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南米ペルーのクスコはマチュピチュ遺跡への中継地点として有名だ。2006年の春にこの近郊へ遺跡めぐりをしたときのこと、途中でガイドに導かれて小さな村のアンティーク店に入った。この小さな店の一角にコロニアル時代のアンティークがほこりをかぶって雑然と置かれていた。そのなかに、異質なアンティークが目に付いた。
この諸尊仏龕がどうしてペルーのクスコの片田舎にあったのかは興味深い謎だ。ペルーの歴史によると、コンケスタドール以降、極端にインディオ人口が減り,労働力つまり奴隷を清に求めたとある。そのときに中国人奴隷が持ち来たったのだろうか。あるいは布教の仏僧か。
枕本尊として遠いペルーまで持ち来たり異国の厳しい生活の克服を祈ったのだろう。裸足でペルー山脈を歩いて逃亡した記録もあり、その厳しさは想像を絶するだろう。祈りで困難を克服したに違いない。
時と共に忘れ去られ、どこからかこの田舎の店にたどり着き、何者かが購入するのを長い間待っていたものとみえる。このような場所で、このような諸尊仏龕に興味をもつ観光客も滅多にいないだろうから、場合によっては他のガラクタと一緒に消失の憂き目にあっていたかもしれない。よい薫を漂わせてくれるこの諸尊仏龕は祈りの集積のように思えてくる。
黒褐色で漢字や梅、笹、牡丹、杜若が浮き彫りされている。
左上部のかけたところは一見、象牙のように見える。中央は釈迦で周りは10大弟子に金剛力士像2体。左が弥勒で右が観音でそれぞれ6尊が囲む。金剛峰寺の弥勒は左手を挙げているが、これは右手を挙げている。観音も反対の手を挙げている。
漢字は「上求菩提」「下化衆生」とある。蝶番の扉をひらけると中から釈迦三尊像が現れた。精緻な浮き彫りだ。非常に硬い木で、金属のような重量感がある。浮彫の浮いたところから元来は鮮やかな朱色をしていたと推測される。