バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1996年 東北ツーリング 3日目

2024年10月12日 | 1996年 東北ツーリング
8月29日(3日目)
石巻~牡鹿半島~碁石海岸




 午前8時半出発。雨は止んでいる。まずは牡鹿半島に向かうことにする。
 午前10時半。途中で休息。海岸端の沼倉商店の自販機で、爽健美茶など買う。目の前の海岸は、海鳥でいっぱいだ。山育ちの自分には、こんな景色をみるだけでも楽しい。思わず、ビデオに撮ってしまう。

 午前10時45分。鮎川に到着。
 10年前にも訪れているせいか、ビデオ撮影しながら「だいぶ変わった」などと言っている(鮎川はこのあと2005年にもカミさんと妹で再訪。さらに震災の1年半後、2012年秋にも1人で訪れている。このときは、港付近のあまりの無残な変わりように驚いたものだ)。金華山行きの切符売り場に行ってみると、観光客のおばさんに一緒に行かないかと誘われる。漁船を改造したとおぼしき個人営業の船でも渡れるようだ。金華山は以前上陸しているので、今回は丁寧にお断りする。
 
 ホヤを食べたかったが、お店の人によると、もう時季外れだと教えられる。あるにはあるが肉が分厚く、小さいらしい。ちょっと残念。うまいのは6月くらいとのこと。港に陸揚げしてある捕鯨船などと見学したあと、牡鹿半島の先端に向かって走る。コバルトラインの御番所公園で休息。
 ここから金華山を遠望する。

 金華山は10年ほど前に、車でカミさんと東北旅行をしたときに訪れている。そのときは女川に車を停めて、そこから船で往復した。そういえば、「金華山事件」が起きたのも、そのときだった。御番所公園からだと、島の右側に見える突端のほうに2人で歩いていったときだ。カミさんがいきなり便意をもよおした。近くにトイレなどない。歩道の右側は断崖、左側には草の生い茂ったヤブが広がっているだけだ。船着き場まで500メートル以上、いやそれ以上はあっただろう。2人ともティッシュの類は持っていない。

「あたし、ちょっといってくる」
 カミさんはそう言い残して、わたしの返事も待たずに急ぎ足で引き返していった。このあたりを歩いていたのは、わたしたち2人だけ。ほかに人はいない。自分だけ取り残された格好になり、ただカミさんを見送るだけだった。上り坂だったから、カミさんの引き返す様子はよく見えた。それでも緩いカーブがあったりして、すべてが見えていたわけではない。でも心配だった。以前も似たようなことがあって、悲惨な結果、一歩手前までいったことがあるからだ。

 わたしは草やぶを掻き分けて、高い場所に移動した。
 そのとき、ふと顔を上げると、目線の先にいる1頭の鹿と目が合った。生い茂った木々のあいだから、突然出てきてしまいましたという感じだった。目が合って、そのまま立ちつくしている。かなり大きい。闖入者に、なにごとかといったところだったろうか。逃げようともしない。わたしはカミさんよりも、そちらに心を奪われた。「こんなところに鹿!」と興奮もしていた。野生の鹿を見るなど、奈良公園以来だ。金華山に多くの鹿がいて、それほど珍しくもないとは知らないときだ。

 そのうちに、鹿はふいっと木々の奥に消えた。
 ああ、こんなふうに気を取られている場合じゃない。カミさん、カミさん、と我にかえった。カミさんが歩いていった方向を見ると、一旦、視界から消えた道の先に姿が現れた。もう、あんなところまで行ったのかと驚いた。どんだけ急いでんだ。急ぎ足というよりは小走り。しかし、船着き場までは、まだけっこうな距離がある。しかも、そのあたりからは身を隠すところもない岩場の開けた場所だ。

 間に合うのか?
 もっと、早く走れと祈る。と、カミさんが急に回れ右をして、こちらに向かってきた。我慢できない便意に襲われたんだなと、遠目にもわかった。緊急事態だろう。思いっきり走りたいが、小走りにしか走れないという走りかたをしている。──と、途中まで引き返してきて、草ヤブの中にごそごそと入りこむのが見えた。目を凝らしていると、さらに奥の丈高いヤブの中にカミさんは消えていった。
 頭上でさえずっている小鳥の声が、当事者には奇妙なことに近くに聞こえるあの時間を過ごしているに違いなかった。

 まあ、そこをじっと見ているのもなんなので、わたしは鹿がまた現れないかと、あたりを見回したりした。だが、もう鹿が現れることはなかった。5分も経ったころだろうか。カミさんが、ヤブの中から現れるのが確認できた。なぜかこちらまで、ほっと安心したのを憶えている。あとで聞いたところによると、紙の代わりに葉っぱをちぎって使用したとのこと。数年後──2005年に金華山を再訪したおり、その付近を散策している。

 懐かしい想い出だ。
 金華山を遠望したあと、コバルトラインを外れて、半島の東側の細い道を走る。県道41号だ。

 途中、さらに海岸端に続いていると思われる細い道を下る。新山浜というところらしい。海水浴でもできそうな浜があり、民宿や釣宿も数軒あった。浜に下りてみると、とても細かい砂で、狭い砂浜だが雰囲気はいい。けっこう波が激しいのと、夏の終わりのせいなのか、人っ子1人いない。しばらく休憩して、県道41号に引き返して女川を目指す。

 しばらく走っていると、「祝の浜」という案内看板があったので、そちらにも下ってみることにする。新山浜とは浜の趣が全く違う。ざらざらした小石の浜という感じだ。ここにきて、雨がぽつぽつと降り始める。走っている車もいないようなので、「祝の浜」から県道までビデオ撮影をしながら走る。

 再び、県道に出てしばらく走っていると、女川原発らしき建物が見えてくる。バイクを停めて、しばし休息撮影。女川港でも、しばし撮影。10年前には、ここから乗船して金華山まで往復したんだよなあ。そのときは10年後にここをバイクで訪れるなど夢にも思っていない。女川からは海岸線の国道398号を北上する。志津川町まで走り、そのまま398号を内陸部に向かう。

 今日の目的地は小安峡の「とことん山キャンプ場」だ。
 だが、米谷という町まできて、栗駒山方面を見ると黒い雲にどんよりと覆われている。雨であってもおかしくはない。いや、雨だろう、と今ならわかる。(このころは古いタイプの携帯電話が出回り始めたころだが、このときにはまだ持っていない。ホテルを予約するにはホテルに直接向かうか、公衆電話で予約するしかなかった。今のように雨雲の様子をその場で見るなど夢の夢。このときはラジオも持参していない)

 案の定、数キロほど走っているうちに、ぽつりぽつりと雨が落ちてくる。とことん山キャンプ場は断念。三陸方面に戻ることにする。
 このあたりから、記憶は曖昧だ。
 米谷で北上川を撮影したあと、翌日の朝までビデオの記録は残っていない。
 国道398号を米谷で北上川を渡ったあと、道なりに進んで中田町の十文字付近で国道346号にぶつかったところで右折している。右折したあたりでバイクを停めてカッパを着こんでいる。道の向こうにバイク屋があったのは憶えている。どのくらい走ってからだろうか、カッパ入れの袋を荷物の上にぽんと置いたまま走り出したことに気がついたのは。もちろん、カッパ入れの袋は、どこかに吹っ飛んでいる。買ったばかりのヤマハのレインスーツで、たかが外袋だが「しまった!」と悔しい思いをしている。

 中田町から国道346号を三陸海岸沿いの本吉町まで走り、海岸線の国道45号にぶつかったところで北上。

 雨から逃げるように気仙沼、陸前高田と走り、「碁石海岸キャンプ場」まで走る。どこで、碁石海岸キャンプ場にテントを張ろうと決めたのか、まったく憶えていない。出発前に、このキャンプ場の情報は仕入れていたような気もする。キャンプ場に着いたのは、夕方遅くになってからだ。ほかにキャンパーの姿はなく、ここでも、ひとりキャンプ状態。サイトの中までバイクを乗り入れていいよと管理人さんに言われたので、ありがたく林の中までバイクを乗り入れる。管理人のおじさんもすぐに帰ったので、しんとした中でテントを張っている。

 バイクは雨中走行で泥だらけ。
 炊飯道具など持っていないので、このときは気仙沼のバイパス沿いの小さな食堂で夕食をとっている。
 何時に寝たのか、まったく記憶にない。

 ただ、100円温水シャワーがあったので、使ったのは憶えている。しかし、お湯は出なくてただの水シャワー、さんざんな目にあっている。夏の終わり、しかも雨中走行で身体は冷え切っていたので、冷たさに飛び上がったものだ。電源を入れてもらうにも、管理人のおじさんはとうに帰っている。「100円で、お湯も使えるよ」と説明されていたので、安心して素っ裸になって、シャワー口の下で待っていたのに。おっさーん。

 就寝しているときに、しゃらしゃらしゃらと、波が小石を洗う音を聞いたような気もするが、この碁石海岸の音だったのだろうか──。


石巻のホテルを出て、牡鹿半島に向かう途中の商店の前にバイクを停めて、しばし休息。目の前は海岸だ。


このように海鳥がいるだけで、山育ちのものにとっては珍しい景色だった。


なにしてんだろうと当時は不思議に思えた。


ほぼ10年ぶりの鮎川港。奥のほうが渡船乗り場だ。


鮎川港、同じ場所からの別方向を撮影。

懐かしい。捕鯨船が展示してあったが、2012年に訪れたときには、この場所は恐ろしく変貌していた。

震災前、訪れたとき、この横山商店でもホヤを食っている。


事件現場付近の金華山




御番所公園より、金華山を遠望。

新山浜(しょうざんはま)

ここを下ってきた。


きれいな砂浜。


牡鹿半島。北側の県道を走る。


祝の浜
小石がごろごろしている印象だ。


祝の浜


祝の浜
奥の道を下ってきている。


1996年当時の女川港


女川原発遠望



女川港観光看板ガイド。
これより10年ほど前(1986年頃)にここから金華山に出発している。


中田町、こより先、栗駒方面に暗雲を見て、ここで進路変更。
碁石海岸を目指す。


碁石海岸キャンプ場。1人でキャンプ。
翌朝の映像キャプチャー。


蚊の大群に襲われた。もうしわけ程度のフライシートしか付いていないのが、ちょっとさびしい。

雨の中を走ったので、どろどろ。


新車同然だったが、これはこれで走ったなという気分だった。
このあと、簡易バケツに水を汲んできて、ざざっとバイクを洗車している


マフラーも泥でこれでもかというくらい汚れていた。








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