まさおレポート

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袴田冤罪事件の深刻さ 映画レ・ミゼラブルを見て

2024-10-13 | 日常の風景・ニュース

ジャン・バルジャンを追い続けた警部、ジャヴェールが川に身を投げた理由は、彼が抱えていた倫理的葛藤と価値観の崩壊に起因する。

ジャヴェールは、生涯にわたって「法は絶対であり、正義を守るためには規則に従わなければならない」という強い信念を持ち続けていた。彼にとって、罪を犯した者は無条件に裁かれるべき存在であり、ジャン・バルジャンもその一人だと信じていた。しかし、物語が進むにつれて、ジャン・バルジャンが変わり、自らの罪を償い、他者を助ける人間に成長していく姿を目の当たりにする。

最終的に、ジャヴェールはバルジャンに命を助けられるという出来事が起こり、ここで彼の信念は大きく揺らぎ法と正義という絶対的な基準に従って生きてきた自己と、バルジャンの「人間性や慈悲」が対立しジャヴェールはこの二つの価値観の間での激しい葛藤に耐えられなくなり、結局自らの存在意義を見失って崩壊した結果であり、彼が抱えていた精神的な葛藤から逃れる唯一の方法だった。

袴田冤罪事件はジャヴェールを当時の検察に袴田氏をバルジャンに準えられるかもしれないがそれぞれの事情は異なる。

バルジャンは空腹のあまり店頭のパンをガラスを破って盗み、わずか一つのパンを盗っただけで20年という途方もない刑をくらう。

袴田氏は死刑判決を受け長い間拘置されてようやく再審で無罪を勝ち取った。我が身でそんなことが起きたならとっくに絶望していたに違いない。袴田氏の強さや妹さんの弁護活動に頭が下がる。今後の検察や司法制度の何かが変わらなければ再びこうしたケースが起きるだろう。わたし自身もこうした報道がなければ関心ももたずにやり過ごしていただろう。普通はこうしたことに人々は関心を持たない。日々の暮らしの中で忘れられてしまう。

袴田冤罪事件が報道されだす前あたりから小説やネットフリックスの映画で冤罪を扱う作品をなぜかたくさん見ていた。

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は15年来の愛読書となったがこれはミーチャの父殺し冤罪事件を取り上げている。ドストエフスキーは冤罪の恐ろしさを十分に知っていたと思われる。

ネトフリでは「ショーシャンクの空の下で」「プリズン・ブレイク」日本映画でもいくつか見た。


日本の検挙率が99.9%という数字は、確かに他国と比較しても非常に高く、異常なほどの高さといえる。この数字と表に出ない冤罪はおそらく相当高い相関を示すに違いない。

日本の司法制度では、自白が証拠として強く重視される傾向があり、取り調べで自白を引き出すことが重視される。これが検挙率の高さにつながっている一方で、無理に自白を強要したり、冤罪のリスクを高める原因にもなっているのではないか。
 日本の取り調べは密室で行われ、録音や録画が全面的に義務化されていないことも多いため、取り調べ中に自白の強要や心理的な圧力がかかることがあると批判されている。

袴田巌事件や足利事件など、長期間にわたって冤罪が疑われた事件があり、科学的証拠や新しい証拠によって無実が証明されるまで、被告人が長期間苦しんだことが問題となった。
長時間の取り調べが行われ、被疑者が心理的・肉体的に疲弊した結果、虚偽の自白をしてしまったケースだ。

検挙率が高いこと自体が問題ではないが、異常に高い検挙率は、捜査や取り調べの過程で問題が生じている可能性を示唆しているとみていいだろう。他国と比べると、日本の検挙率は非常に高く、たとえばアメリカやヨーロッパ諸国の検挙率は一般的に50〜60%前後で日本の99.9%という数字は突出している。

検察は99%以上の確率で有罪判決を得ている。検察が起訴する案件を慎重に選んでいるという見方もあるが、一方で捜査や起訴の過程で人権侵害や冤罪のリスクが潜んでいる。

 

これを改善するためには、以下のような改革が必要と考えられる。

取り調べの全過程を録音・録画する義務を徹底し、自白の強要や不正な捜査手法を防ぐ仕組みが必要。
自白に依存しないで、物的証拠や科学的証拠に基づく捜査が重要。DNA鑑定などの新しい技術を積極的に取り入れ、物的証拠に基づく公正な裁判を行うべき。
冤罪が疑われる事件については、再審請求を柔軟に認め、迅速に対応できる制度見直しが必要。

「取り調べの可視化」制度が日本で進まない理由には警察や検察などの捜査機関の強い抵抗があるとか。彼らは「取り調べが全て録画されると、容疑者が警察の取り調べに協力しなくなる」といった懸念を表明しており、捜査が進みにくくなることを理由に反対しているらしい。特に、心理的な圧力をかける手法に依存してきた捜査機関にとって、可視化は捜査効率を下げると感じられている。

日本の捜査は長年にわたり自白を得るために長時間の取り調べや心理的な圧力を用いることが一般的だった。このような取り調べの文化が根付いているため、録画・録音を全面的に導入することは、その捜査手法自体を大きく変えることになり、抵抗が強い。

取り調べの可視化を徹底するには、技術的なインフラ整備が必要で、すべての警察署や取り調べ室に録音・録画設備を設置し、記録を管理するための人員やシステムを整えるには、膨大なコストがかかる。特に地方の小さな警察署では、このようなリソースを確保するのが難しいという課題が挙げられる。しかし米国の映画ではスマホでの録画が簡便に採取されているように見える。実際はどうかは知らないがスマホで十分な録画がとれると思うのだが。

日本では、取り調べの可視化(録画・録音)が重大事件のみ義務化されたのは、2016年から。これは、2016年に施行された改正刑事訴訟法の一環として導入された。この法律の下では、殺人や強盗などの重大事件に関して、警察の取り調べが可視化されるよう義務付けられた。ただし、全ての事件ではなく、特定の重大事件に限定されており、一般的な事件には適用されていないのが現状で課題は残っている。


他国では、取り調べにおける自白偏重や冤罪のリスクを防ぐため、いくつかの効果的な対策を導入している。

アメリカの多くの州では、重要な刑事事件の取り調べを録画することが義務付けられている。

イギリスでは、1984年に制定されたPACE法により、全ての取り調べが録音され、重大なケースでは映像録画も義務付けられている。


日本では、取り調べ時に弁護士の立ち会いが義務化されていない。被疑者には取り調べ前や取り調べの合間に弁護士と会話することは認められているが取り調べの際に弁護士が同席することは日本の司法制度では一般的ではなく、アメリカなどの国々と比べて制限されている。これが自白偏重や冤罪のリスクを高める要因の一つとされている。


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