204の2『自然と人間の歴史・世界篇』資本主義はなぜ西欧で始まったのか
資本主義という社会システムをささえているものの他に、どのような背景がそれに力したのかを巡っては、色々な流れがあろう。
その一つは、西洋諸国がそれ例外の地域社会なり国家に対して収奪を行うことにより富を得、それをもって資本主義の発展が可能になったのだという。
二つ目は、西洋においては、そもそも多神教ではあっても、やがて一神教が現れた。そして、そのことが物質的な生産に人間が精出すのを引っ張り、あるいは後押したのだという。例えば、こういう。
「少々むずかしくいえば、一神教からは「主体」(人間)と「客体」(自然)を分離するような精神が生まれる。物質はしょせん物質なのだから、草や木や虫を客観的に分析することになんのタブーも感じない。そんな合理的な精神が科学を生み、その科学は数々の発明・発見を可能にした。それがひいては生産性の大幅な上昇を可能にした。」(中谷巌(なかたにいわお)「資本主義以後の世界」徳間書店、2012)
三つ目としては、キリスト教でいうところの宗教改革と絡めつつ、「勤勉の精神」と、禁欲に根差しての「節約精神」を醸成したのだという。この説の代表格は、次のようにいう。
「ベンジャミン・フランクリンの例に見たような、正当な利潤を「天職」として組繊的かつ合理的に追求するという心情を、われわれがここで暫定的に「(近代)資本主義の精神」と名づけるのは、近代資本主義的企業がこの心情のもっとも適合的な形態として現われ、また逆にこの心情が資本主義的企業のもっとも適合的な精神的推進力となったという歴史的理由によるものだ。」(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)
資本主義という社会システムをささえているものの他に、どのような背景がそれに力したのかを巡っては、色々な流れがあろう。
その一つは、西洋諸国がそれ例外の地域社会なり国家に対して収奪を行うことにより富を得、それをもって資本主義の発展が可能になったのだという。
二つ目は、西洋においては、そもそも多神教ではあっても、やがて一神教が現れた。そして、そのことが物質的な生産に人間が精出すのを引っ張り、あるいは後押したのだという。例えば、こういう。
「少々むずかしくいえば、一神教からは「主体」(人間)と「客体」(自然)を分離するような精神が生まれる。物質はしょせん物質なのだから、草や木や虫を客観的に分析することになんのタブーも感じない。そんな合理的な精神が科学を生み、その科学は数々の発明・発見を可能にした。それがひいては生産性の大幅な上昇を可能にした。」(中谷巌(なかたにいわお)「資本主義以後の世界」徳間書店、2012)
三つ目としては、キリスト教でいうところの宗教改革と絡めつつ、「勤勉の精神」と、禁欲に根差しての「節約精神」を醸成したのだという。この説の代表格は、次のようにいう。
「ベンジャミン・フランクリンの例に見たような、正当な利潤を「天職」として組繊的かつ合理的に追求するという心情を、われわれがここで暫定的に「(近代)資本主義の精神」と名づけるのは、近代資本主義的企業がこの心情のもっとも適合的な形態として現われ、また逆にこの心情が資本主義的企業のもっとも適合的な精神的推進力となったという歴史的理由によるものだ。」(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)
なお、当該のフランクリン(1706~1790)による自伝には、こうある。
「この物語を書いている数え年で七十九歳になる今日まで私がたえず幸福にして来られたのは、神のみ恵みのほかに、このささやかな工夫をなしたためであるが、私の子孫たる者はよくこのことをわきまえてほしい。(中略)
若くして窮乏を免れ、財産を作り、さまざまの知識をえて有用な市民となり、学識ある人々の間にある程度知られるようになったのは、勤勉と倹約の徳のおかげである。(中略)
それで私は、子孫の中から私の例に倣(なら)って利益を収めようとする者が出てくることを希望するのである。」(・フランクリン著、松本慎一・西川正身訳「フランクリン自伝」岩波文庫、1957)
四つ目としては、科学の発展を宗教との兼ね合いでいうのではなくて、哲学を含め、自然観の変化がある段階に達したことを指摘している。例えば、哲学者のデューイは、こういう。
若くして窮乏を免れ、財産を作り、さまざまの知識をえて有用な市民となり、学識ある人々の間にある程度知られるようになったのは、勤勉と倹約の徳のおかげである。(中略)
それで私は、子孫の中から私の例に倣(なら)って利益を収めようとする者が出てくることを希望するのである。」(・フランクリン著、松本慎一・西川正身訳「フランクリン自伝」岩波文庫、1957)
四つ目としては、科学の発展を宗教との兼ね合いでいうのではなくて、哲学を含め、自然観の変化がある段階に達したことを指摘している。例えば、哲学者のデューイは、こういう。
「大筋において、ベーコンはその後の発展のほうこを予言した。けれども、彼は、進歩を「予想した」にすぎない。彼は、新たな科学が長期にわたって人間搾取という古い目的のために使用される運命にあることに気がつかなかったのである。(中略)
科学は、他の階級を犠牲にして自らが強大化するという昔からの目的を達成するための手段を、一階級の自由に委ねたのである。
科学は、他の階級を犠牲にして自らが強大化するという昔からの目的を達成するための手段を、一階級の自由に委ねたのである。
彼が予見したように、科学の方法の革命の後に産業革命が続いて起こった。だが、この革命が新たな精神を生み出すにはまだまだ多くの世紀がかかる。封建制度は、新たな科学の応用によって、土地貴族から工業の中心へと権力が移ったからである。しかるに、社会的人道主義より、むしろ資本主義が封建主義に代わったのである。
あたかも新たな科学は、いかなる道徳的教訓も含んでおらず、ただ、生産と利用における私利の蓄積という経済に関する技術的教訓しか含んでいないかのように、生産や商業が営まれたのである。当然、このような科学の応用は(もっとも顕著にあらわれたものだったので)、自称人道主義者たちの、科学は唯物主義的傾向を有する、という主張を強化した。」(デューイ著、松野安男訳「民主主義と教育(下)」岩波文庫、1975)
あたかも新たな科学は、いかなる道徳的教訓も含んでおらず、ただ、生産と利用における私利の蓄積という経済に関する技術的教訓しか含んでいないかのように、生産や商業が営まれたのである。当然、このような科学の応用は(もっとも顕著にあらわれたものだったので)、自称人道主義者たちの、科学は唯物主義的傾向を有する、という主張を強化した。」(デューイ著、松野安男訳「民主主義と教育(下)」岩波文庫、1975)
次に移ろう。その後の資本主義の展開については、だんだんにというか、あるいは経済変動に直面するうちに変化が起きていく。そちらへの橋渡しがどのようになされていったのかについては、例えば、こう評される。
19世紀の「50年代には、ドイツ人やフランス系カナダ人の流入が起った。かれらは、賃金や労働時間がいかなるものであっても、工場で働く以外に生きる手段を持たないものてあった。ここに至って、資本家・経営者と労働者との間の、人種的および宗教的同一性は消滅し、前者は労働者に極悪の労働条件をしいるのに、さして痛痒(つうよう)も、良心の呵責(かしゃく)も感じなくなったのである。
こうして、産業資本形成期に(19世紀初め=1830年代初めまで)、アメリカの企業家も利己心や営利欲に駆り立てられなかったとは言えないとしても、かれらの精神を、単に利己心あるいは営利欲として特色づけることは困難である。まして、かれらが剰余価値の追及に全力を尽くしていた、かれらの行動はすべてその意図から出たものである、と断言することは困難である。」(尾上一雄「増補、アメリカ経済歴史研究1」杉山書店、1969)
(続く)
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