まさおレポート

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モデナ紀行

2017-05-02 | 紀行 イタリア・スペイン 

2006/6/7~

緑がモデナ 赤がボローニャ。ボローニャから列車でモデナに向かった。

モデナは1288年にエステ家に支配され、後に1598年にエステ家がフェッラーラを失い、その後2世紀半はエステ家の都であった。フェラーリ、マセラッティ、バルサミコ酢で有名。このフェラーリという名前はエステ家を媒介としてフェラーラに通じるのかと思っていたら実はフェラーリの生みの親、エンツォ・アンゼルモ・フェラーリからとったネーミングだという。

モデナの舗道、落ち着いた街。

 

 モデナの落ち着いた印象はこのレンガの色調にある。

ギルランディーナの塔(Torre della Ghirlandina)は、イタリアのモデナ大聖堂に隣接する鐘楼で高さ 86.12 m。5階まではロマネスク様式で6階とその上の尖塔は13世紀~14世紀に建造されたゴシック様式。塔はピサの斜塔に近い傾き。「市民の塔」(トッレ・チヴィカ、Torre Civica)の名前でモデナ大聖堂などとともに世界遺産に登録されている。

ファサードを支えるライオンのお尻。前方はグランデ広場、かつては裁判、演説、また処刑の場。

大聖堂 ファサード 入り口に設置されているプロティロの円柱を支える二頭のライオン像は古代ローマ時代の物。白とピンクの大理石でロマネスク様式。

大聖堂 ファサード 入り口の大理石浮き彫り。

ロマネスク様式の教会、モデナ大聖堂ファサード。モデナ出身のテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティの葬儀が行われた場所。1099年に建設が始まる。アンセルモ・ダ・カンピオーネと「カンピオーネの職人たち」によって引き継がれた。バラ装飾の窓は13世紀になってからアンセルモによって付け加えられた。3連窓のギャラリーも注目。

グランデ広場に向かう途中にサン・ドメニコ教会が。

 露天が並ぶ。

アスファルト道路のはがれ。

ギルランディーナの塔が見える町並み。

交差ボールトの見える大聖堂内部 大聖堂内部。レンガ造りで窓は小さい。

レンガで堅牢に建てられている。 

浮彫で描かれた創世記? 

鉄さびのような味わいをもつ聖人像 

 ここにもライオンが柱を支える。

人も支えている。天邪鬼を連想。 

ライオンのアップ 顎の下にあるのは何だろう

 

 

 

ボールトは大理石の柱が使われている

 大理石の柱も美しいがこうしたレンガの柱もいい。

コリント式の柱頭のレリーフ。

 茶系統の大理石で装飾を統一した内部。

レンガで重みを支え、大理石で細かなレリーフを施し、質実さと華麗さが同居している。とにかくこの色に魅かれる。

サン ・ ジュゼッペ教会。

公園に立つ像。

街の道路上に走るのはケーブルバス(電気で走る)バスの電線らしい。

歩きつかれた後で昼食のパスタ。

丸いパン。


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