まさおレポート

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回想のNTTデータ 先輩への鎮魂

2016-02-04 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

 

 

下記いずれも仮名です。


NTTデータに在職中(1970~1989)の19年間で過労で亡くなったり自殺した職場の身近な先輩が三名いる。NTTデータから転職してから16年を新たな職場で働いたがその間は過労で倒れた仲間を聞いたことはない。

佐藤さんはNTTから斡旋されて新電電に転職してきた方だが一緒に米国調査出張などに出かけた仲だ。その佐藤さんが「日比谷ではデータ村は自殺者が多いことで有名だった」と語っていた。日比谷とは電電公社の本社があるところから、データ村がNTTデータ本部をさすのと対照的に電話事業の本社職員をさす。

それまでは特に気にしたことがなかったのだが佐藤さんからこの話を聞いてやはり当時のデータ通信本部はストレスの高い職場であったのだと再認識した。

この職場で中間管理職として頑張り過ぎ、若くして亡くなった先輩たちへの鎮魂の意味を込めて回想してみる。いずれも仮名であり、フィクションを含む。

堀内さん
私が日本高速通信へ転職したのは1989年、42歳のときで家族を西宮に残して東京へ単身赴任していた。ディズニーランドのある浦安のアパートが転職先の会社が用意してくれた社宅で、転職まもないある日曜日のこと、洗濯をしていたときにNTTデータの元部下の橋本君から電話があった。橋本君は堀内さんの悲報を伝えてきた。堂島の職場で午前中に会議がありその途中で気分が悪いと言い残してタクシーで帰宅したが宝塚の社宅につく前に亡くなったという。堀内さんは一つ上だからまだ43歳で亡くなるような年ではない。電話を受けた私は一体どうしたのだろうと大変驚いた。

私がNTTデータを退職したのは一月前だ。転職の話をしたそのとき彼は今風邪が長引いて体調が悪いが、良くなったら一杯のみに行こうと約束していた。堀内さんの訃報を聞いて風邪をこじらせて亡くなったのかとひと月前の会話を思い出した。

そんな体調の悪い男に深酒を付きあわせたのは営業の某課長だと聞いた。風邪が長引き体調の悪い男を深夜まで引っ張りまわしたのではないか、そして堀内さんは家に帰らず会社のソファで仮寝をしてそのまま翌日の勤務中に気分が悪くなりそのまま亡くなった。かねてから営業の某課長の酒癖の悪さを聞いていたのでこの課長に腹が立った。

営業の某課長が深夜まで引っ張りまわしたのが引き金になったとはいえ彼の若すぎる突然死に伏線はあった。彼の仕事スタイルは夜型で、かといって他の社員と同様に朝から出社している。しかし社員のあらかた帰った9時10時からが彼の資料作成タイムだ。電話もなく他に社員もいないオフィスで静かに仕事をすることを好み、企画資料を作っていた。

仕事が一段落すると深夜だが仕事場は堂島のどまんなかで、飲み屋には困らない。行きつけのスナックにいって飲む。それから又、会社に帰り、仕事の続きをするか、そのままソファや机を並べて寝る。翌日はそのまま会社で通常通りの仕事を続ける。

これでは、いくら頑丈な体でもたまらない。体が知らぬ間に悲鳴を上げていたのだろう、とくに肝臓が。当時、かれの上司がこうした体も家庭も顧みぬのめりこみを暗黙の裡に求めており、それに応えた男の戦死というべきかと思った。

樺山さん

樺山さんもその少し前に40代で亡くなった。私と同じプロジェクト開発の仕事を東京と大阪で分業して進めており、彼は東京で東日本の、私は大阪で西日本側の開発責任者だった。

いつも血圧の高そうな赤い顔をしていたので、大丈夫かなと心配していた。ストレスとそれに耐えるための酒で体ががたがただとも言っていた。ある日、入院したと聞いたがその後すぐに亡くなった。

仕事の過度なストレスを酒でごまかしているうちに肝臓に負担がかかり取り返しがつかなくなったのだろう。

友人の山田さんが自らのストレスと酒について語ったことが耳朶に残っている。「肝臓をやられるか、頭をやられるかだね」樺山さんはまさにその通りになった。

中山さん

中山さんの自殺も忘れられない。ある社内基幹システムの開発責任者だった彼は、システム納期の遅れを気に病んである日、宿舎にしていた大阪のホテルの一室で首をつった。

私は前夜、会社の近くの居酒屋で彼が一人で飲んでいるのを見かけており、おおきな衝撃を受けた。中山さんもやはり40代前半だったように記憶している。

私もシステム開発のリーダで開発の遅れの大変さを経験しており彼の苦悩がよく分かる。実に進退極まるのだ。リーダとして途中で苦しいからといって投げ出すことは人生の敗北を意味すると思い込んでしまい、無理を重ねたあげく正常な判断を失ってしまうのだ。

数百人の開発者集団を束ねるための疲労はどんどん蓄積していく。おまけに、納期遅れは、発注会社の基幹システムであるだけにその納期先会社に甚大な影響を与える。

どういうわけか課長クラスの中間管理職が全重圧を背負うような仕組みになっていた。会社はときにあまりにも重い仕事を、負荷の配慮もせずに課長ひとりに押し付けるという愚考を犯したと思う。

特に地方に行くとこうしたチェックシステムが働かなかった。


30ないし40年前のことだ、今では改善されているだろうと思う。


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (川西)
2023-03-18 11:09:30
古い投稿に失礼いたします。
NTTデータは1988年に設立されたと思うのですが、NTTデータでの自殺でしょうか?
時期がちがう気がしておりまして…。
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Unknown (masao)
2023-03-18 14:48:45
川西様
おっしゃる通りです。
当ブログでNTTデータ通信本部時代とNTTデータ時代を厳密に分けておりません。
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Unknown (川西)
2023-03-18 17:05:16
早速返信いただきありがとうございます!
なるほど大変参考になりました!
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