長田弘が5月3日に亡くなった。心にしみる詩はわれわれの人生に深みと彩をそえてくれた。
「無名なものを讃えることができるのが歌だ」と書き残してくれた。
以下は過去に掲載したものの再掲です。
長田 弘の詩集「黙された言葉」には過去の音楽家の人生がうたわれている。その詩の中で気がつくのは多くの音楽家の難聴や失明、病気に貧困だ。収録されている中から11名の音楽家をうたった詩を引用してみる。音楽家でありながら難聴に苦しんだのはベートーヴェンとフォーレにビゼーと3名もいる。
30代に若死にしたのはシューベルト、ビゼー、ショパン、モーツアルトと4名 マーラーは51歳で死んだ。バッハは失明している。してみると、世俗的な意味でブラームス、ベルディ―、ハイドンの3名のみが健やかな人生をおくったといえるのか。しかしそれはあくまで世俗的な意味でしかない。
<音楽> 長田 弘 黙された言葉 より
老ヨハン・セバスチャン・バッハにとって
音楽は労働だった。芸術ではなかった。
生きるというただ一つの主題をもつ労働だ。
・・・
仕事のあまり失明したが、悔やまなかった。
老ヨハン・セバスチャン・バッハは
ただ静かな微笑を残して、死んだ。
1685-1750 65歳没
<エレジー> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
夜の樹が深いしじまをそだてるように、
ガブリエル・フォーレは、
沈黙に深くつつまれた音楽をそだてた。
・・・
激しい難聴に苦しみながら、死の間際まで。
1845-1924 79歳没
<世界が終る前に> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
語ることができなければならない、音楽は。
私が語るのではない。私をとおして
この世界が語るのだ。
・・・
グスタフ・マーラーが書き続けたのは
ただ一つの曲だった。葬送行進曲だ。
1860-1911 51歳没
<短い人生> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
空の青さが音楽だ。川の流れが音楽だ。
静寂が音楽だ。冬の光景が音楽だ。
シューベルトには、ものみなが音楽だった。
・・・
無名なものを讃えることができるのが歌だ。
・・・
遺産なし。裁判所はそう公示した。
・・・
シューベルトが素寒貧で死んだとき。
1797-1828 31歳没
<自由のほかに> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
慰めはもとめない。安逸はもとめない。
祈りさえもだ。恩寵なんてないのだ。
・・・
僕には音楽が必要だ、とビゼーは書いた。
人生は短い。自由のほかに何がある?
耳を病み、片耳はまるで聴こえなかった。
咽頭炎。リューマチ。高熱。苦痛。
最後は心臓をやられて、突然に死んだ。
1838-1875 37歳没
<ポロネーズ> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
銀色の夜の国がショパンの故郷だった。
・・・
故郷を離れてから、管弦のための音楽は
一つたりとつくらない。
一台のピアノのための音楽だけ書き続けて死んだ。
肺に穴のあいた身体はパリに、心臓は
抜きだされて故郷ワルシャワに、葬られた。
1810-1849 39歳没
<樫の木のように> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
ブラームスは樫の木のような音楽をつくった
そしてわれわれの世界の影を 濃くした
青春の輝きはブラームスのものではない
老いてゆくものとして、どこまでも質実に
人生の習慣をまもり、夕べの散歩を愛した
1833-1897 64歳没
<イタリアの人> 長田 弘 黙された言葉 より
歌はつきつめれば、祈りである。
かつてわれわれも、祈ることを
知っていた。今日、われわれはどうか?
イタリアのオペラ作者が死んだのは、
二十世紀の始まった年だ。以降、
晴れやかな歌を、世界はもうもっていない。
ベルディ― 1813-1901 88歳没
<一番難しい生き方> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
私が私について語る言葉ではない。
ハイドンは言った。語るのは音だ。
音がみずから語りたがっていることを、
誰も思ってもみないやり方で語らせるのだ。
・・・
この世の人生のおおくは辛い。音楽は
誰のものでもある幸福な言葉であるべきだ。
・・・
ハイドンは一番難しい生き方を貫いた。
すなわち、しごく平凡な人生を
誇りをもって、鮮やかにきれいに生きた。
ハイドン 1732-1809 87歳没
< 我々の隣人> 長田 弘 黙された言葉 より
・・・
われわれの隣人であるモーツアルト。
その音楽を優しいとはいうな。
さかしまの世に耐える、それは
かけがえのない武器としての音楽だ、アマデウスという名をもつ
モーツアルトがわれわれに遺したものは。
モーツアルト 1756-1791 35歳没
<そうでなければならない> 長田 弘 黙された言葉 より
リズムだ。
ベートーヴェンが、われわれに
至高の贈り物として遺したものは。
・・・
魂に、リズムを彫りこむ仕事。
ベートーヴェンは記した。音楽は
そうなのか?そうでなければならない。
ベートーヴェン 1770-1827 57歳没
長田 弘「一日の終わりの詩集」-微笑だけ-より部分を抜粋
街で、友人を見かけたのは、その日だった。
幼い日の表情をのこした、懐かしい友人。
長い間会っていないのに、すぐにわかった。
名を呼ぼうとしたとき、人込みにまぎれて
遠い友人の姿は、すでに消えていた。
そのとき、思い出した。
もうとうに、友人は世を去っていた。
微笑だけがのこっていた。
キンモクセイの花の匂いがした。
秋の日の終わり、たましいに
油を差すために、濃いコーヒーをすする。
そのとき気づいた。そこに彼女がいた。
うつくしい長い指をもったチェロ弾き。
長い間会っていないのに、すぐにわかった。
声をかけようとして、思いだした。
もうとうに、彼女は世を去っていた。
微笑だけがのこっていた。
弦のしずかな響きがひろがってきた。
微笑だけ。ほかには無い。
この世にひとが遺せるものは。
「一日の終わりの詩集」 長田弘 -微笑だけ-
長田弘 追悼