は、菊を英語でなんと言いますか?と皆に聞きました。それまで、教科書に出てきた英単語は皆覚えている連中ばかりでしたが、誰も今まで聞いたことがなかったのですが、ある女の子だけはその単語を知っていました。その子以外の生徒は唖然としてしました。また、ある時、「イギリスの階級制度を上から順番に英語で答えよ」と言われて、誰もわからないと思っていたら、一人それを答える男子生徒がいました。ちょうど、ビートルズが勲章を貰った時期でもあり、知っていたのかもしれませんが、そんなクラスメイトにクラス全体が触発されていく雰囲気が感じられました。章テストの形式は、制限時間は15分くらいでした。第1問がディクテーションで、先生が読んでいく10行くらいの英文を書いていく問題で、教科書を覚えていないと書けない問題でした。第2問3問は単語と熟語の問題で、先生は日本語を言ってそれに対応する英単語熟語を書く問題です。そして第4問が先生が日本語を話してそれを英文に直す、英作文でした。今でも覚えている問題は、確か高1の6月頃だったと思います。「大雑把に言って、地球と月の間の距離は地球の半径の約??倍である。」というものでした。もちろんそのような英文が教科書にあるわけではなく、動名詞など文法的なことに関連して出されたものでした。先生は白紙の紙を生徒に1枚づつ配るだけですが、テストが終わるとB5の用紙は英語でいっぱいの状態になります。おそらく今の高1のレベルとしてもレベルが高かったように思いますが、当時はそれは当たり前で、高校になって格調高い英語の授業にやる気を起こさせられて、必死で勉強していたような気がします。
 そんな英語の授業の中で、予習していくときは、英文を声を出して読んで、さらに英文をノートに写して、日本語に訳すという作業をしていました。この日本語に訳す作業の中でいかに日本語らしい表現をするかを学んだような気がします。英語だけでなく日本語の表現についても、英語の授業を通して学んだことが多かったと思います。当時、塾など今のようにあるわけではなく、自分でいかに勉強するかが自分で考えることが大切で、授業の予習復習は参考書や辞書を頼りにできましたが、授業以外には通信添削をしていました。
 当時はZ会が有名でしたが、私はオリオンという通信添削をしていました。今はオリオンもなくなっていますが、当時はZ会よりも難しい問題が多かったのがオリオンでした。私は英語の他に数学、国語も受講していましたが、英語の問題の形式はZ会と同じで、表面は英文が数十行書いてあって、その下の空白に日本語に訳す問題で、裏面は単語熟語の問題が少しと、大半が日本語10行くらいを英文に直す問題でした。高1クラスのレベルの講座(Z会は当時基礎、受験の2コース)でしたが、当然授業より難しく、毎週土日はこの問題を考えることに大半の時間が費やされて記憶があります。
 この通信添削では、締め切り後、添削された自分の答案が返却されてきますが、同時に解答解説の書かれた旬報が送られてきます。その旬報には、大学合格された受講生の合格体験記など掲載されていました。その中に東大の理科3類に合格した横浜の翠嵐高校の女子の合格体験記に書かれてあったのが、斎藤秀三郎の「熟語本位 英和中辞典」(岩波書店)でした。その人は、この辞書を読むことで受験勉強をしたという。辞書を読むことだけで、それが勉強になるのか?と思いながら、行きつけの中村書店でこの辞書をペラペラめくってみると、旧仮名字体で読みにくく、普通の英和辞典のように掲載単語数の数を競うこともなく、英語を日本語に置き換えることに関して詳しく書かれているなという感じで、日頃思っていることの助けになるなあと感じました。
 しかし、結局はこの辞書を買うことはせずに月日は流れていきました。そして、いつか頭の中からもこの辞書のことは消えていき、当時の中村書店も時代の流れの中で廃業していき、都会の大きな本屋さんでしか岩波書店の本も買えなくなるような時代になってきました。それでも、そんな大型書店では、この「熟語本位 英和中辞典」は棚の片隅に見つけることがありました。
 40歳を超えて、筑波大学に内地留学していた頃だったと思いますが、この「熟語本位 英和中辞典」を買ったのでしょう。懐かしさもあったとは思いますが、装丁はモダンになったものの、中身は旧仮名自体のままです。
 その後、今から数年前に「斎藤さんの英和中辞典」(岩波書店:八木克正著)
を買って、積ん読状態でしたが、読んでなかったのですが、最近読んでみて、なるほどと感心するとともに、当時の高校時代のことを思い出すきっかけになりました。当時の自分の英語の勉強への思いなどもこの本を読みながら再確認できたのです。この本には、当時私が使っていた英語の参考書の「新自修英文典」(研究社 毛利可信著)や「新々英文解釈」(研究社 山崎三郎著)なども紹介されていますが、「熟語本位 英和中辞典」が受験英語に与えた影響力も強調されています。英語に関わる人だけでなく、私のような英語の門外漢にも違った側面から興味深く読める本でもあります。「斎藤さんの英和中辞典」に出てくる英語学者の大村嘉吉(きよし)先生は斎藤秀三郎研究の第1人者のようですが、実は私が駿台予備学校での授業で、この大村先生の授業を受けた記憶があります。その授業の一コマで、斎藤秀三郎が設立した正則英語学校について話されたことが記憶にあります。当時、大村先生は埼玉大学の教授でしたが、この先生だけでなく、有名な大学教授で当時の駿台予備学校で教鞭をとられていた先生は多かったように思います。その後、私自身が数学に関わるようになって知った数学者でも、本橋先生(筑波大学教授)、笹尾精也先生(東工大教授)、金沢稔先生(電気通信大学教授)など実際に授業を受けた先生がいます。その後、本橋先生には私の筑波での内地留学の際にお話を伺う機会がありましたが、今とは予備校の講師の先生の経歴も違います。私自身も予備校で教鞭をとるなどして実感するこの頃です。そんなあの頃を思い出させてくれた本をきっと私のとっては貴重な本になるのでしょうね。そんな本との出会いは楽しいものですね。
 
 

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