◻️160の1の2『岡山の今昔』岡山人(16世紀、竹内久盛)

2020-08-05 20:46:47 | Weblog
160の1の2『岡山の今昔』岡山人(16世紀、竹内久盛)

 竹内久盛(たけのうちひさもり、1503~1595)は、戦国から安土桃山時代にかけての武士、武術家として知られる。
 美作国久米郡の荘園、垪和荘(はわそう)があった場所に生まれる。「并」は土が一面に現われている、一帯が荒地であったと推測され、また「和」とは輪のような地形といったところか。
 やがて、一之瀬城主となる。天文元年、同地の垪和三宮の山中ですででの武術の修行にいそしむようになったとか。
 具体的にいうと、捕手(とりて)、それに腰廻(こしのまわり)などの技を繰り出す、これを編みだし、竹内流を創始する。
 のち、南から進んできた宇喜多直家に城を攻略され、城は落城するも、なんとか逃げる。一説には、美作の大原(現在の美作市大原)の新免家(しんめんけ)に身を寄せたという。その間に、宮本武蔵の父の新免無二斎と親交があったというのだが。
 やがて、角石谷に居を構えて、質素に暮らしたという見方もあるようだ。おのが工夫を凝らした武道については、そのみ切磋琢磨を続けたのではなかろうか。長生きをしたのは、長らくの鍛練と自由な暮らしぶりにあってのこと、というのは、想像するに難くあるまい。
 晩年は、これまた一説によると、稲荷山城の原田氏のもとに身をよせたという。やがての家訓として後代に伝えるべきは、「以後は農業を生業として子々孫々に至るまで仕官することのないように」ということで、それが本心からの戒めなら、なんとも清々しい話ではあるまいか。


(続く)


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