まさおレポート

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世界はベル研的存在の再来を待っている

2019-12-23 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

1925年に設立されたベル研究所は7件のノーベル賞で13名の受賞者を輩出している。ノーベル賞こそとっていないがクロード・シャノンやハリー・ナイキストも。1985年のAT&T解体で組織が解体されその後ノーベル賞クラスの研究は途絶えた。単独の研究所でこれほどまでに人類史的成果を上げた組織は空前絶後だろう。

1937年 クリントン・デイヴィソン(1946年までベル研究所で働いた)とレスター。ジャーマー(同ベル研究所で働いた)によるド・ブロイ波の確認でノーベル物理学賞受賞。

1956年 ジョン・バーディーン、ウイリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッタン(いずれもベル研)がトランジスタの発明でノーベル物理学賞受賞

1977年 物性理論のP.W.アンダーソンのノーベル物理学賞受賞(1949年から1984年までベル研に勤務)。

1978年 アルノ・ペンジアスとロバート・ウイルソン(いずれもベル研)による宇宙背景輻射の発見でビッグバン宇宙論の実証でノーベル物理学賞受賞。

1997年スティーヴン・チュー 1978年にベル研究所に移籍してノーベル賞を獲得したレーザー冷却の研究を行った。(朱棣文)によるレーザークーリング技術の確立。1997年ノーベル物理学賞。

1998年ホルスト・シュテルマー(1977年にベル研に赴任)分数量子ホール効果の発見によって、ダニエル・ツイ(1968年 - 1982年 ベル研究所テクニカルスタッフ)ロバート・B・ラフリン(1979年 マサチューセッツ工科大学にて博士号取得後、ベル研究所勤務)とともにノーベル物理学賞を受賞した。

2009年 ウィラード・ボイルとジョージ・スミスによる1969年CCDの発明でノーベル物理学賞を共同受賞。

クロード・シャノン 1948年ベル研究所在勤中に論文「通信の数学的理論」を発表し、「情報」を定量的に扱えるように定義し、情報についての理論を創始した。シャノンの定理でADSLの父ともいえる存在。

ハリー・ナイキスト 1917年から1934年までAT&T研究所に勤め、その後ベル研究所に移った。クロード・シャノンによって発展させられるナイキスト-シャノンの標本化定理の基になった。

ベル研のAT&T解体後のしぼみははなはだしい。

孫正義氏のユニコーン投資はシンギュラリティー招来への一つのアプローチに違いないのだがベル研の人類史的成果とはベクトルが異なる。つまり基礎研究は成果を急ぐユニコーン投資にはなじまないからだ。

世界はユニコーン投資も必要だがベル研的存在の再来も待っている気がしてならない。中国の国家を挙げての資金力と長期的展望に立った台頭に対抗するにはどうすればよいか。独禁法など存在しない中国に対抗するには独禁法の在り方を再考すべきときに来ているのではないか。

グリーン判事により独禁法違反として葬り去られた巨大企業形態の意義もパトロンの存在が文化に及ぼした人類史的貢献として眺めるとき、再び装いを改めて復権するときがくるのではないか。


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