まさおレポート

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新電電メモランダム(リライト)13 朝食会風景

2012-12-10 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

 

<朝食会風景>

1989年の転職時には既に新電電三社と郵政省幹部との情報交換の場が定期的に開催されていた。三ヶ月に一度都内のホテルオークラや赤坂プリンスホテル、パレスホテルなどの広い宴会場を設営しなおして会議室にし、朝8時から朝食をとりながら双方の幹部が意見を交換する。利用はホテルオークラが最も多かった。日本高速通信がアーク森ビルに入っていたころは歩いて数分の距離で大変便利であったが秋葉原のビルに越してからはそうはいかなくなった。

新電電各社の社長と担当役員、企画部長それに郵政省の関連部局の課長クラス(*1)が出席する。事務次官が出席することはないが、電気通信事業部長は出席する事が多かった。議題はその都度選ばれ、郵政省からそのときどきの話題になりそうなテーマが30分ほどかけて説明され、新電電各社からは要望事項や意見交換その他各種の話題を提供するがNTT接続に関する要望が多かった。毎回100平米はあると思われる大きな会議室が埋まったので双方の出席者は20名~30名にもなっただろうか。

(*1)総合通信基盤局総務課長 電気通信事業部長 事業政策課長 料金サービス課長 データ通信課長 電気通信技術システム課長 高度通信網振興課長と調査官(課長クラス)数名が常に出席メンバーであった。

定例朝食会の幹事会社は三社で持ち回り、当番会社では前夜遅くまで新電電三社と郵政省双方の会議資料の大量のコピーを仕上げてまとめて大型封筒に入れ、翌日の朝に万が一の電車事故などで届けられないことがあってはいけないとの配慮でその夜遅く資料が出来上がり次第、ホテル側の新電電各社対応の営業担当者に届ける。翌朝ホテルの「朝顔」や「雛菊」など会議室名の描かれた灯りに「新電電三社様」あるいは「電話研究会」など匿名風の名が貼られた張り紙を頼りに会議室へと向かう。部屋の白いシーツを敷いたテーブルの上には資料のはいった封筒が各自の席の前にきちんと置かれている。食事も用意されており、各自が着席し始めるころには熱いみそ汁と御飯が給仕する男性スタッフによって配られる。

朝食にしてはかなりボリュームのある幕の内風の食事がサービスされ、出席者が10分くらいで手早く食べ終える頃、新電電側の提出資料に従って説明が始まる。多くの場合、資料説明は各社の担当役員が担当し、そのあとの質疑には各社長が発言する。企画部長クラスと世話係のスタッフは別途設置されたテーブルで会議の内容を記録したり、場合によっては質問に答える。

新電電各社が提出するテーマはNTTとの接続料金や接続関連問題でこうした問題は既に個別には郵政省に申し入れや相談がすんでいる事項が多いので始めてこの場で登場する話題というのは珍しい。又要望や質問も多くの場合すぐに郵政省側で決断して即答できるものはすくないのだが、とにかく社長等の経営陣が郵政幹部と直接話を交わす機会をこうした場で持つということに意義があった。郵政省からは発効まじかの政策関連の説明が主で、例えば基盤充実臨時措置法(*2)の低利融資の導入にあたっての紹介や電気通信事業法の改正時期では改正のポイントなどの解説が担当幹部からなされた。(現在でもこの朝食会が続いているのかどうかは知らない)

(*2)電気通信基盤充実臨時措置法(1991年平成三年四月二日法律第二十七号)最終改正:平成二三年六月一日法律第五九号(目的)第一条  この法律は、高度通信施設、信頼性向上施設及び高度有線テレビジョン放送施設の整備を促進する措置を講ずることにより、電気通信による情報の流通の円滑化のための基盤の充実を図り、もって高度情報通信ネットワーク社会の形成に寄与することを目的とする。 低利融資を主な柱とするが、当時は金利が大変に安く、通信事業者から見て報告義務等の煩わしさと金利の魅力を天秤にかけると、今一つ魅力に欠けるものであったが、当時の郵政省はこの法案を成立させた手前、なんとか利用してほしいと熱心に啓蒙をはかっていた。

朝食会での各社社長のそれぞれ個性的なしゃべり方が印象に残っている。坂田日本テレコム社長(当時)はやせ型で小柄な体躯から天衣無縫な発言を繰り出す。(*3)。

(*3)坂田 浩一 1985年 6月国鉄技師長 1989年  日本テレコム株式会社 代表取締役社長  1998(平成10)年 6月 当社代表取締役会長 2006年9月28日死去、78歳

花岡日本高速通信社長(当時)(*4)は大柄な体格で船場風の関西弁でおっとりと柔らかく語り掛ける。銀行業界も含めてどの業界でもバルク料金(*5)は存在すると、当時足回り料金と呼ばれたNTT接続料金のボリュームディスカウントを要求する。

(*4)花岡信平 元住友銀行副頭取 日本高速通信株式会社 初代菊池三男を継いで2代目社長 2003年9月19日死去 74歳。

(*5)バルク料金はボリュームディスカウントの事を指しており、花岡社長(当時)のNTTに対する要望・持論であった。当時NTTに支払う足回り料金は一般利用者と同じ料金体系(同一料金区域名では三分10円)に準じてNTTに支払われていた。ところがNTTからは「それでは最もトラフィックの多いNTT長距離部門が最大のバルク料金適用になるが、それでもよいのか」と逆襲された事を思い出す。当時は接続料金の議論も始まっておらず理解も進んでいなかったが、今から考えると広告料など接続料としてふさわしくない費用項目を不要として省くことを要求していたことになる。花岡氏の本意はすでに長期増分費用方式などで受けいれられていると言ってよい。

神田第二電電社長(当時)は冷静に学究肌風にしゃべる。この方は社長を退任された後、大阪大学大学院国際公共政策研究科林敏彦教授(当時)の元で学ばれ、後に博士課程を修了するという、リタイア後異色の人生をおくられている。

花岡社長(当時)は元住銀副頭取、神田社長(当時)は三和銀行副頭取という事で、このお二方が控え室などで「花岡」「神田」と呼び合っていたのが印象に残っている。大学の同窓でもなかろうにこのように相手を呼び合うということは、お二方とも関西で活躍された縁だと判明した。

朝食会は午前10時には正確に終了する。それぞれ後のスケジュールがタイトに控えている。ホテルオークラの玄関などに待ち受けているハイヤーや社用車、庁用車に乗り合わせて早々に会場を後にすることになる。このとき、中央官庁では一般課長には車がつかないが総合通信基盤局総務課長は特別待遇で庁用車がつくことを知った。省内のランクが高いと言うことなのだろう。

<政治家との朝食会 パーティー>

自民党の有力政治家複数名が新電電各社の社長から直接問題点を徴集したいとして国会議事堂に近い赤坂プリンスホテルでやはり朝の8時から朝食会を持ったことがある。郵政省、新電電側とも出席者は朝食会と同様のメンバーで自民党側の出席者とテーマは失念した。これは自民党の通信政策に関心の深い議員から郵政省経由で申し出があって実現した朝食会でだった。郵政省側で会合を取り仕切る調査官が会の運営に大変神経を使ってぴりぴりしているのが感じ取れた。こうした接触があった後には政治家達からパーティー券の購入などの話が舞い込む事もあり、こうした形での陳情による接触が縁で政治献金やパーティー券購入要求が秘書から来ることも珍しくない。

<情報交換が滞ると>

郵政と新電電各社はこうしてお互いに意思疎通を図っているのでおおかたの問題はお互い通じ合っているかと思うと以外にそうでないことも起こる。1994年11月にVPN(virtual private network・・・仮想私設電話網)接続交渉が一向に進展せず、業を煮やした新電電三社が接続命令の申し立てを郵政大臣に対して行った。これは初めてのケースということでもあり郵政側には大変唐突に見えたらしく郵政、NTT、新電電各社ともかなり緊迫した雰囲気に包まれた。

その頃新電電三社の企画担当がそろってこの点について郵政省に説明に出かけたことがある。すると業務課長が打ち合わせ場所までやってきて接続命令の申し立てが想定外であった事を述べる。何故接続命令にいたるまでに各社のトップが課長に直接申し入れて問題提起しなかったのかと不満を示し、これからはもっと事前に問題点を報告して欲しいとも云われた。定例の朝食会も3か月に一回というタイミングでもあり、各社の経営幹部と郵政省の情報交換と意志疎通は十分ではなかったということだろうか。

ちなみに新電電三社の企画部もこうしたビッグイベントの準備打ち合わせとして、しばしば半蔵門駅ちかくにあった第二電電株式会社に近いダイヤモンドホテルのカフェで朝食会を持った。

<余話1>

余談ながら、こうしたパーティーへの出席や昼食付きの時局講演会などに出席する機会も多かったこともあり、20年近くを経た今でもとりとめもなく断片的に記憶に残っている事もある。新井将敬氏の時局講演会では、話の内容は忘れたが、非常に元気な話しぶりであったので後年自死が報道された時は非常に驚いたっものだ。又誰のパーティーかも失念したが元横綱の大乃国で芝田山親方が一人で所在なげに佇んでいたり、余興の一つとしてスピリチュアルカウンセラーと称する女性が壇上に登場して左右の指の長さが自己暗示で変わることを会場の聴衆にやって見せたりしていた。政治家の話の内容よりこういったとりとめのない記憶が不思議と残っている。

<余話2>

VPNサービスは過大な期待を持たれたサービスで特に日本高速通信はこのサービスを巻き返しの切り札の一つにしようとした。当時の東款社長は米国のトヨタ、ジェネラルモーターズ合弁の自動車製造会社の社長を務めた後でもあり、米国のVPN隆盛を知悉していた関係もあり、熱心に日本のVPNサービスを開始しようといていた。毎日のようにオフィスにやってきては進行状況を尋ねられ、ほとんど進捗のないことにいら立っていた。

PBXを利用した内線電話機能の発達している日本ではVPNに期待するのはディスカウントのみであるとの読みも聞かれたが結果はやはりそのようであった。米国ではなぜPBX内線機能の普及と同時にVPNサービスが隆盛であったのか。①企業は通信関連の部門をアウトソーシングしたがる傾向がある。②企業が広大な各地に点在するため各地を結ぶ専用線の費用が日本に比べて割高になる。③VPN接続に必要な信号網機能の整備が日本に比べて進んでいた。④各種のOptional calling plan と呼ばれる割引プランの普及が進んでおり、各社が囲い込みの手段としてVPNサービスを推進した。

<余話3>

当時の朝食会の課長クラスの常連出席者が20数年後の2012年12月現在、総務省事務次官や審議官に就任している。(小笠原事務次官、田中審議官など)

<余話4>

朝食会の後はこの会合の準備にあたった事務方はホテルオークラのダイニングカフェ「 カメリア」で朝食にカレーをご馳走になるのが恒例で、これは早朝5時過ぎに家を出てから緊張の続く会議設営に携わったスタッフの楽しみの一つであった。このカレーはイギリス風で長時間かけて作るルーが美味しかった。

 

 


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