まさおレポート

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紀野一義 あらゆる太陽や銀河を含めて、無なのである

2022-08-09 | 紀野一義 仏教研究含む

無明から空

仏教は四苦八苦からの脱出つまり苦を離れるために無明からの脱却を目指すが、一方では無明は生存本能の奥にあり、生きる本能そのものでもある。無明を去ると解脱する、つまり悪道に輪廻することはない、つまり四苦八苦しかないこの世界に帰ってくることはないのだが無明はそう簡単ではないのですね。

大乗仏教の天才達は無明を離れた解脱後の仏よりも救済に汗する菩薩に最上価値を見い出し、菩薩が解脱した後に得た空(くう)観を最終認識であると見出す。まったき無に何人もすむことができないことを知ったのだ。

ゴールインしたあとの厭世観、なにもない空の世界から永遠に救済に向かう菩薩に価値を置き換えた実に鮮やかで見事な転換だ。紀野一義の法華経に対する肯定、肯定、全肯定と同じですね。

空(くう)観がなにより重要な言葉となるのだがわたしには今ひとつ理解できないでいた。しかしショーペンハウアーと立川武蔵によって目が開かれた気がする。(紀野一義は講演の中で一度さらりと触れているが立川武蔵については触れていない。氏は空を知で理解しようとすることはしない)

ショーペンハウアーは意志と表象としての世界」で意志を転換し終えた人つまり解脱した人の世界を「そのあらゆる太陽や銀河を含めて、無なのである。これこそ仏教徒のいう般若波羅蜜なのではないか。と述べている。これがショーペンハウアー流の空(くう)であると理解できます。

無 意志を完全になくしてしまった後に残るところのものは、まだ意志に満たされているすべての人々にとっては、いうまでもなく無である。ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」

松岡正剛は千夜千冊・遊蕩篇 意志と表象としての世界でアルトゥール・ショーペンハウアーのわかりにくい「意志」を鮮やかに解説している。つまり(宇宙としての)意志はダルマであり物質化しているが人間は無明と云うフィルターがかかり「無目的に人間をかりたてる意志」しか表象として現れない。

意志には大別して二種類のものがあって、一般的な意味で「何かをしようとしている意志」と、他方で「無目的に人間をかりたてる意志」とがあって、ショーペンハウアーにおいてはこの後者のほうの意志が主題となったのだった。

ここで意志といっているのは、ラテン語でいえば「リベルム・アルビトリウム」のことで、「自由意志」のことをさす。リベルム・アルビトリウムは古代ギリシアから問題にされてきたもので、必ずしも人間の意志をさすとはかぎらない。むしろ自然や世界や宇宙にひそむ力の発動を「自由意志」とみなした。

物自体が意志だと言っておきながら、その物自体の意志が何かにあらわれるのではなくて、そこから人間が勝手な意志を切り取っているというのだから、いったい世界の意志は人間の意志にろくなものしか提供していないように思えるからだ。

意志と表象としての世界アルトゥール・ショーペンハウアー松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇

まだ意志に満たされている人々にとって無であるものがすでに意志を否定し、意志を転換しおえている人々にとってはそのあらゆる太陽や銀河が無なのだと述べる。つまり往還したもののみが認識できる世界観を述べている、これが空仮中の中にあたるのでしょうか。

空と仮を往還したもののみが認識できる世界観だと述べていることは立川武蔵「空の思想史」によって一層理解できた。

空思想の考察および理解のための窓として私は行為を選ぼうと思う。

空の思想は行為の思想に他ならない。 

空はまったき無を目指しているように見える。しかし、竜樹自身も述べているように、この否定作業は、否定を通じて新しい自己あるいは世界をよみがえらせるための手段なのだ。すなわち、竜樹自身まったき無に何人もすむことができないことは知っているのである。 立川武蔵「空の思想史」

空を往還したものが菩薩となって救済に励む。仏道修行のゴール直前が菩薩なのではなく菩薩が最終ゴールなのだ、この転換は素晴らしく見事で大乗発生の機序ではないかと思います。

迷いの世界という現状から修行という手段を経て空性を体得するに至り、そしてその空性の働きによって迷いの世界が浄化されるというのが空性を求める行為の全体像である。

空とは一つの静的な状態なり、点を言うのではなくて、俗なるものを浄化しながら俗なるものにおりてくる、そういった一つの全体的円環的動態を呼んでいるのである。 立川武蔵「空の思想史」

なんとか空(くう)を知で理解できたかなと思う、しかしこの理解が”救い”に結びつくのかといえばこれはまた別問題で、やはり紀野一義の話に戻る必要があると思います。

この世はゼロであり仏の世界だが一をつまり一点を信じてほとけの世界に入っていく。虚空なるこころ、あはれは澄んだ世界で空。それがわからんと題目を唱えても念仏を唱えてもなにもわからんだろう。

楽天主義

氏は自分では歌をよむことができないという。その理由は超楽観的だからだ、1753発の不発弾を処理してきた経験からくる超楽観主義だ、しかし西行や吉野秀雄などの暗い歌を好む。氏の業と西行や吉野秀雄などの業が響きあう。

空しさを突き抜けたところに空を見出し楽天主義で生きると紀野一義は宣言しています。

紀野一義は自らは超楽天的であり人生万事肯定派であり、死地を何度も潜り抜けて運がよいと自らいう。楽天主義というと人はすぐ「いいかげん」とか「気楽さ」とか「人の良さ」とか「うすのろ」とか連想するらしいが、楽天主義とは凄まじきものである、殺されたって「人を信じ通すという人生観を変えないことだ。

人間は素晴らしい。自然は素晴らしい。生まれてくるってことは素晴らしい。死ぬってことも素晴らしい。病気になるってのも素晴らしい。という風に、徹底的に信じ通す、肯定、肯定、絶対肯定してゆくのだといいます。

人の顔をひょいと見たとき、どこを見るか。わたしはいつも眉間の晴れやかさを見るのである。  ある禅者の夜話

そういえば榎木孝明の眼はインド人に似ていますね。静かで、澄んでいて、透明で、限りなくやさしい。インドの聖者や菩薩たちは、みんな、あんな眼をしていた様な気がします。ええなあ!という人生

この人の死を潜り抜けた結果の空の宗教観、肯定、肯定、絶対肯定の死生観、肯定の先に見える光明、一見悲劇的にみえる人も全面的に肯定するその凄さ。陽、陽、陽がすばらしい、そしてわたしたちを勇気づけてくれます。

法華経を信じたものは太陽の如く月の如く光明でよくこの世の闇をを照らすことができる。陽でパーな人、こういう人でなければ成功しない、こういう態度で仕事をすることを忘れないで欲しいと氏はいいます。

法華転でも迷いを迷い始めるとおさまりが付かない。胃が痛いときは明日は直ると思わないといけない、だから迷いのなかと定めてしまう、すると迷わないと氏は生き方の知恵を授けてくれる。

氏が60歳のころの年末と正月に胃の調子が悪くものが食べられなくなった。氏の周りの方がガンなどでどんどん亡くなり、氏も気になって勤務先の大学から車で知り合いの病院にいった。行く途中で「妻も何とか生きて行けるだろう、子どもたちもここまできたら後は自力で生きていくだろう、全てはほとけにまかせる」と思い定めると急に具合がよくなった。病院に着くころには「何ともないです」と知り合いの医者にいい、笑いあったというエピソードがあるブログの記事で紹介されている。

風の如くさわやかに、さわりなく、満月のごとく明るく肯定的に生きなくてはならない、なんといっても陰では話にならない、どこまでも明るく肯定的に、どこまでもすっきりと生きていきたいと氏は語りかけます。

さとりを語る

さとるということは、たとえば道元なんかの場合ですと、「はるかにこえてきたれるゆゑに」っていうんですから、はるかに永遠なるものからくるんで、さとりだって実は、さとらされる、親鸞の場合だったら、「念仏申させられる」という形にきちんと定められていた、しかし今日では親鸞が本来持っていたもの、道元が本来持っていたものから、だんだんはずれていっていると氏は警鐘を鳴らしています。

明治の俳人正岡子規(1867-1902)が脊椎カリエスで長く伏し、苦痛に耐えて綴った「病床六尺」に、「さとり」をめぐる一節がある。

余は今まで禅宗のいはゆるさとりといふ事を誤解して居た。さとりといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、さとりといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

解脱

長唄のお話を聞きながら、法華経のことも、禅のことも、あの世のことも、良寛様のことも、ついでに自分のことも、すっかりわかってしまったのです。・・・回心のない宗教はありません。「ええなあ!という人生」

紀野一義はさとりを解脱、見性と違う言葉で述べる。

さとりは論理的に筋道を立てては語れない。解脱とは自分を縛っているものから自由になることでたばこの禁煙に例をとるとやめてもまだ吸いたいと思っているうちは解脱していない。

信心が決定した時にほぼ往生する。迷いがなくなると死ななくちゃならない、迷いを断ち切ってしまうと人間の命まで断ち切ってしまうと思う。死ぬときに完全に往生するとも。

さとりがなければ迷いもない、無明は明るくないということで真っ暗闇ではない。無明ということがあるから人間は生きています。無明がなくて英知だけだったら面白くもなんともない、人間は生きている限り迷うもので、ゲーテのファウストを読めばわかる。

迷いがないと悟れないということもわかる。その迷いを上手に使って迷いを乗り越え、迷いを動かしている力を自分のものにするということが大切だと氏はいいます。

さとりについて紀野一義は「坊さんで自分は悟った、見性したといいふらすのは下の下、見性したなら釈尊のように人を救わなければならない」。

年配の方でも人生60年歩いてもさっぱり60年歩いたような感じがしない方がいらっしゃるがそういうかたはただ歩いただけ。それに対して村長さんみたいな素朴な人に話しただけで満足して帰れる、話している間に自分で気がつく、こういう人をさとった人という。「ははーなりましたなとわかる。自分のことしか考えなかった人があの人のことを考えることになる。もうさとりのひとなのだ」といいます。

迷いを上手に使って迷いを乗り越え、迷いを動かしている力を自分のものにする、これが煩悩即菩提ということで生きている限りはこれでよいということですね。迷いがなくなると死ななくちゃならない。

シッダールタ

ヘルマン・ヘッセは若い読者へ向けた手紙で真理を予感し始めた人、生の本質的なものを予感し、それに近づこうとする人、そういう人は、キリスト教の衣をまとっていようと他の衣をまとっていようと、間違いなく神の実在を体験すると述べている。

友人ゴーヴィンダとの充実した暮らしと別れ。ゴータマとの出会いの後にゴーヴィンダはゴータマに、シッダールタは一人で遍歴する。なぜシッダールタはゴータマについていかなかったのか、ヘッセは知恵というものが教えられるものではないということ知っていたからだ。

シッダールタは知識をむさぼることを戒め、賢明さを戒め、さぐり求めることをいさめ、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことを学び、川から傾聴することを学ぶ。開かれた待つ魂で、意見を持たず聴き入ることを学んだ。

そして川は至る所において同時に存在する。川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も存在しない、世界が瞬間瞬間に完全なのだとさとる。そして次のようにヘッセは述べる。

かつて若き日に覚者仏陀に問いただした疑問がまずその一つであった。あなたのその教えによると、万物の統一と首尾一貫が一か所で中断されております。それは世界の克服の教え、解脱の教えです。

世界を幼児のように観察すると、月と星、小川と岸、森と岩、ヤギとコガネ虫、花とチョウ、すべての声、すべての目標、すべてのあこがれ、すべての悩み、すべての快感、すべての善と悪、死は生と、罪は聖と、賢は愚とすべてがいっしょになり、世界は美しかった。

世界を愛しうること、世界を軽蔑しないこと、世界を自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と賛嘆と畏敬をもってながめることをヘッセは述べる。

ほとけになるよりほとけであれ

風が吹いていくようにひっかかりがない、これがよい。ばかみたいなところに人の心を打つものがある、悟った人は洗練された優雅さがある、ほとけになるよりほとけであれ。氏はさとりをどのように説くか、一見つかみどころがない。

ほとけがほとけでない、そしてほとけである、一旦否定するが肯定することを即非の論理、

おんなはおんなでないものになることでおんなになる、わしのものでなければひとのものもわしのもの、本来無一物、ひっくりかえされたところにさとりがひらけると氏はいう。

さとりはさとろうとして得られるものではない、さとらされるもの、又さとりは詩でしか表現できない世界だ、かつて偉大な僧は詩や和歌でほとけの世界やさとりの世界を表現したと氏は語る。

禅宗のお坊さんに見性とはと質問すると上手に逃げておしまいになる、禅僧はさとりということをあんまりいわない、説明のできないものだから。いかなるかこれほとけと問うとかやくらん(便所の垣根)と返される。柴山老師は「ほとけをあんまり簡単に使うな」と云われた。

姿や動きに精錬された優雅さというものが現われてくる、それがないと見性とはいえない、見性した人には一挙手一投足の美しさがある。

さとろうとするとさとれない、さとりは自分で理解できるものではない、人を救うことだけがさとりにいたる道だと非常に核心的なことを氏は述べています。

あらゆる宗派のお坊さんと友達でよく知っているがさとったというひとが凡夫だという現実をたくさん見てきたと氏はいう。ある一時に見性しただけで「見性せんほうがいいわ」と思う人も多いが反対に見性していないけどほとけさまみたいな人がいる。

また、さとってもそれがずっと続くわけではない、再び鬼にかえることもある、さとった後の方がこわい、そして煩悩の火が消されていくと最後は死がある。釈尊は35歳でさとり、80歳まで45年間説いてまわったと氏は語ります。

さとりをえたいと考えるのはご本人がさとりというものが自分のなかにあるから求めるのです。自分の中にあるのになんでそとに求めるのか。曹洞宗流

さとりのひとにならなければならない。なってしまうとあれこれ悩むことはないであろう。臨済流

曹洞宗と臨済の二つの読み方を紹介し、どちらをとるか、人間解釈の2つの流れだと氏は言います。

人間が立派になる法、仏になる法は二つある。積み上げ方式がある。これも一つのやりかた。適当にやっていても月給だけはくれる、それでいいと思っている人はそれで終わる、現代の六道輪廻だ。いつまでたってもさとれない人は「これでいいのだろうか」と考えない人であり、考える人は地獄にいても声聞、縁覚に抜けていくことができる、この一点が大事だと氏は述べます。

又、跳躍方式はあっという間に仏になる、勉強したら悟れるというわけにはいかない、しかし自然に得られるというのも間違いで刹那に滅却して悟るという世界がある。

自分を追い詰めるということが大切で、とことんのところで刹那に世界がひっくり返る。世界がひっくり返ると今度は仏の命の中に自分が生きてなんともいえない大きな大きなものが生かしていると気がつくと氏はいいます。

山岡鉄舟先生が座禅をしていた時最初はネズミがみんな逃げ出したが山岡鉄舟先生が死ぬ前は彼の肩にまで登ってきた。ある人が河原で座っていると小鳥が肩に止まった。ある瞬間にトリが肩から飛び立った。すると強い力が自分の中に湧いてきた。

南禅寺柴山全慶師は永観堂の鐘の音が聞こえてきて黄金色の波になってやってきたときその音が見えた、鐘がなり心が動いた、そして気を失って悟った。

悟る人はなにをしても悟る、しかしさとりっぱなしという人に出会ったことがない、さとりから迷う、さとりとか迷いとかに引っかかっているときはだめだ、淡々といけばよいというのが氏の説明です。

一句一偈でも悟ることができる、長いお経で変わったのではない、一句一偈で変わったという話はこの世にはたくさんある。

要するにあれこれ考えても無用でただほとけからくる。論理的にいろいろ考えても無駄で、これを唯物与仏と言い、正法眼蔵で的確に述べている、そう言われるとちょっとこまっちゃうようなものですけどねと氏は言います。

凡夫で悟ったものはない、唯物与仏のみ極めつくす。鈴木大拙とバーナードリーチの対談で鈴木大拙はあんたはそのまんまでほとけだといったらバーナードリーチが大笑いした。

この大笑いは肯定と謙遜の大笑いだろう、自分の中にあるほとけを確信することが大事でそれを如来と云い、この人は人を渡したひとだ。人を渡したひとでないと凡夫から脱しきれず、それではさとれないということを唯仏与仏のみ極めつくすと氏はいいます。

いずれにせよ何かにこだわったら本来のさとりは死んでしまう、つかまえたと思ったらだめでこだわらんようにせよ、われわれはろくでもない人間だが仏性はある、私はつまらない人間だなんていう先入観にとらわれてはいけない。

それから私は優れた人間であるなんていう先入観もこれもあんまりありがたくない代物で、それも放り出していくと氏は語ります。

 

仏性を求めれば得られない、なぜならば求めると言うことは自己とは別のものを追いかけることであり本来ほとけと我は一つのものだから追いかけても得られない、捕まえても捕まえたと思わない、不可得でありながらつかまえる。

おかしい時に笑わない人間、悲しい時に泣かない人間は外れている。誰からも好かれない、一緒にご飯食べても楽しくない、こういう人にさとりなんてない。げらげらとみんなで笑う、泣く、そんなときに考えてみる、そして自己に変化が起きることが大事だ。

本願力が動かしているかどうかが大事で、泣いて泣いてそのうち笑い出す、しかし頭がおかしくなったわけではない、本願力が動かしている。あるときは強くなり、あるときは弱くなることが大事だと氏はいいます。

道元禅師のさとり表現

道元禅師が正法眼蔵の中で、素晴らしい言葉でさとりを表現されている。

仏法は、人の知るべきにはあらず。このゆゑにむかしより、凡夫として仏法を悟るなし、二乗として仏法をきはむるなし。ひとり仏にさとらるるゆゑに、唯仏与仏、乃能究尽といふ。

氏は正法眼蔵の唯仏与仏の巻をわかりやすく言い換えています。

さとりそのものも決して思ったようなものでない、だから事前に予測するということはさとりにとってはなんの役にも立たない、さとりというものはさとり以前に思った事をはるかに越えてやってくる。

芝居でもお能でも演じると演ぜられるは同じで、迷っても悟っても同じこと、それまでは迷いを去ることがさとりへの道と思われていたが道元は同じことだと言い切る。

 

西洋人と同じように論理的にものを考えると甚深無量であり、難解難入だがその考えを止めてそのまま受け入れると即座に本行菩薩道だ。さとりとはただ一つにさとりの力に助けられてやってくる。そこには迷いなどというものはない。さとりということすらそこにはない。人間がさとるのではない、ほとけがさとる、だから人間としてあれこれ考えた事は何の役にも立たないと氏は語る。

 

ブッダはさとるいう動詞からきている、釈尊は暁の明星を見てさとった、大自然がすべてさとりでこれがキリスト教と違うところだ、こういう考えはキリスト教では異端になる。

さとりの体験を言葉であらわしたものが仏教で、明治になって仏教ということばができた、それまでは仏法、仏道といったと氏はつけ加えます。

死ぬ覚悟を語る

戦争に行くといつも「今日死ぬ、今日死ぬ」で、明日も明後日も、来年も10年後も同じように自分の人生があると思っている限り退路を断ってこの一瞬にかけるという思いは生まれてこないと氏はいう。

我が歳きわまりて、安養の浄土へ還帰すというとも 和歌の浦曲の片男波の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ 親鸞御臨末の書

人生の輝く塔が立っていると悠々と死んでいける。宮沢賢治

死ぬときも 死んでからも おなかの中でも三宝を唱え奉れ。道元禅師

母親が迎えに

氏はいつも自分のまわりに原爆で亡くなった父母や姉妹が居る感じを持っていると話す。証明しろといわれても証明のしようがない、証明しようがないだけ氏にとってはどうすることもできない真実であるとたびたび語っています。

 

氏は死ぬときは南無妙法蓮華経と唱える、そして2週間ほどの中有のあとお母さんのおなかの中に入りさらに唱えていると再びほとけさまに会えるように生まれてくると語ります。氏は浩瀚な世界を受容し学んでいるが、最期に死ぬときは法華経に戻っていく。原点が揺らいでいないこれこそが氏から学ぶ最も大切な事だと思います。

 

人間のいのちは死ねば仏のいのちに帰る、この考えはずっと変っていない、人間のことであるから、さびしさ、かなしさ、せつなさは堪えがたい、しかし、それだけではない別のもの、仏のいのちに帰したという安らかさがいつも感慨の底に横たわっていると氏は述べます。

 

父親と母親と姉と妹が迎えに来てくれる、すでに死んだ者たちが迎えに来てくれる、氏は父母や姉妹が広島の原爆で瞬時にして死んだので迎えに来てくれるのは父親と母親と姉と妹という気がする、旅をして戻ってホームに降りたときに自分の愛する人がにこやかに迎えてくれる場合と誰もいない場合とではこれはずいぶん違うと氏はいいます。

 

85の親父が生きていてくれたら喜んでくれることはあるなあ。しかしお釈迦様でも死んでどってことないとおっしゃった。どうってことない、そういう腹の座り方ですね。そういうところが道元の不増不減だと僕は思うんです。永遠に 大きな命そのものがある世界、海そのものも変わりがない。

未練たらしいのでよい

この期に及んでもまだ死にともないこころが残っている、それが迷いとはよく知っているのだがな。浅ましいことじゃ。わしは一生の間煩悩の林に迷惑し、愛欲の海に浮沈しながらきょうまで来た。空澄み渡る月のように清らかな心で死にたい。 倉田百三 「出家とその弟子」

死ぬときに迷うのはあたりまえ、未練たらしいのでよい、だからこそほとけは大悲大願をたてられた。氏も大悲大願が嬉しい。人間はそんなにうまく死ねるものではない、いいかっこしなくてよいと氏は考えています。きっとほとけはそんな人間を可愛いと思ってくださると言います。だから冒頭の倉田百三 「出家とその弟子」の「浅ましいことじゃ。」と言わせる倉田百三「出家とその弟子」は””くだらない”と氏は述べています。

紀野一義は、無明とつきあって生きていくのだから死ぬときに迷うのはあたりまえ、未練たらしいのでよい、だからこそほとけは大悲大願をたてられた、この大悲大願が嬉しいと氏はいう。人間そんなにうまく死ねるものではない、いいかっこしなくてよいと考えている、きっとほとけはそんな人間を可愛いと思ってくださるといいます。

親鸞上人も吉野秀雄も手弱女ぶりの勇気で死ぬときに迷うのはあたりまえ、未練たらしいのでよい、だからこそほとけは大悲大願をたてられたと言います。大悲大願が嬉しい、人間そんなにうまく死ねるものではない、いいかっこしなくてよいと考えている。きっとほとけはそんな人間を可愛いと思ってくださると言います。

死ぬときは夕焼け、紫の夕焼けの中でそばに家内がいて、あんなこと、こんなことがあったねと言いながらそのうち死んでいる。そんな最期を迎えたいと。

氏は息子たちに見捨てられたと嘆くばあさんに、死ぬことはちっとも怖くないよと最大の慰謝を与える。皆さん、お迎えがきたら安心していきなさい、あかるいところに、浄土にいけるんだからと。

氏は捨てるということが大事だという。見捨てるということではない。迷うも仏、悟も仏の心境からみると息子たちに執着しないでありのままに、仏のはからいのままに生きるという境地に達することが大事だと氏はいう。

ばあさんは一年後に亡くなったが葬式にも線香をあげにも墓参りにも行っていないという。仏に帰っていったひとには墓などに行く気がしない、この話は深くて凄い。

苦しんだからいけないというわけではない、あの人があんなに苦しむんだったら信心がほんものじゃないと周りが言った、しかし死ぬときに苦しんだからと言ってその人の信心とは関係ないと氏はいい切ります。

氏は一方で三途の川を若々しい姿で渡りたいと講演で述べている。大東亜戦争で多くの友人を、特攻や戦地で18から22歳の若い盛りの友人たちを失い、多くのガールフレンドも広島の原爆で失った、また父や母、姉や妹をも原爆で失った。

紀野一義は三途の川を渡るときは彼らが若々しい姿のままで迎えてくれると信じている。だから汚いじじいの姿で彼らに会いたくない、病気の話しかしない老人は汚いじじいになるという。

91歳で最後まで講演を続け亡くなる2年前に講演を聞いた方は「終わると倒れ込むようにして介助の人に引きずられるようにして壇上を去られた」と記している。

少し歩くのも大変だった。そんな時でも「運をもらって帰りなさい」と参加者を元気づけている。

いい死に方をしたい

釈尊は喜びと捨てるの二つをいった。慈悲喜捨は四無量心で喜というのは生き切るということ、生きている時は徹底的に生きることを考えろ、捨は死ぬ時がきたら徹底的に死ぬことを考えろと山岡鉄舟は言った。

 80、90まで生きるがその代わり生きているのか死んでいるのかわからない状態で生きるのはごめん被りたいという氏は91歳で亡くなる。最後まで在家の伝道者伝道者として人に希望を与え続けました。

 紀野一義は正法眼蔵 道心の巻を引いて

自らの死の後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、そのあひだも、つねにこゑもやまず三寶をとなへたてまつらんとおもふべし。

七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども、七七日をばすぎず。このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。かからんとき、心をはげまして三寶をとなへたてまつり、

南無帰依仏、南無歸依法、南無歸依

ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。

 

すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて、正知ありて託胎せん。處胎藏にありても、三寶をとなへたてまつるべし。むまれおちんときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。六根にへて、三寶をくやうしたてまつり、となへたてまつり、歸依したてまつらんと、ふかくねがふべし。

 

またこの生のをはるときは、二つの眼たちまちにくらくなるべし。そのときを、すでに生のをはりとしりて、はげみて南無歸依仏ととなへたてまつるべし。このとき、十方の仏、あはれみをたれさせたまふ。ありて惡趣におもむくべきつみも、轉じて天上にむまれ、仏前にうまれて、ほとけををがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。

 

眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまずはげみて三歸依となへたてまつること、中有までも後生までも、おこたるべからず。かくのごとくして、生生世世をつくしてとなへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、おこたらざるべし。これ仏菩薩のおこなはせたまふみちなり。

 

これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身にそなはるとも云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし。 正法眼蔵 道心の巻

 

氏はこの通りに死ぬつもりだ、道元禅師は常にこのことを考えておられ、天童如浄に可愛がられたことも、18歳で海をわたってきたことも思い出している、感慨無量だといいます。

 

死んでしまうといなかったも同然になる、亀井勝一郎が死んだ次の年に全集が二束三文で売られていた、そこで人間はどうしようもないものとしる、そこから人間理解が始まるといいます。

 

本当に生まれてきてよかったと思うほど尊敬している人物にであっても10年経っても20年経っても生きていて欲しいと考えるのは考える方がどうかしている。

柴山老師がお亡くなりになっても屁とも思わないようになれ、亡くなったら俺は生きる方向を失うだろうなということはない。尊敬している人物は年をとればいくほど大事に思えてくるが、同時に後を継ぐ人が出て10年も経てば「ああそんな人もいらっしゃったなあ」という気になるものだと氏は語る。

 

親父が生きていたらえらい目にあわされている、東京になんていられない、寺を継がされてひーひいっている、だから早く死んでくれて有難いと思うこともある。

親父が生きていてくれたら85になる、喜んでくれることはある、しかし釈尊も死んでどってことないとおっしゃった。どうってことない、そういう腹の座り方が大事だ、そういうところが不増不減だと。海そのものも変わりがないように永遠なもの、大きな命そのものがある世界が不増不減だと氏は語ります。

 

仏法の二重構造

法華経の二重構造

紀野一義の魅力を一口でいうなら矛盾を矛盾のまま包含する柔らかな宗教心で、氏が好んで口にする「肯定肯定全肯定」によく表現されている。紀野一義自らは戦争の死中をくぐり、両親や兄弟を原爆で亡くす悲劇や生後すぐの長男を亡くすという悲劇にあっている。それでいながら自らは法華経の肯定、肯定、全肯定を説き、強運の人、楽観的な人、陽性であると述べる。

紀野一義の矛盾を屁とも思わない言説をいくつか挙げてみる。

 

法華宗の寺に生まれ日蓮上人とお題目を信仰のベースとしているが、同時に鎌倉仏教の祖師たち、道元禅師、親鸞上人に深い共感と信仰を抱き、それは紀野一義にとって何ら矛盾しないのです。

 

日蓮上人は佐渡御書で前世の報いで佐渡に流されたとご自身で書いておられる。日蓮上人には矛盾したものが同居し、矛盾したものが相克するなかでエネルギーが出てくる。矛盾の内包は鎌倉仏教の祖師たちにとって普通のことで、矛盾との同居は天賦のものであり氏はそこに祖師たちの業を感じている。そして業が悪いだけのものではない、エネルギーの源泉となる。

この世界以外に求めるべき寂光土はないと言いながら、一方では霊山浄土で相まみえようとお手紙に認めるなど日蓮上人は魅力的な矛盾を平気で抱えていると氏は語ります。

 

紀野一義が30代の頃に書いた論文「法華経と道元  紀野一義」に次の記述がある。氏は早くから仏教の二重構造に着目していたことがよく分かります。

 

「心迷」と「心悟」とは全く相対立する世界である。全く相対立するこの二つの世界が法華においてひとつの世界であることを六租は喝破し、道元はそれを纏承した。

心迷たとひ萬象なりとも、如是相は法華に転ぜらるるなり。

心迷う是菩薩道なり。

開示悟入みな各各の法華転であり本行菩薩道である。心迷、心悟いずれも本行菩薩道の結果。

本行菩薩道の考え方は法華経思想のひとつの柱。「法華経と道元  紀野一義」

 

この二重構造を捉えることが法華経を読む上で非常に大切だと氏は繰り返し述べています。

涅槃という反対概念でありながら迷い即涅槃との表現を説明しています。

生死はすなはち涅槃なりの「生死」とは流転し輪廻する迷いの世界のことで、道元禅師は菩提を現じた者はふたたび生死流転の世界に帰り來るべきであると考え、法華経「仏知見の道に入らしめる」とあるのはそのことであると道元は理解した。

法華経自身にはそうであることを示す文章はないが、道元はそうでなくてはならぬと考え、その方向を示した。般若心経に「空即是色」と立ち帰る方向を示しているのに合致していると氏はいいます。

 

「子は子でありつつ老であり、父は父でありつつ少である」という、この全く相反する二つの立場が重なつたところに実相を見ようとする考え方は、実は法華経に初まるのではなく仏教思想の基本的な形であつたと氏は考えます。

 

無我についても一方ではそれを「かくあるべしということができないもの」と考え、一方ではまた「かくならしめようとすればそれは可能であるようなもの」と考える、全く相反する立場が共存していたと氏はいう。

また一切法空とは一切法に封する執着をひとつひとつ空じて行くこと、一切法そのものがもともと空なのであるという相反する立場が共存している。

煩悩即菩提、色心不二など二つの相反する世界の重なるところに実相を見るというこの立場が仏教の考え方の基本的なパターンとして古くから存在している。

法華経がそれを象徴的に表現し、六租がそれを法華経の基本構造であると見抜き、道元禅師がそれを自己の思想の基本のひとつとしたと氏は述べます。

 

相反する立場が共在していることでは鎌倉の祖師たちも同じだと氏は続けます。親鸞上人も道元禅師も日蓮上人も矛盾した言葉のなかに真理を説いている、鎌倉の祖師たちはそんなことを気にもしなかった、むしろ矛盾を丸のみする心が必要であり、それでなければ信心決定とはいえないと氏はいいます。

 

親鸞上人の「私が目を瞑った後は私の死骸を鴨川に投げ入れてくれ」を氏は矛盾する言葉として二重構造の例に挙げています。又、歎異抄「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」をしばしば引用し、これは師を持たなければいけないという考えの氏にとって一見矛盾した言説に聞こえる、しかし言いたいところは深い、くどくどとした解説を拒む言説です。

 

人間がだれかに恩を施すというのは程度が低い生き方で、親切にせずにはいられないというのが本物だ、恩は感じる人が言うものだ、いいことをしていいことをしたとおもわないのがほとけだ、おまえを育ててやったのは俺だ、おまえを一人前にしたのはわたしだなどはおこがましい、一人前にしたのはほとけだと言いたいと語っているので、師と内心定めるのはいいが師の方からわたしが師でお前が弟子だとは言わないとの考えでしょう。

 

師として選ぶべきは師と自称しない人物を選べと、これは矛盾のようであって矛盾ではない、氏のいうところの二重構造であり、実に含蓄のある言葉だと思います。

正法眼蔵の二重構造

氏は正法眼蔵から次の言葉をよく紹介するが、これも二重構造だ。

不垢不浄 大きな目からみれば垢も浄もみな消えてしまう。

不増不減 如来世にいずるも出でざるも縁起の法は常住。

これはキリスト教では言えない言葉だと市はいう。この話にちなんで氏の母上はるこさんを巡って争った氏の父ともうひとかたの男性で、この男性が不思議なご縁で広島の連隊長になって赴任するというめぐりあわせを紹介している。又氏は中国の秦の始皇帝に西安で思いを馳せ、秦の始皇帝は釈尊より100年後の人であるがこの地に立ち風景を眺めると2000年の時空を超える気になるといい、不増不減をよく表現しています。

 

マルコポーロの例も挙げ、ベネチアからクビライの国へ旅し25年後に再び戻る彼の表した東方見聞録は、当時日本は鎌倉時代で元寇の時代であり時空の超え方が半端ではないと述べながら氏は鎌倉時代の祖師たちに思いを馳せる。800年程度はついこの間の出来事であるとの感覚を持つことの肝要さを説き時空を超越しないと仏教はわからないとつけ加えます。

 

森羅万象の二重構造

氏は森羅万象にも二重構造が認められる、森羅万象一切が心なのであり魂が心なのではないという。

さくらの花びらをそのまま染めるとグリーンに染まるがのちの葉の色素を底に宿しているからだ、桜の木を煮るとピンクができるが木の精のなかにピンクが入っているからだ、梅の枝を煮ると紅の色ができると氏はいいます。

 

万葉集のころから紫は紫草を煮るとできることを古代日本人は知っていたが藍は簡単に染まるかとおもっていたが全く色がでず染まらなかった。

紺屋の白袴の意味は世間で言われている、紺屋が仕事に忙しくて袴を染める暇がないとの意味ではなく、紺屋は袴が紺に染まらないように仕事を慎重にやるという意味だと興味ぶかい話をしながら氏は本題に入っていく。

 

眼に見える現象は目に見えないものに付着している、目に見えるものは見えないものに付着していることをノバリスの詩を引用して説明している。

きこえるものは、きこえないものにさわっている

ノヴァーリス (1772~1801)箴言集「断章」

愛情と憎しみ

西洋文化の「愛」という言葉には、使うにしろ読むにしろなにかしらキリスト教が透けて見えて、しっくりとこない感じがつきまとってきた。古来日本ではどのように言い習わしてきたのだろうか。

慈悲で思い浮かぶのは釈尊の慈悲行なのだが、実は慈悲行は苦行の一つなのだ。

サラリーマン時代を回顧してみると、どの会社、どの時代にも、どうしても会いたくない人の一人や二人はいたものだ。どうも気が合わない、あるいは「前世は敵味方の関係か」みたいな人間関係のことだが、これは紀元前7世紀のころから少なくともインドには存在した人間共通の感情で、これを釈尊は人間の根本的苦悩である四苦八苦の一つに数え、「怨憎会苦」と名付けた、古代インド人の凄い洞察力だと感心する。

 

慈悲行は、こうしたどうしても好きになれない、あるいは憎しみの感情が湧いてくる相手に対して、あえて慈悲の心を持つことを苦行とした。これなら偽善ではないか、いやそうではないと。

怨憎の気持ちを最初からあってはいけない感情として押しつぶすのではなく、だれでも当然起こりえるとまずその怨憎の気持ちを肯定し、それを克服して慈悲の気持ちを持つことを苦行と捉える、実に自然で納得できる説明だ。慈悲とは呻くことで、初めて他者への同情が沸くという紀野一義の説明につながる。

 

仏教では愛はあんまり出てこない、でてくるときはあんまりいい意味ではない、愛という言葉がでてくるのは非常に少ないと氏はいう。

王様が奥さんのマジカに対して、誰を一番愛しているかと聞いたらマジカは「自分自身だ」すると王様も「自分だ」と。そりゃ困ったもんだとお伺いをたてにいくとお釈迦さんもじつは「自分が一番かわいい」とおっしゃった。みんな自分が可愛いんだ、だからこそ他人を損なってはならないとお釈迦さんは教えられたと氏はいいます。

 

法句経の212番には愛より憂いは生じ、愛より怒りは生じる、愛を離脱している人に憂いなし。213にも同じ言葉があり、214には欲楽より憂いが生じる、215には愛欲より憂いが生じると。

212 愛より憂を生じ、愛より畏を生ず、愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。

213 親愛より憂を生じ、親愛より畏を生ず、親愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。

214 愛樂げうより憂を生じ、愛樂より畏を生ず、愛樂を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。

215 愛欲より憂を生じ、愛欲より畏を生ず、愛欲を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。

216 渇愛より憂を生じ、渇愛より畏を生ず、渇愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。

愛、親愛、愛樂、愛欲、渇愛と5段階に変わっていくことに氏は注目する。この5段階は思い付きで並べたのではない。愛を求めると憂いができる、子供ができると愛情に溺れるからいろんな憂いや苦しみがおこってくる、仏教にはそういう見方があると氏はいいます。

 

他人で目の離せない人のほうへ心を向けて言ったときにそれを親愛と呼んでいる。さらにもっと深くなると愛樂となり体に触れないと満足できなくなる。

さらにはもうこうなってくると特定の一人ではなくて男だったら女がいなければ満足できなく、女だと男がいないと満足できない状態になるがこれを渇愛、どうしても手に入れたいという病的な執着だ。

愛情と憎しみというものは裏表、愛している時は良い、しかしその愛から憎しみが生まれると釈尊はいい、憎しみから愛が生じることもあると氏は説きます。

 

釈尊は愛よりも慈悲を説く、慈悲は呻くという言葉からくる、自分が呻くことで初めて他者への同情が沸く、これはショーペンハウアーの共苦のことでキリスト教にはない。

慈とは友情ということでこれはキリスト教と違う点で、愛は神から、慈は横に広がっていく。

人間がだれかに恩を施すというのは程度が低い生き方で、親切にせずにはいられないというのが本物だ、恩は感じる人がいう、いいことをしていいことをしたとおもわないのがほとけだと氏は語ります。

 

 


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