なぜか歎異抄のこの一節が眠りばなの脳中に飛び込んできた。そして自らの若い時の啓示に近いある出来事を思い出していた。
いずれ詳しく語る時がくるだろうが今はその記憶の再来で深い慰謝を得た。神仏に生かされた人生だったのを鮮明に意識して感謝した。キリスト教であれ構わない。非寛容な神は遠慮したい。
こんな記憶やことばが出て来たのは熱病の回復期のせいかもしれない。
それにしても親鸞のこの言葉いかに多くの人の人生に火を灯し涅槃へと導いてきたことことだろう。
そして尚自らの遺体は鴨川の魚に食わせよと言い残したその高貴な気合い。エゴが肥大して権力を追求する新興の輩が次々と世を去る昨今、戦後の下品な拝金の腐臭、信仰風潮が一掃される事を願う。
親鸞と言う宗教の先達をもつ事が出来た日本人でよかったとしみじみと思う旅の空でした。
さまざまな、人には言えない悪行愚行を重ねて歩んで来たに違いない多くの人生模様に今回の旅で触れた。それぞれのつましい愚行に寛大であれ。
この間に派手な新興宗教の教祖たちが相次いで亡くなり、人を真に導いたのか今後冷静に判断する時代に入った。肥大化したエゴと志が自分で収拾つかなくなった教祖たちの相次ぐ死去を見るにつけ善人なおもてが深く身に染みたバリの旅でした。
もう2度と出現して欲しくないこの種の宗教運動だが。