まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

天安門事件勃発 ベルリンの壁崩壊 などなど1989年は大きな事件や逮捕など色々あった

2024-06-05 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

振り返るとこの年は大きな出来事が世の中にもわたしにも起きた。

2012-10-18 07:44:29初稿

1989年の暮は私がNTTデータ通信から日本高速通信株式会社に転職した年になる。この年の記憶に残る出来事は昭和天皇崩御に始まり、バブルの崩壊に至る。

1月7日 - 昭和天皇崩御。テレビで小渕恵三内閣官房長官が半紙に記した新元号『平成』をかざして発表。

2月13日 -リクルート創業者・元会長の江副浩正が逮捕される。NTT真藤社長まで逮捕に至る事件。

4月21日 - 任天堂が「ゲームボーイ」発売。電車の座席を始めいたるところで子供がゲーム機に夢中になっている姿を見る。

4月27日 -松下幸之助が死去。NTTデータ在職時にはこの会社のマーケティング分析システムの企画にかかわり、その関係で部下が病院で生活する幸之助氏の枕頭で新発注端末を説明する機会を得たためにこの逝去は感慨が。

6月4日 - 北京で天安門事件が起きる。とう小平の行為に世界も私も衝撃を受ける。

9月27日 -ソニーがアメリカのコロンビア映画を買収。2012年時点で元気のないソニーの元気だったころ。23年後の2012年10月17日現在ではソフトバンクがスプリントを買収で話題になっている。

10月9日 - トヨタ自動車が「セルシオ」を発売。この後、日本高速通信株式会社に転職し、トヨタの出向社員から奥田社長はセルシオを自ら運転して出勤する逸話を聞くことになる。

11月4日 - オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件発生。

11月9日 - 東ドイツがベルリンの壁の通行を自由化。11月10日 - ベルリンの壁崩壊。転職のはざまで休暇を取り一か月間ヨーロッパを放浪した。そのときに現地でベルリンの壁崩壊を目撃する。

12月29日 - 東証の大納会で日経平均株価が史上最高値の38,915円87銭を記録。これを最後に1990年の大発会から株価は下落へ転じ、バブル景気は崩壊へ。

<1989年のテレコム・プレイヤー>

NTT、DDI 1987年9月国内電話中継開始、日本テレコム 1987年9月国内電話中継開始、日本高速通信 1987年9月国内電話中継開始、東京通信ネットワーク 1988年5月電話開始、KDD 1953年4月国際電話開始、日本国際通信 1989年10月国際電話開始、国際デジタル通信 1989年10月国際電話開始、IDO、アステル東京

<1989年の通信事業動向>

元年度上半期のデータではNTT経常収入は対前年度同期比1.3%増の2兆8,598億円、経常費用は同0.2%増の2兆6,567億円、経常利益は同19.0%増の2,031億円。この年はまだ右肩上がりの経営が続いている。 

同上 第二電電(株)は、経常収入は399億円、経常費用は329億円、日本テレユム(株)は、経常収入は348億円、経常費用は304億円、日本高速通信(株)は、経常収入は110億円、経常費用は108億円 経常利益は、第二電電(株)は70億円、日本テレコム(株)は44億円、日本高速通信(株)は2億円。

同上 国内の電話及び専用線市場は2兆5,323億円で、NTTは97.0%の2兆4,574億円、長距離系新第一種電気通信事業者は2.7%の685億円と40分の一程度の規模で、まさに世間で称された象と蟻の競争状態であったことがわかる。

この年のNTT社長は真藤氏から山口氏に変わったが、新電電の社長各氏は恐らく真藤氏や山口氏と直に顔を合わせたこともないのではなかろうか。双方に格が違いすぎると言う認識があったのかどうか直接聞いたわけではないが、空気としてあった気がする。

<1月7日 昭和天皇が崩御され平成に改元される>

元号変更に伴い産業界のみならずコンピュータシステムを利用している企業や団体等も組織全体で元号の変更作業が始まる。電気通信事業者も特別プロジェクトを編成するなどして元号の変更作業にあたった。私もドコモの前身である関西移動通信株式会社の顧客システムのプロジェクトマネージャを務めていたので顧客システムが出力する帳票類の元号表示変更作業に携わる。

<3月6日 真藤恒NTT前会長がリクルート事件で逮捕される>

もしも真藤氏がリクルート事件でNTT法19条収賄罪(*1)に問われることが無く、その後もNTTを率いていたら、NTT再編成問題は現在のような妥協の産物ではなく、分割、非分割どちらに傾くにせよもっとポリシーのはっきりした再編成に大きく変わっていたに違いないと思うのは私だけだろうか。表向きだけの分割が果たしてなんらかの有意義な結果をもたらしたのか、はなはだ疑問である。

真藤氏は1985年の民営化の際にNTTの社内放送を通じて民営化の意義などを、かすれた小さな声で述べていたことを堂島電電ビルのオフィスで聴いた。NTT法の存続を許したことが今後の大きな問題になることを誰も予見していない、と嘆き、今後のNTTにとって禍根になると予言していた。彼はNTT法に規定するユニバーサルサービスの義務をさして将来の禍根になるとしたのだが、真藤氏の逮捕はこのNTT法の公務員に準ずる19条によった。実に皮肉な結末となった。

(*1)リクルート事件で、同社事業への支援の謝礼として値上がり確実なリクルートコスモス非公開株1万株の譲渡を受けたことが発覚し、1988年12月12日にNTT会長を辞任。1989年3月6日にNTT法違反(収賄)容疑で元秘書ともども逮捕。(by wiki)

(罰則)第19条 会社及び地域会社の取締役、会計参与(会計参与が法人であるときは、その職務を行うべき社員。以下この条において同じ。)、監査役又は職員が、その職務に関して賄賂を収受し、要求し、又は約束したときは、3年以下の懲役に処する。これによつて不正の行為をし、又は相当の行為をしなかつたときは、7年以下の懲役に処する。(日本電信電話株式会社等に関する法律)

<3月16日 AT&Tの電話料金にプライスキャップ方式が導入される>

米国AT&Tの電話料金規制にプライスキャップ方式、つまり価格上限規制(*2)が採用される。日本国では遅れること11年後の2000年10月1日にNTT東西の料金つまり地域電話料金に限って本方式が採用されることになる。プライスキャップ方式とは下記の式からも示されるように料金の上限を設定するのではなく、上昇率を規制するものであり、本来の意味からいえば価格上限規制ではなく価格上昇率規制である。

(*2) プライスキャップ方式での料金つまり収入は次の式で規制される。

(収入)×(1+消費者物価指数変動率-X値)3乗=(費用)+(適正報酬額+利益対応税)

この式のX値(生産性向上見込率)を政府が決定つまり規制してして上限価格を決定し、それ以下であれば電話料金を自由に設定できる方式。

尚、後に接続料金に採用される長期増分費用方式はこの費用の部分にモデルとしての費用を適用するものであるが、モデルとしての限界も露呈してきている。

<4月1日 消費税課税開始>

1988年竹下内閣で成立した消費税の3%課税が始まる。これにより元号問題と同様に電気通信業界のみならずあらゆる組織のコンピュータ・システムの変更作業が発生した。この年は元号変更と消費税対応という2大変更作業が日本中のコンピュータ・プログラムでおこなわれることになる。(8年後の1997年4月1日には消費税率は5%になる。

社会保障と税の一体改革関連法案(8法案)は2012年8月10日の参議院本会議で採決され、可決、成立した。これにより消費税は実施の前提として景気条項を設けているものの2014年4月から8%に、2015年10月から10%に引き上げられる)

<4月1日 ITJが国際専用線サービスを開始>

1986年に住友商事、三菱商事、三井物産、松下電器産業などが出資して設立した日本国際通信ITJは事業者認識番号「0041」でサービスを開始していたがその後1997年に日本テレコムに吸収され、会社は解散した。私の友人もこの会社に勤務していたが日本テレコムに吸収後月に一回日本テレコムの村上春雄社長がITJに来社して厳しいチェックがはいると述べていた。厳しいチェックは吸収する側としては当然の行為だが吸収される側の立場の悲哀とも言うべきものも感じてしまった。

又トヨタ資本の入ったIDCも同じくトヨタが資本参入している日本高速通信と同じ秋葉原のビルに入居していた関係でなじみのある会社であった。この会社も又2005年に日本テレコムに買収され、結果的にこの2社の国際通信事業はソフトバンクに吸収されている。当時には予測不可能の転変である。そんな将来の転変をしらずにITJは元気に国際専用線サービスを開始した。

<4月1日 電話局名称廃止>

明治22年、NTTの前身である電電公社のそのまた前身である逓信省以来用いてきた電話局という名称を廃止し、支店、営業所に変更した。全国の電話局は約480のNTT支店と、約940のNTT営業所に変更された。(他にかつては電話局であったが既に無人局となった局舎が多数ある)ちなみに逓信省の初代大臣は榎本武揚である。

電話局の名称、特に局は官庁的だという事での改変であり、民営化4年後の措置であった。

<4月27日 米国がモトローラ方式に携帯周波数を割り当て要求で日米政府協議が決裂>

この日、モトローラ方式の日本国内採用を巡って自動車電話の周波数割り当てに関する日米政府協議が決裂した。1986年の交渉では小森郵政省事務次官の活躍がメディアに喧伝されていたが1989年の日米交渉では奥山次官が交渉の任にあたり、政府は小沢官房副長官を送り込んだ。しかし4月28日に米国政府は日本の通信市場の閉鎖性に対して制裁措置実施を発表。6月28日にはモトローラ方式を巡る日米通信交渉で、首都圏でもNTTとモトローラ2方式を採用することで決着した。

郵政省はIDOに首都圏で一部TACS方式(モトローラ方式)を運営させる。5月30日にはIDOが携帯電話サービスを開始したがモトローラ方式も新たに併用し、基地局増設と周波数の変更のため、数百億円の新規投資を強いられることになる。

モトローラ方式をめぐる日米交渉はさらに詳しくみると下記の推移になる。日本が通信政策に関して米国に対してここまで要求したことはない。無理筋の対日要求として歴史の教訓とすべきだ。(この12年後、2011年にモトローラ方式を米国政府を使ってまでゴリ押ししたモトローラが企業として消滅することになる。)

①1986年MOSS協議の結果、自動車電話にNTT以外の新規事業者の参入が決まる。京セラ系のDDIと、トヨタ、道路公団系のIDOが参入を表明。DDIはTACS方式、IDOはNTT方式。郵政省はIDOに首都圏、中部圏、DDIに関西圏を10メガヘルツ割り当てたのに対して、アメリカ政府が非関税障壁と批判し、郵政省はDDIに首都圏以外の東日本を割当。

②1989年 モトローラが既にMOSS協議が決着していたにもかかわらず、首都圏でもTACS方式への割当を求める。当初はMOSS合意違反に名を借りたゴリ押しだとの認識を持っていた郵政省は結局圧力に屈してIDOに首都圏で一部TACS方式を運営させる。政府間事務レベル交渉がワシントンで行われ首相特使の小沢前官房副長官、奥山次官、米通商代表部のヒルズ女史との協議は米国側に押し切られたことになる。

③1994年 米政府はモトローラ製品だけが伸び悩んでいるとしてIDOに割り当てられている周波数のうちモトローラ方式を増やし、基地局を増設することを要求し実現した。

さてソフトバンクは米国スプリントを買収して米国でベライゾンとAT&Tを追い上げることになるが、周波数割り当てを含む各種の規制に対して、この当時の米国のようなゴリ押しに近い強い要求を日本は行うことができるのだろうか。このモトローラ協議が過去の例として再び注目される日が来るような気がする。

<7月10日 NTTダイヤルQ2開始>

NTTダイヤルQ2はその後大きな社会問題となるサービスだが、このころNTTは通話収入を増やそうと多様なサービスを企画していたことがわかる。入社間もない社員にアイデアを出させてカエルコールや甲子園ファックスなど次々と提供し始めていた。ダイヤルQ2もその一連の流れの中で生まれた新サービスだがテレクラという下地があったために有料アダルト系が飛びついた。そのために高額の情報料課金を支払えなくなったり、子どもが勝手に利用して高額の請求に驚愕するケースが続出することになる。

NTT東西はようやく2014年2月28日でダイヤルQ2を終了すると発表した。つまり不適切なサービスが25年続くことになる。NTTデータのパチンコカードが変造カードで1996年の1年間630億円も被害を出すことになるが、これと双璧をなす不適切サービスがバブル崩壊のこの年1989年に始まった。

<10月2日 電気通信審議会 NTT再編成が検討されるべきと中間答申>

電気通信審議会は1988年に郵政大臣から諮問されていた「今後の通信産業の在り方」に関する中間答申を提出した。答申では、現行のNTT組織形態での改善には自ずと限界がある、電気通信市場のさらなる競争、経営効率化等の観点から「組織の再編成が検討されるべきだ」と指摘し、具体案とし3案が提示された。

①地域別再編成

②市内市外分離で市内全国1社

③市内市外分離で市内複数社

この中間答申にNTTは反対、公正取引委員会、日本経済団体連合会、電気通信産業連盟等が「時期尚早」という結論を公表し、一方郵政省や新電電各社は支持した。

10年後の1999年に③で市内2社に分かれることになる。「現行のNTT組織形態での改善には自ずと限界がある」との指摘は再編成された後15年経つ現在でも当てはまるが携帯事業に世間の興味が集中し固定通信自体が注目を集めなくなって関係者は興味を失っているのだろう、静かである。日本国内に光ファイバー敷設をいきわたらせる「光の道」構想でNTT組織問題が再燃したがラストワンマイル会社構想も頓挫している。

1988年の諮問から25年たつ今日からみると、効果の出ない持ち株会社傘下の分離という結論を出すために膨大な検討時間が費やされたことになる。

 

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。