青年 「この世の中にあるものは何かの役に立つんだ 例えば この石だ」
ジェルソミーナ 「どれ?」
青年 「どれでもいい こんな小石でも何か役に立ってる」
ジェルソミーナ 「どんな?」
青年 「それは・・・おれなんかに聞いても わからんよ
神様はご存知だ
お前が生れる時も死ぬ時も
人間にはわからん
おれには小石が
何の役に立つかわからん
何かの役に立つ
これが無益ならすべて無益だ
空の星だって
同じだと おれは思う
お前だって
何かの役に立ってる
今振り返ってこのセリフ、随分と仏教的なセリフを述べていたんだ。まあ17歳にはよくわからんかったが何故か心に残り、手紙にこのセリフを使った記憶がある。
随分と遠い記憶が何かの文章でふと呼び覚まされることがある。今朝も映画とは全く関係のない実務的なサイトを眺めていると突然、あまり脈絡もなく「道」に触れられていた。ジェルソミーナのあの無垢な笑顔が忘れられないとある。そうか、この映画私にも忘れられない古い記憶がある。
イタリア映画の名作「道」は戦後10年も経たない頃、1954年に製作され原題がLA STRADAとそのまま素直に邦訳になっている。監督はフェデリコ・フェリーニで、あのいつまでも耳に残り口ずさみたくなる主題歌はニノ・ロータ。あらためて聞くとどこかで聞いたことがある。なんとゴッドファーザーの音楽もニノロータが作曲しているのだ。ジェルソミーナはジュリエッタ・マシーナがザンパーノはアンソニー・クインが演じる。
この映画を1964年ころに高校の映画教室で見た。こうした映画をときどき生徒に見せていたことになるが、映画の選定は一体だれがやっていたのだろう。推測だが無線理論を教えていた大塚政量先生ではなかろうか。この先生、アマチュア無線の世界では著名でいくつも本を出しており、また従軍経験があり高い崖を飛び降りる時の膝の使い方を授業中に教えるかと思えば生徒を講堂に集めてバイオリンを演奏してみせる。また休暇を利用して岩手県平泉にある毛越寺に詣でた時には8ミリ映画に編集して生徒を集めて見せるなど、実に楽しい先生であった。
この先生、他にもいろいろな思い出がある。映画も大好きである授業の折には映画の観方を教えてくれる。映画は筋を追うのも大事だが細部が楽しい。服装やインテリアをよく見るとよいと教えてくれた。また、ネクタイも外国製の上等を買っておくといつまでもよれないで使えるとも言っていた。田舎道を自家用車で通勤してくるが車の上にスピーカを取り付けていて道で知り合いに出会うとそのスピーカから「田中さん こんにちは」と大音量のあいさつが流れる。なんともペンギン村風の光景が見られたものだ。いずれにしても半世紀がたっても記憶している、それだけ若者に印象づけた人柄は大したものだ。
高校の映写室で見たこの映画は当時の私にかなり深い影響を与えたものと見える。それからことあるごとに好きな映画の一つにこの「道」を挙げていた。好きな女の子にラブレターでこの「道」が好きな映画の一つだなどと書いてみたりもした。
さて、半世紀が過ぎて今一度「道」を見直してみた。(youtubeで全編が見れる)やはり半世紀の間の感受性の変化はすさまじいものがあるがそれにもかかわらずやはり感じるものはある。ネオリアリズムが描く貧しいイタリアの貧しい男と女の物語はワンパターン的ではあるのだが古典的な味わいがそれを打ち消して充分に楽しめる。東京物語など日本の古典映画に近いものを感じる。
粗暴な男と頭に障害のある無垢の女、そしてマットと呼ばれる軽業師は遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」大学生の吉岡努とハンセン病と診断された森田ミツをどこか思い出させる。市井の神はマットやジェルソミーナの姿をとって現われるという物語性がこの映画の魅力だろう。ザンパーノにとってジェルソミーナは神であり、ジェルソミーナにとってマットは神である。
慙愧に耐えない人々にも身近に神はいるのだが後になって彼らはそれを思い知る。それは私やあなたにとっても同じことだと思い知る。