ピクニックに行った町田彫刻の森でデューラーを含む版画が特別展示されていた。家族を公園に置いて入館するとデューラーの銅版画が4点ばかりあった。いずれもどこかの美術館で見たもので、懐かしく見入った。しかしどこで見たものかは見事なほどすっかり忘れている。小説などは読んだ時の状況を大体思い出せるのだが絵の場合は思い出せないことが多い。記憶のメカニズムが異なるせいだろう。
それにしても精密度が凄い。精密の追及で美に至ろうとしたのだろう。あるいはデューラーの時代には美に至るという観念はなかったかもしれない。ただひたすらプロテスタントの信仰と救済に迫ろうとしたと思われてくる。描写しつくすことで信仰の本質に迫ろうとしているその気迫が見るものの精神にタガを締める。我が精神にタガを締められた後には美の快感がやってくる。
書斎の聖ヒエロニムス 1514年
メランコリア
騎士と死と悪魔
中村真一郎が詩を、木原康行が銅版画を制作し、それに対して中村真一郎が詩を書いている作品があった。死と転生をテーマにした作品で詩をじっくりと読みたかったが時間がないのであきらめる。