話題の日韓貿易管理問題の中心は半導体製造過程に必須の3製品だが、この中心に座る半導体製造業がかくもあっけなく韓国に奪われてしまったのはなぜか。いろんな理由が挙げられており、それぞれもっともなのだが、しかしなぜか一抹の説明不足感を否めない。他にもっとなるほどと言える理由があるのではないかと考え続けている。次のものが既に大方の理由として挙げられている。
1.80年代の半導体摩擦で日本に驚異を感じた米国に徹底的に潰されたから。
2.日本で食い詰めた半導体技術者が土日に韓国に通い、技術を韓国に移転したから。
3.NTT分割民営化で電子交換機用半導体需要が飽和し、かつ開発資金源が絶たれた。
4.日本の半導体品質が必要以上に高すぎて高コストになった。
考えているうちに次のエピソードを思い出した。
かつて2003年頃、孫正義氏が寝ても覚めてもADSLの販売手法に関心をもっていたころのこと、ある夜半に突如、電車の中つり広告とサムソンの液晶パネルに関連したアイデアを思いついた。始発時間になるのが待ち遠しく電車に乗り込んで実地検分した話などを当日の幹部会議で聞いたのはこのころの事だ。
会議の席上で「サムソンはすごい。ドクターを何千人も雇っている」と高揚した声で話していた。この調子では日本の家電や半導体はやられてしまうと述べており現在のサムソンを予見していたのだ。米国帰りのドクターを何千人も雇っているという経営資源集中力のもの凄さはたしかに日本企業には見られない。始発電車ででかけたせいか孫正義氏にしてはめずらしく欠伸の多い日だったことと合わせて思い出している。
経営資源を一点集中できる韓国ならではの巨大企業サムソンの存在、後発組のなりふり構わない必死さ、それに技術の後発優位が働いたものと考えている。
電電公社という巨大企業を中心にしてその開発資金を頼りにしていたのが民営化で資金の中心を失い、NECなどがその危機感に気づかずぼんやりしていた、その間隙を縫って何本ものゴールを決められたということだろう。突き詰めると当時の半導体製造企業があまりにも電電公社に依存し過ぎであった、その体質にあると考えるのだが、果たしてその反省はあるのだろうか。3の説明が近いが本質的に反省に立っていないのでやはり理由になっていない気がする。3の説明だけでは深刻な反省は伝わってこない。
3品目で首根っこを押さえられたことは事実で、しかしだからといってやっぱり日本の製造業はすごいと油断している風潮も無きにしもあらずだ。韓国の集中力はもの凄いものがあり、資金と知力となにより情熱の矛先を例えば3品目に絞るとやはり油断がならない。日本勢は過去の失敗を繰り返してはならない。ゆめゆめおごることなかれ。