14の2『自然と人間の歴史・日本篇』日本アルプスと富士山の形成
さても、「富士は日本一の山」とうたわれる富士山は、標高3776メートルの成層火山にて、山梨、静岡の両県にまたがる。その誕生は、今から少なくとも数十万年前からの海底火山に始まるとされる。
火山の寿命からいうと、富士山はまだ若い、それでいて、その生い立ちには不明な点が少なくないという。
さても、「富士は日本一の山」とうたわれる富士山は、標高3776メートルの成層火山にて、山梨、静岡の両県にまたがる。その誕生は、今から少なくとも数十万年前からの海底火山に始まるとされる。
火山の寿命からいうと、富士山はまだ若い、それでいて、その生い立ちには不明な点が少なくないという。
まずは、その前史から始めよう。富士山周辺の地殻、地層の形成から、海上に出てくるまでは、二つの時期に分かたれよう。新第三紀中新世(約2300万年前~約533万年前)の初期にできた地層は、御坂統(または御坂層)と呼ばれる。
その次の中新世の中期~後期にできた地層は富士川統と呼ばれていて、この時代までは富士山の周辺地域には海が来ていたのではないかという。
それが、新第三紀鮮新世さらに第四紀の初期になるにつれて、それらの地層が陸地として現れていくにつれ、侵食を受けていく。侵食を受けながらも隆起を続けるうちに、富士山が誕生したのではないかと考えられている。
あえていうなら、富士山はよく「3階建て」と言われる。3世代が同居した山とも言う。第四紀更新世(約258万年前~約1万1700年前)の、一説には、約70万年から約20万年前に「小御岳(こみたけ)火山」が噴出、形成された。その模様だが、安山岩質で粘性が強く、高さ約2400メートル前後の火山を形成したのであろう。
二つめの変化としては、現在私たちが仰ぎ見ている新富士の原型である「古富士」の形成があった。こちらの活動開始は、約10万年から約8万年前であったという説から、数万年前からというものまで、諸説あり。
大方な見方としては、小御岳の中腹・南斜面から活動を始め、爆発的な噴火を繰り返して小御岳を覆ったのだろう。大量の火山灰が関東ローム層として堆積していく。約2万5000年前には山体が崩れて大規模な「古富士泥流」も発生するなど、噴火と、それに伴う山体崩壊を重ねる。
約1万1000年前、その古富士の頂上が火を噴いた、その頃は、人間もいたであろうから、大層驚いたであろうことは、想像に難くあるまい。
それが、いわゆる「新富士火山」の始まり。これを境に噴火のタイプが爆発型から溶岩流出に変わり、現在の新富士火山活動期に入った、とされる。
その位置関係については、例えば、こう言われる。
「小御岳が死火山となった後、その南西側、現在の富士山火口の真下辺りから起きた噴火により形成されたのが古富士火山である。この古富士火山の火山角礫層は富士吉田市付近でもその厚さや高度分布は一様ではなく、富士山の中心に向かって漸次高まるようで、現在の富士山の中心付近から噴出したものと見られている。したがって古富士火山は富士山本体の溶岩よりずっと古く、新期溶岩の噴出前に相当侵食され、断層によりかなり変形を受けたものと考えられる。」(「富士吉田市史、行政編・上巻」)
以後は、縄文時代中期の約5000年前まで火山活動が活発化していく。そうして、火山砕屑物の噴出と玄武岩質の多量の溶岩流出が繰り返しあり、それらは山体の末端まで到達したのだという。
(続く)
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それが、新第三紀鮮新世さらに第四紀の初期になるにつれて、それらの地層が陸地として現れていくにつれ、侵食を受けていく。侵食を受けながらも隆起を続けるうちに、富士山が誕生したのではないかと考えられている。
あえていうなら、富士山はよく「3階建て」と言われる。3世代が同居した山とも言う。第四紀更新世(約258万年前~約1万1700年前)の、一説には、約70万年から約20万年前に「小御岳(こみたけ)火山」が噴出、形成された。その模様だが、安山岩質で粘性が強く、高さ約2400メートル前後の火山を形成したのであろう。
二つめの変化としては、現在私たちが仰ぎ見ている新富士の原型である「古富士」の形成があった。こちらの活動開始は、約10万年から約8万年前であったという説から、数万年前からというものまで、諸説あり。
大方な見方としては、小御岳の中腹・南斜面から活動を始め、爆発的な噴火を繰り返して小御岳を覆ったのだろう。大量の火山灰が関東ローム層として堆積していく。約2万5000年前には山体が崩れて大規模な「古富士泥流」も発生するなど、噴火と、それに伴う山体崩壊を重ねる。
約1万1000年前、その古富士の頂上が火を噴いた、その頃は、人間もいたであろうから、大層驚いたであろうことは、想像に難くあるまい。
それが、いわゆる「新富士火山」の始まり。これを境に噴火のタイプが爆発型から溶岩流出に変わり、現在の新富士火山活動期に入った、とされる。
その位置関係については、例えば、こう言われる。
「小御岳が死火山となった後、その南西側、現在の富士山火口の真下辺りから起きた噴火により形成されたのが古富士火山である。この古富士火山の火山角礫層は富士吉田市付近でもその厚さや高度分布は一様ではなく、富士山の中心に向かって漸次高まるようで、現在の富士山の中心付近から噴出したものと見られている。したがって古富士火山は富士山本体の溶岩よりずっと古く、新期溶岩の噴出前に相当侵食され、断層によりかなり変形を受けたものと考えられる。」(「富士吉田市史、行政編・上巻」)
以後は、縄文時代中期の約5000年前まで火山活動が活発化していく。そうして、火山砕屑物の噴出と玄武岩質の多量の溶岩流出が繰り返しあり、それらは山体の末端まで到達したのだという。
(続く)
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