まさおレポート

南米紀行 2 ウユニ塩湖

 

 

ビラソンからウユニ

 

アルゼンチンのサルタから夜行の長距離バスで400キロ6時間の旅をしてボリビアの国境の町ビラソンについた。高山病に対して油断していたのかバスの中でボトルに残っていた赤ワインを飲んでしまった。ここビラソンは3000メートルをはるかに超える高地だったのだ。アルコールは高山病によくないのだ。

 

ビラソンにつくとポーターがリヤカーで荷物を運んでくれる。朴訥な感じのおじさんなので一応安心して宿まで運んでもらうことにした。ところがこのおじさんの歩くスピードがとにかく速い。こちらはワインと高山病症候群でばてているので追い付くのに必死だ。結局30分ほど猛スピードで歩かされることになった。これが後々まで体調の悪化に尾を引くことになる。

ぜいぜい息を切らしながら宿にたどりついた。ウユニへの鉄道駅が宿の目の前と便利なのでチェックインした。監獄のような殺風景なホテルで部屋は狭くて窓がないがとにかく体調を整えることが先決だ。動悸が激しく頭も痛くなってきた。ガイドブックによると高所に来たときに激しく動き回ることが高山病に最悪らしい。それをやってしまった。動悸を耳に感じ不安を抱えながら少し横になり休憩することにした。

 

少し動悸がおさまったので夕食に出かけることにした。外はすでに暮れなずんでいる。普段ならこの夕暮れも風情があるのだが気分が悪いときにはこの種の色調は陰鬱さを募らせる。

街の中心部でレストランを探すとこの店が目に付いた。地元の人々がポツリポツリと入っている。まだ夕食には早いのかもしれない。どんなものがでてくるのか恐る恐る聞いてみると定食のみだという。スープとご飯とお茶がセットになっている。スープは肉の塊がごろりと入っていて期待した以上においしかった。

 

今日はビラソンからウユニへ電車で移動する日だ。朝ごはんを食べに町の中心部に出かける。

三つ編みヘアーに山高帽それにプリーツスカートと長い靴下で縞柄の袋を背負った婦人が歩く。

背中に幼児を背負う母親。

 

駅の荷物預け所でスーツケースなど大きな荷物を預ける。ウユニは世界最大の塩湖がある場所で訪れた人は必ず行ったほうがいいと勧める。ボリビアは怖いイメージがありその上雨季でもあり今回はパスするつもりだった。しかしチリへのバスチケットが満席で買えなく予定外のボリビアへ入国することになった。結果的にウユニ塩湖に行くことが出来て幸運だった。

 

ウユニへは南米にきてから初めての電車の旅で約9時間の予定だ。ビラソン~ウユニは2社が走っているが新しくて速いエクスプレソ・デル・スル社のエヘクティーボクラスが確保できた。一番快適とされている。

 ウユニに向かう列車の窓からみたビラソン風景だ。緑が少し増えてきている。

 

 

 

垂直の岩が見える。

 

 ウユニに向かう列車から見た稜線沿いに燃える夕日。夕日の概念を覆す凄味がある。

 

穏やかな洲があり緑が濃い。

 

山間にささやかなトウモロコシ畑が。

 

国会議事堂のように見える岩がそびえる。車窓に流れる景色がすばらしい。列車は途中までは快調に走ったが深夜に突然なんのアナウンスもなく停車した。夜中11:50にウユニへ到着する予定だったのに11時の時点で電車がいきなりストップするとは。社内案内はスペイン語のみ。後ろの女性がスペイン語と英語がわかる人だったのでアナウンスの内容を教えてもらうとなんと、ここで1時間半停車すると。

山中で人気のない駅にいつとも無く村の若者らしき連中がうろうろとし出す。何の目的でうろうろしているのだろう。こんな時間に土産物を売りに来たり食料を売りに来ているのでもない。窓越しに乗客の寝ている姿をのぞき込んではうろうろしている。2時間ほどして列車はようやく動き出した。このアクシデントでウユニ到着は大幅に遅れ、夜中の2時着となった。要注意地帯を旅するときは夜10時以前に到着することが鉄則だとよく聞く。それなのに午前2時とは。しかも宿は予約していない。

到着と同時に私たちの乗っている最後部車両から先頭車両まで疲れた体を叱咤して急ぎ、預けたスーツケース2個を受け取る。降り立った客も真っ暗な山中の駅が不気味で急ぎ足だ。駅をでると重いスーツケース2つを引きずって石畳のがたがた道のなか、ホテルを探さなければならない。目当てのホテルは道を隔てて見えるが電気を消して静まりかえっている。とにかくホテルを見つけなければと考えていると、ホテルの呼び込みの女性が声をかけてきた。ホテルを選んでいる余裕はない。ともかくこの女性についていくことにした。

100メートルも歩かないところに小さなホテルがあった。爺さんが一人で対応しているため、遅れて到着した客で猫の額ほどのロビーはごった返しているが一向にはけない。私たちの部屋は2階だがエレベーターはない。スーツケースは一個30kgが2個でその他7つほどのバゲッジを抱えている。爺さんはこれを運んでくれるのだろうか。ここウユニは標高が3700メートルくらいか。私は高山病症候群で、思いスーツケースなどを運んできただけで、深夜の移動も手伝って心臓はバクバクしている。とても2階まで運べない。だめもとで頼んでみると、爺さんは一個は運んでくれた。後はなんとか2階まで引きずるように運ぶ。

さっきのお姉さんに明日の朝11時からの塩湖ツアーを依頼。1デイツアーか、2泊3日ツアーしかないという。いや塩のホテルに1泊したいんだというとプライベートツアーだというが仕方ない。ついでに、ウユニからラパスまでのバスの手配も依頼。

部屋でホットシャワーがでない。爺さんに頼むと夜遅いからだめだと言う。なんとか頼み込んでホットシャワーを浴び、寝床に入るが、心臓が悲鳴を上げているのがわかる。高山病に悩まされること3日目だ。それと深夜の移動、重いスーツケースの運搬が重なっている。体が対応し切れていないのだ。脈拍を測ってみると120もある。普段は60ちょいなので倍の心拍数だ。そのため、寝つくどころではない。苦しく不安な状態が2時間近く続いた。

ボリビアのウユニで容態が悪化してもおそらく近辺にしっかりした病院などない。人口千人いるかどうかの小さな小さな、高い山々で隔絶された村だ。高山病はとにかく低地に行くしか対処法がないのだが、ここから2000メートル級の低地の村といっても10時間以上は優にかかるだろう。救急車の手配など及びもつかない。スペイン語がさっぱりわからない我々が緊急事態を伝えることすら難しいだろう。重いスーツケースを抱えてどうやって移動するのかなど不安が不安を呼ぶ。そうなったら荷物を預けていくしかあるまいなどと考えているうちに幸い、2時間ほどしたら体が少し楽になった。脈は90台に戻っている。やがて眠りに落ちた。

 

朝には体が楽になっていた。窓の平和な風景に思わず感謝の念が沸いてくる。こんな辺鄙な場所で救急車を呼んでも診療所レベルの病院まででも5,6時間はかかる。思い返しても苦しくて不安でリスキーな夜だった。

 

ウユニの広場前で市場が開かれている。

 

鋭く客足を観察する店の店員。

ウユニ塩湖

2007年3月1日。今日は世界最大の塩の湖、ウユニ塩湖へ。南米のゴールデンルートに、必ず入ってくるウユニは行ったことのある人からは絶対に行ったほうがいいと強烈におススメされてきた。この塩湖は最高地点3760m、およそ20億トンもの塩でできている。塩湖の大きさは約120km×約100km。数万年前にボリビア南西部を覆っていた湖が干上がるに従い水分中の塩が固まり塩湖となった。

ウユニの町の市場での朝、カフェで相席していいかと聞いてきたアルゼンチンのカップルは映画のプロモーションが仕事で日本のホラーはすばらしい、北野たけしの映画が好きだととにかくよく日本の映画のことを知っている。昔あった、たけしの殴りこみ事件について説明すると喜んで聞いていた。

 

いよいよ出発、今回はプライベートツアーなので車に詰め込まれることもなく、人に気を使う必要もなく快適だ。

 

ウユニの町をでて、約1時間のドライブで塩湖の入り口に到着する。 命からがらやっとたどり着いたと感慨無量だ。

 

雨季なので、塩湖も場所によっては水がけっこうある。乾季がベストシーズンだがこういうのもよい。

 

後ろからどんどんツアー車が追い越して行く。こういうポイントで止まってくれるかどうかはガイド次第だ。

 

水の中をずんずんと進む。どの車もトヨタだ。こういうの見ると日本の車産業はすごいなと実感する。

進むにつれ、水は少なくなり乾いたところと水のところとが縞になってくる。キラキラと輝きダイヤモンドの上を走っているようだ。

 

地平線。見渡す限り白一色の氷の世界と見間違える広大なこのエリアはリチウムなど希少メタルを豊富に含むという。ウユニ塩原はリチウム埋蔵量で世界の半分を占めると見積もられていて日本も住友商事がこの権利獲得に努力している。

 

ガイドが何もないところでおろしてくれたので、こんなウユニ名物トリック写真も。

 

突然島があらわれた。魚の形に見える島なので、イソラ・デ・ベスカ(魚の島)という。もっとも海や湖ではないので島というのも変なのだが。

 

塩湖の真ん中の島にはサボテンが生えていた。自然に生えたのではなく昔、インカの人たちが植えたといわれている。腰掛けているのは塩でできたテーブルだ。

 

ここで、ガイドがランチを作ってくれる。その間に、みんなこの島に上陸して、上まであがってくるのだが島の入り口のちょっとした坂の上にあるトイレに行っただけで息が切れてしまった私たちはここで遊ぶことにする。

 

イソラ・デ・ベスカ島を食べる。

 

殺風景な山小屋風の部屋には不釣り合いな本物の毛皮のベッドカバーがあった。

 

ホテルのトイレ。

 

ホテルの看板。 塩のホテルと読め、プラヤブランカ白いなんとかと書いてある。

 

さあ、いよいよ待ちに待った ウユニの落日だ。撮影時間は限られている。できるだけ美しい写真をとりたいと張り切る。

 

ブルーアワーだ。心に残る夕焼けが撮れる。この旅のベストショットの一つだ。

 

 ホテル遠景。この写真だけを見せると南極だと思う人も多いかな。

 

盛り塩。なんのためかは不明だ。

 

 いよいよ日が山に隠れる瞬間がやってきた。 

 

今日は満月だがこの後完全に日が沈むと真っ暗な世界が待っていた。この宿は電気を節約していてディナータイムは宿泊者全員でダイニングテーブルを囲みろうそくの明かりで夕食をとる。メニューは野菜スープとパスタと簡素だ。1人2食つきで20USドルの宿で贅沢はいえない。宿泊している人全員が顔をそろえまるで日本人宿の宴会のようで楽しかった。

 

 

これも楽しみにしていた日の出の瞬間だ。

 

こんなに長い影ができる。

 

朝方10時にトヨタランドクルーザが次々にやってくる。それにしても古い車が多い。われわれの乗った車は速度計が無かった。

 

氷の家に見える。

 

子供も遊びではなく真剣に塩掻きを手伝う。

パタゴニア紀行 1

 

パタゴニア紀行 2

 

パタゴニア紀行 3

 

南米紀行 1 メンドーサ サルタ ウマワカ

 

南米紀行 3 ラパス チチカカ プーノ プカラ ラクチ クスコ

 

 

 

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