いじめを苦に自殺をされた旭川の少女の件で、私はTwitterで非難を浴びた。
何故なら
いじめた子供はもちろん、その親、そして学校の先生も去ることながら、被害者の母親も責めたからだ。
「なぜそんな虐めのある学校に行かせたんだ」
「休みたいと言ったはずだ」
「安心して家にいることが出来たなら、彼女は死なずに済んだはずだ」
という思いからだった。
予想通り
「悲しみに暮れている母親を責めるなんて信じられない」とか
「母親は心配して学校を転校させていた」
「ちゃんと学校に抗議していた」
というものだった
虐められた子供が、隣町の学校に転校したら、心機一転行けるようになるのか?
私はそうは思わない。
人間不信に陥り、「また虐められるかもしれない」「ここにもアイツらが来るかもしれない」と怯える想像力は働かなかったのか…
学校なんて期待できるものでは無い。
虐めるような人達を変えることはできない。
虐めは繰り返される。
これらは、私が自殺を選んだ子供や、虐めに遭った子供達を見てきて思うことだ。
だから
「守る」
とにかく我が子の命を「守る」
このことだけを考えたら、「何とかして学校に行かせよう」と思うだろうか
答えは簡単
「そんなところには行くな」
と言うだろう
なぜそこまでして学校に行かせたいのだろう…
確かに、虐めをする子供が悪いのであって、なぜ虐められているこちらが学校から去らねばならないのだ!と思うだろう。
しかし、学校と戦いたいのであれば、、虐めている子供に制裁を下したいのであれば、先ずは我が子を安全地帯に置いてから親が前線で戦えばいい。
なぜ子供を戦地に送り込み、大本営にごちゃごちゃ言ったところで、聞いてもらえるはずがなく、そうしている間に戦死してしまうのが分からないのか?と言いたい。
Twitterでは、執拗に「謝れ」とリプライをいただいたが、私は母親に対して謝る気は起きない。
母親もまた「加害者である」と今でも思っている。
虐めを苦に自殺をする子供の「寂しさ」と「恐怖」がなぜ分からないのか
家におらせてあげてくださいよ
子供の命を守ってあげられるのは母親だけです
手術が必要な病気になったら入院させるでしょう
「根性」で治せと言いますか?
それとこれとは別だとは思いません。
入院が必要なほど心が傷ついているのですから
入院先が病室ではなく、家である。
それだけ。