まさおレポート

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長田弘 追悼

2015-05-11 | 小説 音楽

長田弘が5月3日に亡くなった。心にしみる詩はわれわれの人生に深みと彩をそえてくれた。

「無名なものを讃えることができるのが歌だ」と書き残してくれた。 

 

以下は過去に掲載したものの再掲です。

長田 弘の詩集「黙された言葉」には過去の音楽家の人生がうたわれている。その詩の中で気がつくのは多くの音楽家の難聴や失明、病気に貧困だ。収録されている中から11名の音楽家をうたった詩を引用してみる。音楽家でありながら難聴に苦しんだのはベートーヴェンとフォーレにビゼーと3名もいる。

30代に若死にしたのはシューベルト、ビゼー、ショパン、モーツアルトと4名 マーラーは51歳で死んだ。バッハは失明している。してみると、世俗的な意味でブラームス、ベルディ―、ハイドンの3名のみが健やかな人生をおくったといえるのか。しかしそれはあくまで世俗的な意味でしかない。

 

<音楽> 長田 弘 黙された言葉 より

老ヨハン・セバスチャン・バッハにとって

音楽は労働だった。芸術ではなかった。

生きるというただ一つの主題をもつ労働だ。

・・・

仕事のあまり失明したが、悔やまなかった。

老ヨハン・セバスチャン・バッハは

ただ静かな微笑を残して、死んだ。

 

 1685-1750 65歳没

 

 

<エレジー> 長田 弘 黙された言葉 より

・・・

夜の樹が深いしじまをそだてるように、

ガブリエル・フォーレは、

沈黙に深くつつまれた音楽をそだてた。

・・・

激しい難聴に苦しみながら、死の間際まで。

 

 1845-1924 79歳没

 

 

<世界が終る前に> 長田 弘 黙された言葉 より

・・・

語ることができなければならない、音楽は。

私が語るのではない。私をとおして

この世界が語るのだ。

・・・

グスタフ・マーラーが書き続けたのは

ただ一つの曲だった。葬送行進曲だ。

 

 1860-1911 51歳没

 

 

<短い人生> 長田 弘 黙された言葉 より

・・・

空の青さが音楽だ。川の流れが音楽だ。

静寂が音楽だ。冬の光景が音楽だ。

シューベルトには、ものみなが音楽だった。

・・・

無名なものを讃えることができるのが歌だ。

・・・

遺産なし。裁判所はそう公示した。

・・・

シューベルトが素寒貧で死んだとき。

 

 1797-1828 31歳没

 

 

<自由のほかに> 長田 弘 黙された言葉 より

・・・

慰めはもとめない。安逸はもとめない。

祈りさえもだ。恩寵なんてないのだ。

・・・

僕には音楽が必要だ、とビゼーは書いた。

人生は短い。自由のほかに何がある?

 

耳を病み、片耳はまるで聴こえなかった。

咽頭炎。リューマチ。高熱。苦痛。

最後は心臓をやられて、突然に死んだ。

 

 1838-1875 37歳没

 

 

<ポロネーズ> 長田 弘 黙された言葉 より

・・・

銀色の夜の国がショパンの故郷だった。

・・・

故郷を離れてから、管弦のための音楽は

一つたりとつくらない。

一台のピアノのための音楽だけ書き続けて死んだ。

肺に穴のあいた身体はパリに、心臓は

抜きだされて故郷ワルシャワに、葬られた。

 

 1810-1849 39歳没

 

 

<樫の木のように> 長田 弘 黙された言葉 より

・・・

ブラームスは樫の木のような音楽をつくった

そしてわれわれの世界の影を 濃くした

 

青春の輝きはブラームスのものではない

老いてゆくものとして、どこまでも質実に

人生の習慣をまもり、夕べの散歩を愛した

 

 1833-1897 64歳没

 

 

<イタリアの人> 長田 弘 黙された言葉 より

歌はつきつめれば、祈りである。

かつてわれわれも、祈ることを

知っていた。今日、われわれはどうか?

 

イタリアのオペラ作者が死んだのは、

二十世紀の始まった年だ。以降、

晴れやかな歌を、世界はもうもっていない。

 

ベルディ―  1813-1901 88歳没

 

 

<一番難しい生き方>  長田 弘 黙された言葉 より

・・・

私が私について語る言葉ではない。

 

ハイドンは言った。語るのは音だ。

音がみずから語りたがっていることを、

誰も思ってもみないやり方で語らせるのだ。

・・・

この世の人生のおおくは辛い。音楽は

誰のものでもある幸福な言葉であるべきだ。

・・・

ハイドンは一番難しい生き方を貫いた。

すなわち、しごく平凡な人生を

誇りをもって、鮮やかにきれいに生きた。

ハイドン 1732-1809 87歳没

 

< 我々の隣人> 長田 弘 黙された言葉 より

 ・・・

われわれの隣人であるモーツアルト。

その音楽を優しいとはいうな。

さかしまの世に耐える、それは

かけがえのない武器としての音楽だ、アマデウスという名をもつ

モーツアルトがわれわれに遺したものは。

モーツアルト 1756-1791 35歳没

 

 

<そうでなければならない> 長田 弘 黙された言葉 より

リズムだ。

ベートーヴェンが、われわれに

至高の贈り物として遺したものは。

・・・

魂に、リズムを彫りこむ仕事。

ベートーヴェンは記した。音楽は

そうなのか?そうでなければならない。

ベートーヴェン 1770-1827 57歳没

 

長田 弘「一日の終わりの詩集」-微笑だけ-より部分を抜粋

街で、友人を見かけたのは、その日だった。
幼い日の表情をのこした、懐かしい友人。
長い間会っていないのに、すぐにわかった。
名を呼ぼうとしたとき、人込みにまぎれて
遠い友人の姿は、すでに消えていた。
そのとき、思い出した。
もうとうに、友人は世を去っていた。
微笑だけがのこっていた。
キンモクセイの花の匂いがした。


秋の日の終わり、たましいに
油を差すために、濃いコーヒーをすする。
そのとき気づいた。そこに彼女がいた。
うつくしい長い指をもったチェロ弾き。
長い間会っていないのに、すぐにわかった。
声をかけようとして、思いだした。
もうとうに、彼女は世を去っていた。
微笑だけがのこっていた。
弦のしずかな響きがひろがってきた。

微笑だけ。ほかには無い。
この世にひとが遺せるものは。

 

「一日の終わりの詩集」 長田弘  -微笑だけ-

長田弘 追悼


 


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