まさおレポート

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白いメリーさん 横浜西口の記憶

2017-05-20 | 小説 音楽

五大路子の一人芝居「横浜ローザ」が5月26日、横浜赤レンガ倉庫1号館ホールで初日の幕を開けるというニュースを見た。過去に白いメリーさんについて書いたものに今回新たに知りえた話を追記してみた。

メリーさんは1921年(大正10年)に岡山で生まれた。貧しかったので中学には進めず、青年学校に進んで卒業した。その後米軍の将校と付き合い、朝鮮戦争で将校は「必ず帰ってくる」の言葉を残し戦地へおもむき、戦争が終わっても帰って来なかった。

1960年頃にメリーさんは外国船が寄港する横浜港のメリケン波止場に 白いドレスと日傘を持って 帰ってこない将校を迎えに行ったいう。横浜へ来て以来、外国人専門の娼婦から日本人客も取るようになり、74歳まで街頭に立ち続け、1995年に横浜から姿を消し、2005年岡山の老人ホームで84才で激動の生涯を終えたと言う。少しだけ蝶々婦人を連想させる話ではないか。

余談だがプッチーニの蝶々婦人は日本人には屈辱的で感に触るところがある。

私が台本を書くとすると碌でもない無責任男ピンカートンも死ななければ真のカタルシスは得られないのだが、蝶々夫人ではピンカートンは日本で子供まで作りながら米国に帰還命令がでると何事もなかったかのように帰国し米国女性と結婚、子供も取り上げそのまま平和に過ごしましたという結末になっている。日本に米国女性妻を同行して立ち寄ってその自決を知り、嘆くというストーリーにはなっているがこの程度ではふざけるなといいたい人の方が多いのではないか。欧米の視点で見るとあまり違和感はないのかもしれないが。

かつてブロードウェイでミュージカル・ミスサイゴンを見たが舞台はベトナムであるがやはり同じようなストーリーでなにやら後味の悪かったことを思い出した。

それにしても老いた娼婦は田村隆一の詩の対象になるが、老いた男は絵にならない。(コールリッジの老水夫行は詩の対象になっているが、マグダラのマリア、ミュージカル・キャッツなどの女性陣に比べると圧倒的に少ない気がする)

田村隆一は白いメリーさんを次のようにうたう。

港のマリー 田村隆一の詩集「5分前」より抜粋引用 http://yokohamamerry.jugem.jp/?eid=17

港のマリーは純粋な娼婦だ
ボンペイやシカゴやパリにはまだいるかも知れないが 日本では
たぶん最後の娼婦


梅毒と結核が抗生物質で駆逐されるようになってから
詩人も軍事的天才も哲学者も
生れなくなったのだから
純粋な娼婦が生きのこれるわけがない


厚化粧をしたマリーの顔には
無数の皺が刻みつけられている
まるで宇宙衛星から撮影した地球の
氷河のようだ
彼女の氷河期は
日本の敗戦からはじまった


日本人と一度
アメリカ人と一度結婚したけど
いまはたった一人
死ぬときも一人だと思うわ
日本のなかのアメリカに二十八年すんだけど
いまはどこにも住んでいないの 

「いまはどこにも住んでいないの」
それはマリーだけの話ではない
先進工業国の人間ならみんなそうじゃないか


人類そのものがボート・ピープルなのだから
やっと陸地にたどりついてみたら
港のマリー
無数の氷河

なるほど詩がなによりの供養になっている。

 

以下は2007-04-25 の原稿。

20代後半の頃、横浜西口から歩いて10分ほどのビル、横浜西局と合同のNTTDATAビルに通勤していた。そのビルから早めに勤務を終えたときにビルを出ると、何回か白いメリーさんに出会った。頭から靴まで白塗りの女性でこれまた白い扇子を手に持っている。頭は真っ白に染め、服装も白で統一し、白いストッキングに靴も白のエナメルだった。最初は「あれ!」と思い、ぎょっとした。不気味に感じたのだ。いっちゃっている人かなと思ったのだ。次に横浜西口から川沿いにあるいてきたのを遠くから見かけたときは「以前の白塗りの女性だ」と思った。不気味さは消えていた。3度目以降は、なじみの風景のひとつになっていた。

横浜に住む同僚と仕事を終えて西口の焼き鳥屋で酒を飲んだ折に、何気なく気になっていた白塗りの女の話をすると「ああ、白いメリーさんね」と、いとも簡単に応えられた。なるほど、そういうわかりやすい通称なのか、そしてある種の有名人なのだと知った。その話を聞いてから彼女を通りすがりに近くでみる機会があった。歌舞伎役者のように白い化粧を厚く塗っていて、そのため年齢不詳、大きめの白いレースの扇子を揺らしながら前方を見据え視点が動かない。ゆっくりとこちらを向いて悠々と貴婦人のように歩いてきた。つらい人生を歩んできてファンタジーの世界に生きている白いメリーさんを、仕事のことしか頭にない20代後半の男は単に異形の女を見るように興味本位で見ていたに違いない。

10年前、本屋の棚に「白いメリーさん」のタイトルを見て、にわかに30年以上前の記憶がよみがえった。当時の勤め先である横浜西口のNTTDATAビルの前の運河沿いの道は大雨が降ると、必ず水浸しになった。その道を何を考えて通ったか、今はまったく記憶に無い。ただ、白いメリーさんに出会った道だと思い出すばかりだ。おそらく仕事のことを考えながら歩いたのであろうが、風景の記憶の豊かさでは、白いメリーさんにはるかに劣る。20代後半の男は単に異形の女を見るように興味本位でみていたに違いないのだが、なにかしら深いところで人の人生を感じていたのかもしれない。だから30年以上たった時にも何かのきっかけで瞬時に思い出すに違いない。つまり表面にはでてこない感動があったことになる。

 

 

 

 

 


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