まさおレポート

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スメルジャコフへの鎮魂の弔辞

2019-01-01 | 小説 カラマーゾフの兄弟

かつて拙ブログで

ゾシマ長老がドミトリーに拝跪するシーンがある。原罪意識をもつドミトリーに高貴な精神を見出すとともにその原罪意識故に凄まじい苦悩を予知して共感する複雑な思いがこの跪拝だろう。カラマーゾフの兄弟 3

と記した。凄まじい苦悩を予知して共感する複雑な思いと漠然とした感想を記しているのだがあるブログhttps://blog.goo.ne.jp/kkaizo/e/fb3a2dce85b727ba73e251292fea048fでもっと端的に共感する所以を記している、なるほどと納得した。

ゾシマはドミトリーのこれからの人生に自らの体験を重ねているのだ。ドミトリーはゾシマの人生をなぞることを予知していたのだ、だから跪拝したのだと理解できた。

ゾシマが軍の除隊と修道院へ出家を準備しているある夜紳士が近寄ってくる。かって熱烈な愛を覚えたある若い未亡人を殺害した男で、スメルジャコフが自殺しなかったとした場合の後日譚、パラレルワールドだという。なるほど眼から鱗だ。そしてゾシマ長老がドミトリーに拝跪するシーンの謎が解けたと思った。


紳士とスメルジャコフは次のように重なる。

①日頃から《無口》で打ち解けぬ性格で心を打ち明けるべき友人もいなかった、これはスメルジャコフの性格そのもの。

②紳士の殺人時に女は悲鳴もあげなかった、一方スメルジャコフに鋳物の文鎮を打ち下ろされたフョードルは「悲鳴もあげませんでしたよ」。

③紳士の代わりに殺人を疑われた農奴ピョートルは独り者で彼がやけ酒をあおって、女主人を殺してやると飲み屋で凄んでいたのを聞いた者もいた。

農奴は酒に酔い潰れ 右の掌を血まみれにしているところを発見されている。一方ドミートリィは逮捕された時、ドミートリィも「血まみれの掌をして、・・・顔まで血まみれ」の姿をグルーシェニカの小間使いフェーニャに見られている。

④小間使い達は表玄関のドアの錠を開けたままにしておいた、一方ドミートリィはドアの錠を開けたままが有罪の根拠とされた。 

⑤紳士は公衆の面前で犯した殺人を告白する。奪った被害者の金製品と共に、殺され女性から彼への二通の手紙も添えてあった。一方ドミートリィは婚約者カテリーナの手紙によって有罪にされた。手紙が明暗を分ける道具立てとして共通している。

⑥スメルジャコフが3000ルーブルを元手にモスクワでレストランを経営し成功を収めていたのが紳士で妻子を持ち幸せな家庭を築いていた、しかしスメルジャコフの苦しみと恐怖、犯した罪の意識で妻子を愛せぬ苦しみに身を焦がす。

もはや二度と愛することが出来ぬという苦しみに陥ることになる。時系列が逆転しているので紳士とスメルジャコフの同一性がわからなかったがドストエフスキーは村上春樹が「1Q84」で描いたパラレルワールドの手法を創造していたのだ。

⑦ドストエフスキーはゾシマ長老の次の言葉で自殺して物言えぬスメルジャコフへの鎮魂の弔辞を送っているとブログ氏は書く。ドストエフスキーが最も書きたかった言葉であるとまで書く。卓見だな。

地上で我と我が身を滅ぼした者は嘆かわしい。自殺者は嘆かわしい!これ以上に不幸な者はもはや在りえないと思う。彼らのことを神に祈るのは、罪悪であると人は言うし、教会も表向きは彼らを斥けているかの様であるが、私は心密かに、彼らの為に祈ることも差し支えあるまいと思っている。愛に対してキリストもまさか怒りはせぬだろう。このような人々のことを、私は一生を通じて心密かに祈ってきた。 


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